楚々の花、蠱惑に落ちて棘となる

注意とお願い
  • この小説はR18作品です。
    明確な性描写、残酷な描写等が含まれます。18歳未満の方は閲覧できません
  • すべてフィクションです。実際の実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
  • 小説の著作権は著者である虹色すかいにあります。無断での転載、コピー等はおやめください。

さらわれた王太子妃の物語。

楚々の花、蠱惑に落ちて棘となる


 ――お願い、見ないで。



 ライラ・ヨーデルは、夫の視線から逃れるように顔をそむけた。ライラにのしかかる男は、彼女のそんな行動にすらたかぶるらしい。美しく整った顔を喜悦に歪めて、ハッハッハッと興奮した犬のように息を弾ませながら腰を打ちつける。

 ライラの夫は不自然な姿勢で椅子に腰掛けて、視点の定まらない虚ろな目でライラと男を見ていた。夫が座っている場所は、夫婦の寝室に設えられた特別な席だ。

 目覚ましに、窓から差し込む朝日を浴びながら、ラズベリー香る西国の紅茶を味わうのが夫婦の日課で、夫婦の幸福な一日はいつもその席から始まった。



 パンッ! パンッ!



 ライラの恥部に男の肌がぶつかって、そのたびに悪魔のような猛りが子宮の入り口を突き上げる。気持ちいいはずがない。なのに、ライラの意志とは関係なく喉の奥から嬌声が湧き、男を咥えた陰孔はぐちょぐちょにぬかるんで生温い涎を垂らし続ける。




 ――お願い、あなた。わたしを見ないで。



 そむけた目を再び窓辺の席に向けると、ライラの夫は先程と変わらない表情と目でそこに座っていた。彼の左胸に深々と突き刺さっているのは、男が至近から刺した剣だ。

 男は、妻を守ろうと立ちはだかったライラの夫を殺し、ベッドを一望できるように死体をイスに座らせて縄で縛った。夫の姿勢が不自然なのは、顔が下を向かないように首を折られているからだ。


「どうだ、ライラ。あいつに見られながら俺に抱かれるのは、天にも昇る心地だろう?」

「この、けだもの……、ああッ!」


 ぬるっとした生温い舌が首筋をい、引き裂かれた衣からこぼれた右胸を揉みしだかれる。

 あなたと愛し合ったベッドで、わたしは今、あなたを殺した男に犯されている。夫が死んだ現実と凌辱されている状況を、頭は理解を拒み、心では受け止めきれない。

 体だけが、興奮した獣に素直だった。こんなにも女の体で生まれた自分を嫌悪したことが、今までにあっただろうか。


「けだものだと? そういう割には、よく締めつけてくるぞ。悦んでいる証拠だ」

「なんてことを……、ふッんっ!」

 獣の唇に口をふさがれて、抵抗する間もなくひるのような舌に口内を蹂躙じゅうりんされる。魂を破壊されるような息苦しさを感じた。女としての貞節と人としての尊厳が、粉々に打ち砕かれて宙に舞っていく。



 ――ああ。わたしは、生きながら地獄に落ちた。

 ライラが産声を上げたのは十八年前、こと座ライラのベガが一際輝く夏の夜だった。父親は砂漠の小国サムハインの執政官で、国王が信頼を寄せる真面目な男だ。

 濡れ羽色の艷やかな髪に黒曜石のようにきらめく黒い瞳、そして砂漠では珍しい白い肌。成長するごとに彼女の美しさは輝きを増し、近隣諸国にまでその評判が聞こえたそうだ。

  十六になった年の暮れ、ライラはサムハイン国王とその嫡子である王太子に望まれて王太子妃になる。国をあげて盛大な結婚の儀が執り行われ、彼女を一目見ようとたくさんの人が宮殿に押し寄せた。国民の祝福と王太子の無垢で一途な愛情を一身に受けて、ライラは順風満帆で一点の曇もない幸せな人生を歩んでいた。


「ああ、ライラ。にらみつける目も怒りで紅潮した顔も、すべてが美しく愛おしい」

 男が動きを止め、唇を解放してライラの顔をじっくりと観察する。美青年と名高い男の瞳は、高貴なサファイアのように青く透き通っているのに、そこに宿っているのは光のない闇。狂気だ。男は、汗や唾液にまみれたライラの美しい顔に満悦して、形の良い口唇の片端を上げた。

「ようやく俺のものになった。この日を待ち詫びていた」

「恥を知りなさい、フリンゲス。こんな蛮行、神がお赦しにならないわ!」



 バシッ!



 耳が痺れるような音がして、左頬に激しい痛みが走る。一瞬、なにが起きたのか分からなくて、フリンゲスの平手を喰らったのだと認識するまで少し時間がかかってしまった。打たれた頬の裏側から、苦い血の味が口に広がる。


「フリンゲス様と呼べ。それに、これは蛮行ではなく神聖な愛の行為だろう。俺は、お前を愛しているのだからな」

「こんなの……っ、愛ではないわ……っんんッ……!」

 ぎしっと再びベッドが軋み始めて、ライラはぎゅっと唇を噛みしめる。
 フリンゲスは隣国の皇帝だ。ライラと王太子の結婚式に参列して、彼女のあまりの美しさに一瞬で心を奪われた。そして、二年もの歳月をかけて、次期サムハイン国王となるライラの夫と信頼関係を築き、国境の警備を解かせたのだ。


「お前が生む俺の子は、さぞかしかわいいだろうな」

「い、いやよ……、やっ、やめてっ! それだけはッ!!」

「……あぁ、ライラ。愛している。お前は俺の戦利品ものだ……、くッ!!」

「いやぁあああ――ッ!!!」

 フリンゲスが青い目を細め、激しく腰を振りたてて甘い喘ぎと共に身震いする。夫にしか許したことのない胎内で、フリンゲスの猛りがどくどくと脈打った。大量のおぞましい汚濁が、ライラの子宮に注ぎ込まれる。


「……死んだほうがましだわ。殺して……。もう、殺してよ!!」

 泣きながら首を左右に振るライラの頬にキスをして、フリンゲスが射精を終えた陰茎で肉襞を何度も擦る。一向に衰えないそれで最奥を突いて浅い所をえぐって、自分の体液をライラの体に擦り込むように、ゆっくり、執拗に、じっくりと――。フリンゲスがライラの体から出ていったのは、随分と経ってからだった。





 それから十月後とつきご、ライラはフリンゲスの城で男の子を出産した。





 国境の警備を解かれたサムハインは裸同然だった。フリンゲスが率いたのは、たった二百の兵だったと聞く。赤子の手をひねるよりも簡単に、祖国はフリンゲスの手に落ちたのだ。

 孫の誕生を心待ちにしてくれていた国王陛下も優しかった夫も、皆むごたらしく殺された。連行される馬車から見た街並みも、正気では見ていられないほど悲惨だった。

 あの日から、ライラはずっと自分を責め続けている。わたしがフリンゲスの目に留まったりしなければ……、と。

 ライラは、腕の中でむにゃっと口を動かす赤子を見つめる。途端に、彼女の顔が我が子を慈しむ母の表情になった。慣れない手つきでもごもごと動く小さな口に乳首を当てると、思いのほか強い力で吸いついてくる。



 ――かわいい子。



 黒く羽毛のように柔らかな髪をなで、ひたいにちゅっとキスを落とす。この世に生を受けてまだ三日。目を開けている時間はとても短い。それでも、この子の目が祖国の血の象徴である黒曜石のような瞳だとライラは知っている。


「皇妃様がお越しです」


 宮殿の使用人が、部屋を仕切るしゃの垂れ幕を上げてライラに冷たい目を向ける。ライラは急いで乳房を服の中にしまうと、まだ腹が満たされないとぐずる我が子をあやしながら冷たい石床に両膝をついた。


「あら、乳をあげている最中だったの。邪魔をして悪いわね」


 フリンゲスには皇妃がいる。しかも、一夫一妻制の国だ。いくらフリンゲスが望んで連れ帰って来たとはいえ、ライラが妃として扱われることはない。世継ぎとなる第一皇子を産もうとも、国の法は絶対だ。


「滅相もございません。ようこそお越しくださいました、皇妃様」

「アルタイルをこちらへ」

「……は、はい」

 身をかがめて、皇妃が赤子を胸に抱く。ライラの出産後すぐに産屋を訪れた皇妃は、赤子にアルタイルという恒星の名を授けた。

 皇妃がフリンゲスと結婚したのは五年前。フリンゲスよりも四つ年上の彼女は、口には出さないが、いまだ子に恵まれないことを悩んでいるそうだ。

「おお、かわいい子よ。陛下の御心を奪った女は憎いけれど、アルタイルに罪はないものね」

 ごらん、と皇妃が侍女に赤子の顔を見せてほほえむ。彼女の薔薇のように華のある美しい顔は、まるで聖母のように優しく穏やかだ。

 こんなに美しい皇妃様がいながら、どうしてフリンゲスはわたしなんかに目をつけたのかしら。ふと、そんな疑問がライラの頭をよぎる。しかし、そんな疑問も皇妃の言葉によって砂のように消えてなくなった。

「先日伝えたとおり、アルタイルは今日からわたくしの手元で皇妃の子として育てるわね。悪く思わないで。これがきまりなの」

「……はい」

「心配は要らないわ。お前は憎くとも、アルタイルは別だもの。お世継ぎとして立派に育てる」

 肩を落として頭を垂れるライラに、皇妃が冷たい視線と軽い笑みを残して産屋を出ていこうとする。
 この世に、神なんて存在しない。夫を殺されて、死体の前で犯された。自分の気持とは関係なく、美しい皇妃の恨みを買った。

 そして今、生まれたばかりの我が子と引き離されようとしている。永遠に、母と名乗ることも許されないのだろう。体には、まだ生々しく出産の痛みが残っている。愛おしい我が子を奪われるのは、死を賜るよりもつらく耐え難い。

「皇妃様」

 ライラは床に手をついて、深々とひれ伏した。神は存在しなくても、希望はまだこの手の中にある。一縷の望みを託して、ライラは皇妃に静かに語りかけた。





 ★.。.:*・゜★





「おお、ライラ!」

 フリンゲスが、ライラに駆け寄ってほっそりとした手を取る。産後二カ月がたち、宮廷医の許しを得て産屋を出たライラを、早速フリンゲスが寝室に呼びつけたというわけだ。

 無邪気な少年のようにほころぶフリンゲスの美貌に、ライラは少し困ったような笑みを返す。まだ西の空には沈みかけた太陽が輝く時刻。これからまたフリンゲスとの長い蜜夜が始まるのだと思うと、ライラの心も太陽と共に沈んでいくような気分だった。

「早く、こっちへ来い」

「あ、待って……」

 フリンゲスが、我慢できないと言わんばかりにライラをベッドに押し倒して引き裂く勢いで衣を剥く。そして、アルタイルのために大きく膨らんだ乳房にしゃぶりついて、枯れかけた母乳を啜った。

 フリンゲスの性欲は底なしだ。それも、ライラばかりを所望するものだから、懐妊中も臨月間近まで相手をしなくてはならなかった。

「ああ、ライラ。お前は瑞々しい果実のように甘い」

「……もう、フリンゲス様ったら」

 ライラは、はにかむような声でフリンゲスに甘える。そして、じゅるじゅると音を立てて無我夢中で乳を吸い立てるフリンゲスの頭をなでた。

 アルタイルを皇妃に取り上げられたライラの体は、母親としての機能を失いつつある。待っているのは、女としてフリンゲスを満たす日々だけ――。

「フリンゲス様。もうアルタイル皇子殿下にはお会いになりまして?」

「もちろんだ。俺の目に狂いはなかった。やはり、お前が産む俺の子はかわいい」

 服を脱ぎ捨てるフリンゲスに、ライラは「ふふっ」と嬉しそうな笑みをこぼす。

「次は女がいい。きっと、絶世の美女になる」

「まぁ。もう二人目をお望みですの?」

「二人でも三人でも。お前が産むのなら、何人でも欲しい」

「……あっ、ん!」

 ごつごつとした指が、秘裂をまさぐって陰孔に突っ込まれる。湯浴みのあとに催淫効果のある香油を塗ったお陰で、ライラのそこは痛みもなくすんなりと二本の指を飲み込んだ。

 久しぶりに触れる女陰の具合を確かめるように、フリンゲスがぐちゅぐちゅと中をかき回す。ライラが柳眉を歪めて眉根を寄せると、フリンゲスはライラの乳首を口に含んで甘噛みし、ちろちろとそれを舌でもてあそんだ。

「はぁ……んっ。ねぇ、フリンゲス様。お願い……、キスして」

 ライラは、目を潤ませて恥じらいながら懇願する。するとフリンゲスが、陰孔から引き抜いた指を舐めてサファイアの目を細く光らせた。獲物を狩る獰猛な獣の目。狂気を宿したようなその輝きに、背筋にざわりと寒気が走る。

「随分、素直になったな」

「だって、フリンゲス様がわたしを愛してくださるから」

王太子あいつのことは、きれいさっぱり忘れたのか?」

「ええ。わたし、美しくて強い方が好きです。フリンゲス様のような……」

 フリンゲスを誘惑するように両脚を広げて、ライラは自分の唇を指先でなぞった。蝶を誘う花になりきって、フリンゲスを蠱惑に導く。

「早く……、ねぇキス、して」

 甘くささくような声が、フリンゲスの好みなのはとっくに知っている。はぁ、と息を吐きながら唇から舌先を出すと、すぐ狩猟本能に目覚めた獣が喰らいつくことも――。

「ライラ、ライラ……っ!」

「ふ、っん、ぁん」

 フリンゲスが、喉の乾きを潤すように夢中でライラの唇をむさぼる。二人の唾液に混ざってじわりと溶ける口紅。今日は、フリンゲスが喜ぶ真っ赤な色を選んだ。

 キスに応えながら、ライラは右手を伸ばしてフリンゲスの陰茎を握る。激しいキスの合間にそれをしごけば、ぎんぎんに反り勃ってみるみる先走りを垂らした。

「はぁっ、我慢できない。挿れるぞ」

「だめ……っ、まだ」

「もう十分、濡れているだろう?」

「久しぶりだから……。こ、怖いの」

 そうそう、抵抗も大事。無理やり犯すのがフリンゲスの嗜好だ。

「俺を誘っているくせに」

「いや……っ」

 身をよじるライラの肩を押さえつけて、フリンゲスが息を荒くして腰を振る。ライラの手の中で、フリンゲスのそれがますます強固になり重量を増した。

「手を離せ」

 興奮しながらも、冷たい声でフリンゲスが命令する。ライラが素直に従うと、いきり勃った怒張がずぷりと蜜口にねじ込まれた。

「……はぁ、あんんっ!」

 二本の指とは比べ物にならない熱塊に、窮屈な肉路を押し広げられる。めりめりと体の内側を引き裂かれるような感覚に、ライラの美しい顔が歪んで無意識に涙がこぼれた。それに興奮したフリンゲスが、はっはっはっと犬の呼吸で腰を振り立てる。

「あっ、ああんっ……、はぁ、っんんッ」

 ライラを見初めるまで、フリンゲスは王宮にいる女を手当たりしだい寝室に連れ込んでは色事に耽っていた。見かねた皇妃が、王宮に勤める女たちを醜女に総替えするほどだったという。

 そして、サムハインの王太子とライラの結婚式に参列したあと、フリンゲスの奇行がエスカレートする。王宮の醜女たちにサムハインの衣装を着せ、顔に白い布を被せて寝室に引きずり込むようになったのだ。

 とうとう陛下は狂ってしまわれた。宮殿では、そんな噂が飛び交った。皇妃がとがめると、フリンゲスは容赦なく手をあげて彼女を殴りつけた。

「あぁ、ライラが俺を咥えて喜んでいる」

「ああ、んっ! フリンゲス様……っ!」

「……くっ! いくぞ、ライラッ!」

 どくどくと、忌まわしい子種が子宮を満たす。フリンゲスは、ライラさえいれば他の女に手を出さない。ライラは、中で脈打つ猛りごとフリンゲスを抱きしめた。





 ★.。.:*・゜★





 歳月は流れて、アルタイルが三歳の誕生日を迎えた。
 宮殿で盛大に開かれた祝宴で、アルタイルは皇位継承者としてたくさんの貴族から祝福を受けている。アルタイルは皇帝と皇妃の息子だ。ライラが顔を見ることも、ましてや祝宴に参列するなんて許されるはずもない。

 ライラは自室の窓から空を見上げて、知り得ない三歳になった息子の顔を想像し、これからも健やかに育つよう祈りを捧げる。ライラが与えられた部屋は、宮殿から遠くとても静かな場所にある。祝宴の華やかな音楽や人の声なんて、まったく届かない。

「大変です!」

 静寂を破ったのは、皇妃宮に仕える使用人だった。騒がしいわね、と眉をひそめるライラに使用人がひどく慌てた様子で陛下が倒れたと告げる。ライラの顔に驚きと、すぐに穏やかな笑みが浮かぶ。

 フリンゲスが倒れたのは、祝宴が終わる間際だった。祝宴は中断を余儀なくされ、フリンゲスは衛兵たちによって寝室に運ばれ速やかに宮廷医の診察を受けた。

「皇妃、体がおかしいんだ。鉛のように重くて、手も足も動かない」

 寝室のベッドの上で、フリンゲスがぼーっと天蓋を見つめながら皇妃に言う。

「宮廷医が、異常はないとおっしゃっていました。日々のお勤めでお疲れなのでしょう。ゆっくりお休みになるといいわ」

「そうだろうか。もう二年ほど前から、頭痛やめまいがあったんだ」

「まぁ、そうでしたの? わたくしにはそのようなお話をしてくださらないから、ちっとも気づきませんでしたわ」

 ベッドサイドのイスに腰掛けて、皇妃が薬湯をスプーンで掬ってフリンゲスの口に流す。一匙、もう一匙。フリンゲスがそれを嚥下するたびに、皇妃の顔に笑顔がともる。

「なんだ。嬉しそうな顔をして」

「あなたとこうして過ごすの、初めてなのですもの」

「初めてではないだろう?」

「いいえ、初めてよ。あなたはいつも、わたくし以外の女性をここへ連れ込んでいらしたから」

「恨んでいるのか?」

「少しだけ。結婚する前は、あんなにも情熱的に愛を囁いてくださったのに……」

「昔のことで、もう忘れたな」

「そう。悲しいわ」

 皇妃が、立ち上がってテーブルにスプーンと空になった器を置く。背後から「眠くなってきた」と声がした。皇妃は、ふふっと薔薇の花のように笑む。

 フリンゲスの口に流した薬湯は、内臓を破壊する毒を溶かしたものだ。ごく少量だから、すぐに効果はあらわれない。

 この日を境に、フリンゲスの容態は悪化の一途を辿る。急激に悪くなるわけではなく、時間をかけてじわりじわりと病魔に蝕まれていった。

 起き上がることもできず、ベッドの上で食事をして、着替えをして、身を清めて排泄する。すべて、皇妃の手を借りなければままならない。

 アルタイルが五歳になるころには、起きているより寝ている時間の方が多くなった。

 美しい容貌は年齢よりも老けて、サファイアの瞳は輝きを失ってすっかり淀んでしまった。言葉も発さず、唇はひび割れた大地のように干からびた。

「皇妃様、ライラ様がお越しです」

「そう。お通しして」

 二年ぶりに足を踏み入れるフリンゲスの寝室。ライラはベッドに横たわるフリンゲスをちらりと見て、視線を皇妃に向ける。そして、ドレスのスカートを軽く持ち上げて礼をとった。

「堅苦しいことは結構よ。こちらへ座って」

「はい、皇妃様」

「大丈夫。フリンゲスは、薬でぐっすりと眠っているから」

 皇妃は、侍女に紅茶を用意させてライラを席にいざなった。侍女が淹れてくれたのは、ラズベリーの香りのする紅茶だ。懐かしい香りに、ライラは思わず目頭を熱くする。

「西国の紅茶がお好きだと聞いたわ」

「お心遣い、ありがとうございます。皇妃様」

「本当に故郷へ戻るの? いいのよ、ずっとここにいても」

「わたしはここに残るべきではありません。それに、故郷で人生を終えたいのです。夫が待っていますから」

 ライラは、紅茶を一口飲んでにこりと笑った。その向かいで、皇妃も同じように紅茶を口に含む。
 フリンゲスの寝室に侍るとき、ライラは必ず口紅をさして秘所に香油を塗った。どちらにも、神経を蝕む毒を混ぜていた。体内で分解されない毒は、摂取した分だけ体に蓄積されていく。

 紅を塗った唇を嬉しそうに吸い、香油をたっぷりしみこませた陰孔に陽根を抜き差しして喜んでいたフリンゲスを思い出すと、滑稽でばからしくて、呆れた笑いが込み上げてくる。

 しかし、ライラ自身も無傷ではない。フリンゲスと同じように毒が体内に回り、左半身は麻痺して自由に動かせなくなっていた。それに、飲み続けた避妊薬の影響で、医者からは数年の命であろうと宣告されている。

「皇妃様には感謝しています」

「それはわたくしの言葉よ、ライラ。あなたのお陰で宮殿は平和になった。わたくしは諦めていた子供に恵まれて……。そして今、フリンゲスと穏やかな夫婦の時間を過ごしてる。あなたがいなければ、わたくしの今日はないのよ」

「……よかった」

「ありがとう、ライラ」

 いいえ、とライラは頭を振る。すると、皇妃が一枚の絵をテーブルに置いた。高級な台紙に描かれた笑顔の少年。生後三日で別れたが、息子だとすぐに分かる。

「もう五歳ですって。月日が流れるのは早いわね」

「大切に育ててくださっているのですね。描かれた笑顔が、愛情に満ちていますもの」

「とてもいい子よ。素直で無邪気で、賢くてね。立派な皇帝になると、勉強を見ている教師たちが口を揃えて言っているわ」

 アルタイルには、背中に夫と同じあざがあった。皇妃がアルタイルを引き取りに来たとき、親子もともと手打ち覚悟でそれを皇妃に話した。

 皇妃はとても驚いて、それから「分かったわ」とアルタイルを抱いて産屋を出ていった。それから何度か、産後の見舞いと称して皇妃は産屋を訪れてくれた。

「皇妃様、アルタイルをお願いします。フリンゲスの血を継いでいない子です。それだけが気掛かりで……」

「心配は要らないと何度も言ったでしょう? あなたはわたくしに誠実で真摯だもの。わたくしはそれに応えるわ。必ずね」

 紅茶を飲み終えたライラが、静かに席を立つ。

「サムハインに着いたら、手紙をちょうだい」

「はい、皇妃様」

「必要なら、住居なども手配させるわ」

「はい。困ったときは、遠慮なく甘えさせていただきます」

「必ずよ」

「はい、必ず」

 ライラが出ていき、扉が重たい音を響かせながら閉じた。皇妃はゆっくりとベッドに近づいて、横たわるフリンゲスの顔を見下ろす。淀んだ青い瞳が、おびえたように皇妃をとらえた。

「あら、起きていらしたの? 眠っていれば聞かずに済んだのに」

 皇妃の優雅な微笑みに、フリンゲスの唇がふるふると小刻みに震える。皇妃はベッドに腰掛けて、湿らせた布でフリンゲスの干からびた唇を拭った。

「かわいそうに。事実を知ったところで、声も出せないあなたには、どうすることもできないわね」






 サムハインまで道のりは、半身が不自由なライラにとってとても険しいものだった。フリンゲスの国を出て数カ月後。ライラは、あの忌々しい出来事が起きたかつての居城に辿り着いた。

 城があったはずの場所。

 ここで結婚式を挙げて、優しい夫と愛に満ちた二年を過ごした。幸せな日々は確かにあったのに、そこは幾度の砂嵐に飲み込まれて城壁の一部だけが残る廃墟と化していた。

 あの日、惨たらしい格好のまま置き去りにされた夫の遺体。肉は砂漠の獣に喰われ、骨は虫に食まれたかもしれない。その無残な姿を見なくて済んだのは、ライラにとって唯一の救いだろう。

「あなた」

 愛し合って、子を生み育て、老いてしわしわになった手を繋いで穏やかな時間を共に過ごす日を夢見ていた。そんな日が来ると信じていた。

「来世では、必ずそうなりましょうね。あなた」

 憎いフリンゲスに抱かれるたびに、背負う罪が増えていくような孤独と怖さと悲しみに苛まれた。王太子に愛された日々の思い出だけが唯一の支えだった。ライラは、涙を拭ってはっとする。自分が泣いていることに気づいたのだ。

 フリンゲスの前で涙を流せば、あの男はこの身を奪った喜びに打ち震える。それが許せなくて、泣きたい衝動を殺し続けた。すべては、夫が遺した大事な命を守り、復讐を果たすために――。

「ねぇ、あなた。穢れたわたしを許してくださる? 頑張ったねって抱きしめてくださる?」

 地を響かせて、向こうから巨大な砂嵐が一枚の壁のようにこちらへ向かってくる。

 きっと、王太子様が砂嵐に姿を変えて迎えに来てくれたのだわ。死ぬ瞬間は苦しいのかしら。いいえ、フリンゲスに犯された苦しみを思えば、それに勝る苦痛なんてない。それに、王太子様のところへ行けるのだもの。とても幸せ――。

 ライラは地面にひれ伏して、さらさらと乾いた故郷の砂にくちづけた。まるで、愛おしい夫の唇にそうするように。





 ――あなた、愛しているわ。





 ★.。.:*・゜★





 満天の星を見上げて、皇妃は憂いのため息をつく。
 待てど暮せど、ついにライラからの手紙は来なかった。今ごろ、どこにいるのかしら。約束を破るような人ではないのに。

「母上」

 すっかり声変わりした息子の声に、皇妃はゆっくりと振り返る。そこには、壮麗な好青年に成長したアルタイルが立っていた。

 ライラにそっくりな艶のある黒髪と黒曜石のような瞳。容姿に、フリンゲスと似た所は微塵もない。皇妃は、遠い記憶の中からライラの横で幸せそうに笑うサムハインの王太子の顔を拾った。



 ――この子の優しげな顔は父親ゆずりね、きっと。



 フリンゲスと一緒に参列したサムハイン国王太子の華やかな結婚式の映像が、皇妃の頭の中に流れる。あの日、王太子とライラは幸せに満ちていた。フリンゲスが邪な心を抱かなければ、アルタイルと三人でより幸福な日々を過ごせただろう。

「今宵も蒸し暑い夜ですね」

「そうね。父上に、夜のご挨拶は済ませたの?」

「はい、今済ませてまいりました。深く眠っておられる様子でした」

「もう長くはないでしょう。実はね、そろそろあなたに帝位をと考えているの」

「いえ、僕はまだまだ未熟で……」

「父上より随分と立派だわ」

 皇妃が笑うと、アルタイルはどう応えていいのか分からないというような顔で小首をかしげた。

「ご覧なさい、アルタイル」

「はい、母上」

 アルタイルが、皇妃の指さす先を見上げる。その先で、恒星が強い光を放っていた。

こと座ライラの星に誓うのよ。立派な皇帝になると。父上のように、私欲で不幸を生んではなりませんよ」

「心得ております、母上」

 アルタイルの戴冠式が行われたのは、一年後の夏のこと。そしてその半年後、長く病の床に臥せていたフリンゲスが息を引き取った。


あとがき

お読みくださいましてありがとうございます!
ストレスフルな日々が続いて、だだーっと文章が降りてきた奇跡の短編です( ´艸`)
そのため、設定もあまり考えていません。
文章を出し切った時のスッキリ感が凄かったー!

2021年5月12日にムーンライトノベルズの日間ランキングにて短編1位、総合5位になりました。読んでくださった皆様に心から感謝です!
一生に一度のことだろうから、とっても嬉しかった😭❤

シェアお願いします!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.

CAPTCHA