第3話 悪魔のささやき




 通りに面した窓から月明かりがさしこんでいるだけで、店の中は真っ暗だ。暖炉にも火が入っていないから、凍えてしまうほど寒い。マルタンの口元で、息が円を描いて白くわだかまる。僕は、体を起こそうともがいた。


「だよなぁ、おとなしくするわけがないよなぁ。ははっ、しょうがねぇな」


 ごそごそと腰のあたりからナイフを取り出して、マルタンが僕の首のすぐ横にそれを突き立てる。ドスッと重たい音に鼓膜をたたかれて、僕は思わずひっと息をのんだ。怖くて、必死に身をよじる。


「おっと、勝手に動くなよ。刃に毒をぬってあるから、ちょっと触るだけでも危険だぜ。気をつけな」


 嘲笑うかのように鼻を鳴らして、マルタンが荒々しくお仕着せのスカートをめくりあげる。そして、下着カルソンの上から僕の股間をぎゅっとにぎった。


「……っ!」

「お前、一体どういう暮らしをしてるんだ? 庶民らしからぬ上等な女物の服を着て、下はちゃんとナニがついたままじゃねぇか。そういう趣味なのか? それともそういう趣味の貴族様パトロンに拾われたのか?」


 黙れ、下賤なくそ野郎。僕は、内心でマルタンに唾をはく。ディフィシル様は、パトロンなんかじゃない。貴族なんかよりずっとずっと高貴で、僕の最愛の人だ。



 ディフィシル様だって、本当は僕を愛しているのに……。



 チェスに興じるディフィシル様と王妃の顔がちらついて、体の奥で黒い塊が痛みを伴って転がる。ディフィシル様は毎夜、僕を残して隠し通路へ消えていく。今夜も、初夜の日と同じように王妃を抱いたのだろう。奥歯をぎりっと噛みしめて、僕はマルタンをにらみつけた。


「いいぜ、別に答えなくても。夜闇にまぎれて毒を買いにくるくらいだもんな。人には言えない事情があるんだろう」

「……うるさいな。僕は、頼んだ毒さえもらえればそれでいい。さっさと済ませろよ、おっさん」
「口の悪いガキだ。見た目に合わないからやめとけ」


 くくっと笑って、マルタンがテーブルに置かれたガラスの小瓶に手を伸ばす。そして、僕に見せつけるように小瓶に入った透明な液体を手のひらに垂らした。ほのかに甘い、ヴァニラの香りがする液体だった。マルタンは、それを指先にぬって僕の口に入れた。



「舐めろ」



 頬の内側の粘膜を指先でこすられて、僕は反射的にマルタンの指を舐めて液体の混ざった唾液を嚥下してしまった。舌が、喉が、しびれるような感じがする。次にマルタンは、液体にまみれた手を僕の下着カルソンの中に滑りこませて、柔らかな陰茎をまさぐりタマをなでた。ぬちゃりとした粘性の感触に、全身がぞわりと粟立つ。時折、指先が後ろの孔に触れて、その度に腰がぴくりとはねた。


「……く、あっ」
「いい顔しやがるぜ。この香油にはな、媚薬を混ぜてある。一緒に気持ちよくなろうじゃないか、サンク」


 マルタンが指先を後孔に刺す。いつの間にか下着カルソンは膝のあたりまでおろされて、僕の下半身は完全にマルタンの目にさらされていた。ゆっくりと円を描くように洞を広げて、指を増やされる。


「あぁ……っ」
「たまんねぇなぁ。これだから、こっちの商売をやめられねぇんだ」


 マルタンが、息を弾ませながらトラウザーズをおろした。





 ◆◇◆




 僕がマルタンの店を出たのは、二時間ほどたってからのことだった。夜中の人気のない道を、宮殿へ向かって足早に歩く。

 マルタンは僕で満足したあと、煙草パイプをふかしながらアネモネの茎から抽出した毒をタダでくれた。消えぬ王妃への嫉妬とディフィシル様への後ろめたさを抱えて、僕は帰路を急いだ。

 アネモネの毒は、一度では効果が出ないとマルタンは言った。また欲しくなったら訪ねて来い。ただで分けてやる。マルタンの言葉は、悪魔のささやきそのものだった。

 宮殿の門で衛兵に侍女長の許可証を見せて、クロストリージオ国王の侍女クロディアとして門を通過して王宮を目指す。ディフィシル様が僕のために改装してくださった小宮殿までは、少し距離がある。遅い時間だから、王宮もしんと静まり返っていた。

 小宮殿の前の庭にさしかかり、僕は屋根部屋の明かりがついていることに気づいた。こんな夜更けに、一体誰が。

 今まで、留守の間に誰かが部屋に入るなんてことは一度もなかった。だって、小宮殿を出るときに、僕は必ずエントランスのドアを施錠してカギは肌身離さず身に着けている。ここには、人に知られてはならない秘密がたくさん詰まっているから……。

 僕は、ローブのすそを持ちあげて庭を走り抜けると、音を立てないように小宮殿のエントランスを開けた。小宮殿は二階建てで、二階にある客室に屋根裏部屋へ上がるはしごが備えてある。

 宮殿内は、点々とあかりがともされていた。それどころか、二階の客室の暖炉に火まで入れてあるではないか。心臓がばくばくと嫌な旋律を刻んで、アネモネの毒が入った小瓶を持つ手が汗ばむ。僕は、一度深呼吸をして二階の客室のはしごをのぼった。

 屋根裏部屋といっても構造がそうなっているだけで、階下の部屋と天井の高さも広さもかわらない。一介の侍女が使うには少し贅沢なベッドとドレッサー、猫足の丸テーブルとイスが二脚おいてあって快適に過ごせる。ただ、用を足す部屋と浴室は配管の関係で1階にあるので、そこが少し面倒だった。

 はしごをのぼり終えた僕は、猫足のテーブルの方を見て驚きのあまり小瓶を落としそうになった。そこに座っていたのは、ディフィシル様だった。


「どこへ行っていた?」
「……あ、いえ」

「侍女長から、クロディアは街へ所用に出たと聞いたが」

「は……、はい。確かに街へ行ってまいりましたが、ディフィシル様にご報告申しあげるほどの用ではありません」

「そうか」


 きらめく青い瞳が、探るようにじっと僕を見ている。想定外のことが起きて、帰りが予定よりずいぶん遅くなってしまった。ディフィシル様は、一体いつからこの部屋にいたのだろうか。階下から上がってくる暖炉の熱と動揺で、小瓶を持つ手だけじゃなくて体中が汗ばむ。

 そうか、とおっしゃったけれど、ディフィシル様はまったく納得していないという顔をなさっている。根掘り葉掘り聞かれたら、どう言い逃れたらいい? 今までディフィシル様に隠し事なんてしたことがなかったから、辻褄の合う答えを返せる自信がない。


「座れ、フォン」


 ふっと表情をゆるめて、ディフィシル様が言った。僕は、ぎこちない笑顔でローブを脱いで、ディフィシル様の足元にひざまずく。小瓶は、怪しまれないようにローブを脱ぐときにポケットに入れた。

 結った赤髪レディシュはぼさぼさで、お仕着せには煙草パイプの臭いがしみついている。マルタンが体にまとわりついているようで、たまらなく不愉快だ。下着カルソンの下はもっとひどい。

 ディフィシル様が、優雅に足を組みかえる。そして、僕に右手をさしだした。僕は、それをいつものように両手でつかんでくちづける。ディフィシル様は、それ以上なにもお尋ねにならなかった。僕の赤髪レディシュを優しくなで、「朝の給仕に遅れるなよ」とだけ言い残して屋根裏部屋を出ていった。

 僕は、ディフィシル様が置いていった手燭をじっと見つめる。すると、手燭の横においしそうな小麦色をした焼き菓子をのせた小皿があった。それに気づいた途端、僕の目から涙があふれた。

 修道院では焼き菓子なんて見たこともなかった。それを初めて食べた僕があまりにも感動したので、ディフィシル様が今でも時々、こうして宮殿の料理人に命じて食べさせてくださるのだ。宮廷の料理人は腕がいいから、シンプルな焼き菓子でも頬が落ちてしまうほどおいしい。


「どうして……」


 初夜の証人なんか、務めたくなかった。そばにはいたいけれど、王妃と仲良くするディフィシル様は見たくない。僕は、焼き菓子をひとつ口に頬張る。口の中でまたたく間に溶けていくそれは、ほんのりヴァニラの香りがした。



   

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