第1話 神に背いて




「結婚することになった」


 そうおっしゃるディフィシル様の声には、いつもの威厳も張りもない。透きとおるガラス玉のような青い瞳で、窓の向こうのどこか遠く地平のかなたをながめたまま、僕を見ようともなさらなかった。


「フォン」


 低い声が僕を呼んだのは、しばらくの沈黙のあと。ディフィシル様のかたわらにひざまずき、僕はその御手を両手でそっとつかんでくちづける。ずっとディフィシル様のそばにいた。正義感が強くて、凛とした威厳をかねそなえたディフィシル様。

 見上げた先にある、男らしく整った顔にもそういった雰囲気があらわれている。すらりとした体躯は、華奢きゃしゃに見えるが実は引き締まっていてかたい。うなじでひとつに結われたプラチナブロンドの髪も、神の造形たる美の象徴だ。

 僕は、この御方のほかに美しい人を知らない。僕のすべては、クロストリージオ国王ディフィシル様のもの。心も体も、細胞の核一つにいたるまで、この御方のためだけに存在している。


「おめでとうございます、ディフィシル様」
「本当にそう思っているのか?」


 青い瞳にじっと見つめられて、僕は返す言葉を失った。
 結婚なんてしないでほしい。ディフィシル様を誰かに盗まれるのは嫌だ。本心ではそう思っている。ディフィシル様をお慕いする僕の気持ちは本物だ。僕は真剣に恋をしているのだから。

 ディフィシル様も僕を愛してくださっている。しかし、僕たちの関係は神に背く罪。そこに真実の愛情があったとしても、神は生命を生み出さない体の交わりを認めない。

 なにより、ディフィシル様は国王だ。僕とのことを他人に知られてはならないし、しかるべきご令嬢を妃に迎えてお世継ぎをもうける責務を背負っておられる。


「これからもずっと、ディフィシル様のおそばにいます」


 僕の、感情を押し殺した精一杯の返事だった。


「フォン、許せよ」


 顔に影がかかり、そっと触れる唇。ディフィシル様のジュストコールに染みた香水に、麻酔を打たれたかのように感覚がしびれて甘美な夢におちていく。目を閉じて身を任せれば、あたたかな舌で口元をなめられて口をふさがれる。

 僕の渇きを満たせるのは、ディフィシル様しかいない。絡みつく舌が、息が、唾液が、僕の腹の中でうずく衝動を突き動かす。


「……はぁ、っ」


 ディフィシル様を離したくない。僕はキスの合間にうまく息つぎをして、舌先を器用に使ってディフィシル様の舌をつかまえる。僕がすることは全部、この御方に教えてもらった。口にたまった唾液が、ふたつの唇の間であふれてぬちゅりと音を立てる。



 僕は、両親を知らない。古い修道院の聖堂のすみっこで子猫のように弱々しく泣いていたのを保護され、慈善が美徳の修道士たちに育てられた。禁域クラウズーラである聖堂に、誰が生まれたばかりの赤子を捨てたのか。当時は物議をかもしたそうだが、それは僕の知るところにない。

 小さなころから小柄で女の子のような顔立ちをしていた僕は、禁欲生活を送る修道士たちの欲をはらんだ視線にさらされた。外部と遮断された修道院というおりの中で、幼心にいつも危険を感じ、恐怖を抱えて生きていた。ここにいれば、いつか剪髪トンスラの儀式をうけて修道士になるしかない。そうなれば、修道士たちの餌食になるのは時間の問題だろう。


 だから、僕は修道院から逃げだした。
 9歳の夏、太陽が一番高い位置にある時刻だった。



「うまくなったな」


 唇を離して、ディフィシル様がくすりと笑う。彫像のような美々しいお顔がいたずらっぽく崩れていたので、恥ずかしくてほっぺたがぽっと熱くなってしまった。

 修道院から逃げ出した日は、ディフィシル様と運命の出会いを果たした日でもある。修道院の外を知らない僕にとって、王都の街路は異世界の迷路のようだった。前日から明け方に降った雨のせいで、石畳がびしょびしょに濡れていて足裏がひどく不快だったのを鮮明に覚えている。そう、僕は着の身着のまま、裸足で修道院を出たのだ。

 異世界の迷路では、三半規管がイカれて方向感覚がまったく機能しない。それでも必死に、修道院が遠ざかっていることだけを確認して、目の前にある道をひたすら前に向かって走った。そして、大きな通りを横切ったとき、大きな馬車にはねられそうになった。その馬車に乗っていたのが、ディフィシル様だった。


「ディフィシル様、愛しております」


 懇願するように告白すると、男らしい手が僕の赤髪レディシュを優しくなでた。希少で、不吉の象徴とも言われる僕の赤髪レディシュを、美しいとほめてくれるディフィシル様が大好きだ。

 僕はたまらず、ディフィシル様のキュロットに手を伸ばす。脚にぴったりとフィットしたキュロットが、その部分だけより窮屈に張りつめている。そこを手のひらでそっとこすると、ディフィシル様の眉根がよった。膝立ちになって、ディフィシル様のキュロットをおろし、たくましく反り勃つ雄茎に舌先をつける。


「……っ、あ」


 硬派で人望も人気もある御方が、僕の前でだけ見せる淫らな顔。漏らす甘い息。世界のすべてを手にしたような幸せに震える。もっと気持ちよくしてさしあげたい。僕の舌で、口で、手で、ディフィシル様を悦ばせてさしあげたい。

 透明な汁をこぼして、くぱくぱと小さな口を開けたり閉じたりしている先端にくちづけて汁をすする。それだけで、ぴくりと反応するディフィシル様が愛おしい。僕はもっとディフィシル様の体液を吸いたくて、食らいつくように切っ先にしゃぶりついた。


「……フォン、やめ……ろっ」


 吐息にまみれた熱っぽい声が、僕の欲望をあおる。頬をすぼめて口の中にある肉塊を舌と粘膜でしごきながら陰嚢を手のひらでころがすと、ディフィシル様の息が激しく乱れて僕を見下ろす青い目がぎらりと輝いた。



 神は、生命を生み出さない性行為を許さない。



 だから、僕たちは体をつながずこうして愛し合う。僕の名を呼び、恍惚とした表情で果てたディフィシル様の熱い飛沫を口でうけとめ、僕もスカートの中で吐精する。ディフィシル様を愛する時間は、僕にとって至福の時だ。





◇◆◇





 数カ月後、ディフィシル様と公爵の令嬢との結婚式が教会の大聖堂で盛大に執り行われた。美麗な国王の結婚は、貴族から国民まで大勢の人々に祝福された。

 僕はディフィシル様のご命令により、いつものお仕着せより少しきれいなドレスを身にまとって聖堂のすみっこに控えていた。ドレスといっても使用人のお仕着せだから、貴族のご令嬢方のそれとは雲泥の差だ。どこにでもある安価な布地にふくらみのないスカート。使用人のお仕着せには、ふくらみどころか夢も希望もない。

 だけど、僕にとってはどんな豪華なドレスにも……、公爵のご令嬢が着ている婚礼の衣装にすら勝るんだ。だって、僕の服はすべてディフィシル様が選んでくださるのだから。


「クロディア殿」


 パイプオルガンの厳かで仰々しい音色が響き渡る中、式の最中だというのに司祭の一人が僕に話しかけてきた。表向きの僕はクロディアという名の女性で、国王につかえる使用人だ。服装はもちろん、腰まである赤髪レディシュを清楚に結いあげて完璧に女性に擬態している。

 16になった今も、僕の体は男性とは思えないほど細くて小さくて、顔も女の子のような面差しのままだから女性を演じることに難はない。

 ただ、最近になってあごのあたりが男っぽくなってきて、ヒゲが生えてくるようになってしまった。声だって以前と比べると低くなったし、のどに塊がぽこっと浮きでている。いわゆる、アダムのリンゴのどぼとけというやつだ。

 そのことをディフィシル様に相談すると、ケラケラとおかしそうに笑ってヒゲを剃る刃物と面紗ヴェールを用意してくださった。今日も僕は、ディフィシル様にいただいた薄絹の白い面紗ヴェールで目の下から顔半分と胸元まで隠している。

 軽く会釈して応じると、司祭が手に持っていた木の札をさしだした。目を大きく開いて「これは?」と尋ねた僕に、司祭はにっこりと神のようなほほえみで「今宵、陛下に神の祝福を」と言った。

 なるほど、ディフィシル様と公爵のご令嬢の初夜の護符ってわけか。僕は、面紗ヴェールの下で奥歯を噛みしめる。


 ――ディフィシル様が僕以外と同衾どうきんなさるなんて、想像するだけで吐き気がするんだけど。


 僕が護符を見つめたまま動かないので、不審に思った司祭が近づいて「陛下にお渡しを」と念をおす。耳にかかる司祭の湿った息の気持ち悪さったらありゃしない。

 僕はおおげさな愛想笑いをして、司祭に深く礼をした。僕がどんなに願ったところで、神は僕の願いを叶えてはくれない。残酷にも予定どおり、今宵ディフィシル様は初夜をお迎えになるのだ。


   

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