第4話 太陽のかげり




 絶望の一日は、朝鳥のさわやかな鳴き声から始まる。
 冬の朝日がようやく顔を出し始めた時刻。僕は、小宮殿の1階におりると肌を刺すような冷水で顔を洗った。清潔なリンネルの布で顔を拭いて、ディフィシル様にいただいた剃り刃を棚から取る。

 あごと鼻の下の固い毛を剃ろうと正面の鏡を見ると、目の下にうっすらと黒い影ができていた。ここのところ、いろいろと考え事をして眠れていないせいだ。ヒゲと産毛を剃って眉まで整えたら、もう一度、顔に水を浴びる。

 ディフィシル様と王妃の朝食は、朝の礼拝のあと――。さて、どこで王妃にアネモネをプレゼントしてやろうか。リンネルの布を顔に押し当てながら、いつもディフィシル様のそばで見ている王妃の行動を頭の中で繰り返し再生する。そして僕は、食卓に必ず置かれるフィンガーボウルを標的にさだめた。

 アネモネの毒に致死性はない。肌が炎症をおこして、皮膚病のように赤くただれるだけ。
 病気になれば、王妃は治癒するまでディフィシル様と会えなくなる。病気というのはその者のごうが引きよせる悪魔デモンによる仕業であり、周辺の者にまで不幸をもたらす脅威だと神はおおせになった。

 だから、クロストリージオの太陽に悪魔が近づき、とりかないように、王宮内では病人へのあつかいが慎重になる。同じ空気を吸うことすら禁じられるのだから、共寝なんてとんでもない話だ。



 ――まずは、王妃からディフィシル様と過ごす時間をうばってやる。



 これを思いついたとき、いつもは疫病のような神を本当に神だと思えた。神がいてこそ、悪魔は存在できるのだから。まぁ、本当は感情に任せてほうむり去ってやりたいところだけど、王妃の代わりなんていくらでもいるだろうから、殺すのは危険な割にそれほど意味がない。

 屋根裏部屋にもどって寝間着からお仕着せに着替え、赤髪レディシュにブラシをとおして結いあげる。柔らかな花の香りを染みこませた面紗ヴェールで目の下から喉元までを隠せば、クロディアのできあがりだ。

 エプロンのポケットにマルタンの小瓶を忍ばせて小宮殿を出る。そして、うっすらと雪の積もった庭を抜けて王宮本館の勝手口を開けた。クロディアという侍女は、言葉数少なくつつましやかな女性でまかり通っている。僕は、廊下ですれ違う侍女や下働きたちに上品な会釈をして、足早に国王の居室へ向かった。

 ディフィシル様の部屋に入ると、お姉様方が朝の支度に勤しんでいた。みんなに朝の挨拶を済ませて、クローゼットからディフィシル様の服を出す。香水の芳香に、脳がくらくらと震盪しんとうする。

 あぁ、ディフィシル様をどこかに閉じ込めてしまいたい。ふたりきりの世界で、互いの身が枯れるまで愛し合えたらどんなに幸せだろう。


「クロディア。お召し物のほうは私がするから、あなたは朝食デジュネの準備に行ってちょうだい」


 僕にそう指示したのは、お姉様方の中で一番年若いフィーネという侍女だった。年若いといっても、僕よりうんと年上だ。僕は、フィーネに笑顔で返事をしてディフィシル様の衣装を預けると、部屋を出て会食の間へ急いだ。

 人手がそろう前にカラトリーを並べて、フィンガーボウルに水をそそぎ、ポケットから小瓶を出して王妃のそれにマルタンからもらった液体を溶かす。無味無臭、無色透明で、見た目には貴婦人の指先を清めるただの水。王妃は、パンのあと必ずフィンガーボウルに親指と人さし指、中指をひたして果物を食べるから、口元までただれるだろう。

 僕がテーブルのセッティングを終えたころ、食膳係が食事を運んできた。みんなで手分けして配膳し、国王夫妻の一日の幸福を祈る花でテーブルをいろどる。朝の礼拝が終わって、王妃はいつものようにディフィシル様とデジュネを召し上がった。

 すっかり心を通わせた国王夫妻のにぎやかな会話を聞くのは嫌でしかたがないけれど、今日は王妃の笑顔が愉快でたまらなかった。その日の夕刻、王妃が体調を崩したとのしらせがあったからだ。一度では効かないと言っていたのに、効果抜群じゃないか。


「王妃様は大事ございませんでしょうか」


 僕が、夕食を給仕しながら心配そうに言うと、ディフィシル様は小さなため息をひとつついた。ディフィシル様が、自室で夕食を食べるのは久しぶりだった。ほらね、王妃さえいなければ、ディフィシル様は僕とふたりきりの時間を過ごせるんだ。


「おかわいそうに……。すぐに快気なさるとよいのですが」
「フォン」
「はい、ディフィシル様」
「それは本心か?」


 フォークに刺した肉片を頬張って、ディフィシル様が僕に青い目を向ける。初夜の証人を務め、距離を縮めるふたりを目の前にしてもじっと耐えてきた。ディフィシル様のお立場も背負っておられる責務も、僕はちゃんと理解してる。



 だから、苦しいんだ……。



「もちろんです。……ですが、僕は」
「どうした?」
「ディフィシル様が恋しい、……です」


 お仕着せのエプロンをぎゅっと握り、面紗ヴェールの下できゅっと唇を嚙みしめる。僕は、期待したのかもしれない。ディフィシル様が、以前のように僕にしびれるような甘い時間を与えてくださることを。

 しかし、席を立ったディフィシル様は、僕の赤髪レディシュをくしゃりとなでて「疲れているようだな。もうさがっていいから、今夜は早く休め」とおっしゃった。優しい声が鼓膜をゆすった刹那、僕の中で張り詰めていたなにかがプツンと切れる音がした。


「申し訳ございません、ディフィシル様。ご無礼を申しあげました」


 ディフィシル様の手をそっと払いのけ、深く一礼して部屋を飛びだす。僕は、その足で侍女長のもとへ行き、外出の許可をもらった。侍女長は少しいぶかしんだ様子だったけれど、申し出た外出時間がそう長くなかったので、時間を厳守することを条件に許可証を発行してくれた。

 小宮殿に戻りローブを羽織って、通用門に向かって庭を全速力で駆け抜ける。冷たい冬の空気に、肺が凍てつくように痛んだ。心が王妃への嫉妬より悲しみであふれて、今にも砕けてしまいそうだった。



 ――この悲しみを、うまく処理する方法がわからない。



 門を通過した僕は、夜に沈みつつある街を無心で歩いてマルタンの店を目指した。クロストリージオの識字率は低い。街に暮らす平民の中には文字を読み書きできる者が多くないから、店の看板はほとんどが文字ではなく絵図で表記されている。靴屋ならブーツ、酒屋なら酒樽の絵図が掲げられていて、なんの店なのか一目瞭然だ。

 マルタンの店の軒下には、杯に蛇が巻きついた鉄製の看板がつるされていた。店の明かりが街路にもれている。まだ営業中なのだろうか。僕は、ガラス窓から中を覗いて店のドアを開けた。


「こ、こんばんは」
「あれぇ? 誰かと思えば、サンクじゃねぇか」


 店の奥のイスに腰かけて煙草パイプをくゆらせていたマルタンが、ローブをかぶったままの僕をにやりと笑って歓迎する。昨夜と違って、暖炉で火が勢いよく踊っていて店内はひだまりのようにあたたかい。ローブと面紗ヴェールを脱いで、その辺のイスの背もたれに掛ける。

 すると、マルタンが口から煙を吐きながら立ち上がった。マルタンは僕の横を素通りすると、ドアのカギを閉めて窓のカーテンを勢いよく引いた。


「いいの? まだ営業してるんでしょう?」

「そろそろ閉めようと思ってたんだ。今日は日暮れに厄介な客がきて、いつもよりちょっと遅くなっちまっただけだ」

「そうなんだ」

「それで? アネモネの毒は使ったのか?」
「使ったよ。すぐに効果が出た」

「へぇ……」

「ねぇ、マルタン。ほかにはどんな毒薬をあつかっているの?」
「気持ちがよくなるヤツから天に召されるヤツまで、なんでもそろってるぜ」

「じゃあさ、アネモネの毒を多めに……。それから、その天に召されるのをちょうだい」
「はっ! おそろしいガキだな。どんな事情をかかえてんだ、まったく」
「あなたはただ、毒薬を売ってくれたらいい。僕の事情なんて、あなたには関係ない」

「まぁ、そうだが……。いいのか? お代は金じゃねぇぞ」
「……いいよ」


 どうせ、この体がディフィシル様に愛されることはないから、貞操を守る必要なんてない。来いよ、とマルタンが煙草パイプをふかしなから手をさしだす。僕は、少しだけ躊躇ちゅうちょしてその手をとった。どうやら、店の二階がマルタンの住居になっているらしい。

 勾配の急な階段をのぼって連れていかれたのは、木製のベッドが窮屈に置かれた狭い部屋だった。照明が乏しく、アルコールの独特な臭いが充満している。


「外は寒かっただろ。ブランデー、飲むか?」
「もらおうかな」
「熱いから、気をつけな」


 マルタンからホット・ブランデーの入ったカップを受けとって、そろそろと口をつける。僕がブランデーの味を知ったのは、去年の冬だった。今日みたいに冷えた夜、ディフィシル様が「体が温まる」と言って僕に飲みかけのホット・ブランデーを分けてくださった。


「まずいな。これ、安物?」
「失礼なガキめ。いいか、サンク。施しを受けたら、文句より先に礼を言いな」


 僕がブランデーを飲み干すと、マルタンがシャツとトラウザーズを豪快に脱ぎ捨ててベッドの上で仰向けになった。


「お前も脱いで、俺のモノを咥えろ」
「……は?」
「は、じゃねぇよ。ほら、ささっとしろ。俺は気が長くねぇから、ぐずぐずしてると昨日みたいに犯すぞ」


 犯すという言葉にブランデーの味がする生唾をごくりとのんで、お仕着せと下着カルソンを脱ぐ。そして僕は、ベッド脇の床に両膝をついてマルタンのソレに手を伸ばした。


「そうじゃねぇ。俺に尻を向けてまたがれよ、犬みたいに」


 戸惑いながら、マルタンの顔に尻を向けて四つん這いの体勢でまたがる。舐めな、とマルタンが言った。

 僕は、目の前でむくりと起き上がる肉竿に手をそえて先端を舌先でつつく。ブランデーのせいで味覚がまひしているのか、なんの味もしなかった。唾液を垂らして頭を口に含む。添えた手で幹をしごくと、尻のあたりにマルタンの息がかかった。


「いいぜ、サンク。お前、……はっ、うまいな」


 僕の口の中で、マルタンが一気に猛る。同時に、尻穴をねっとりと舐められて僕は思わずピクリと体を震わせた。


「……っあ」
「手を止めるんじゃねぇぞ。お前のここもよくしてやるからな」


 ヌルヌルした液体が、たらりと尻の割れ目を流れる。後孔の周りを指でクチュクチュとこねられて、プツッと指先を突っ込まれた。マルタンが、陰嚢を舌で転がしながら指を増やす。僕は、腸壁を刺激するぞくぞくとした感覚に耐えながら、マルタンの牡茎を舐めてしごいて吸った。



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