第三話 皇宮




 濤允の顔が迫ってくる。再び唇がつきそうになって、蓮珠は濤允の手の中でそれを拒むように顔をそむけた。はずみで、つむじの辺りから歩揺ほようの垂れ飾りがぶつかる澄んだ音がする。

 今日は初夜ではないから髪はおろしたままでいいのに、嬬嬬じゅじゅが夕方の沐浴のあとに髪を結わえてさしてくれたのだ。楊濤允が、陽佳ようかと嬬嬬にそう申しつけたらしい。

 濃い桃色と淡い桃色の花びらが重なった蓮と、玉のたれ飾りが美しい金の釵子さいし。それは婚礼前、婚礼衣装と共に湖光離宮から宰相さいしょうの屋敷へ届けられたもの。この世に一つしかない、蓮珠のための髪飾りである。

 骨ばった指が、あごをつかんで正面を向くように蓮珠の顔の向きを変える。
 とても近い距離で、真っ向から蓮珠を見つめる黒漆器のような濤允のまなこは、光の加減で漆黒のようでもあるし深い緑色を帯びているようにも見える。そして、蓮珠へ向けられる視線には、純粋で真摯な力強い意志だけが宿っていた。

 今の王朝が最も栄えたのは、もう数代前のこと。正しくあるべきものは根本から腐敗し、皇家の権威たるや衰退の一途をたどっている。太皇太后などは若い頃から強欲で、官位の売買で私腹を肥やした権の亡者であった。今では高齢のせいか、呆けて人の区別もつかない有様だが。

 落花流水とは美しく言ったもので、水に落ちて逆らうこともできず流れる花のように、時はむなしく現世うつしよを過ぎていく。きらびやかな皇宮は、もはや沈みかけた船。今の皇帝に、時の流れを食い止めて是正する能力はない。

 ちょう高僥こうぎょうは、小さなことにおびえて他を犠牲にし、自我を保つのが精一杯の状態だ。皇家をしのぐ力を蓄えた廷臣らに、禅譲ぜんじょうを迫られる日も近いだろう。もしかしたら、皇宮に血の嵐が吹き荒れるのかもしれない。王朝が滅びまた新たな王朝がおきて、そのようなことを繰り返しながら時は未来へ向かって刻まれていくのだ。

 濤允は、蓮珠のきらめき揺れる瞳を見つめながら形のいい唇に笑みをのせる。しかし、落花流水とは、なにも衰えていくものを嘆くだけの言葉ではない。

 落ちた花と流れる水は、俺と蓮珠。想い続ければ、やがて蓮珠の心は溶けて、清らかな流水が落花を浮かべて命の終焉しゅうえんまで共に流れてくれよう。

 父帝の妃嬪たちとの密通に、女官や宮女、宦官たちへの折檻。他にどんな罪があったか思い出せないほど、高僥はその身に甘んじて横暴のかぎりをはたらいた。すべは、皇宮という外部と隔離遮断された塀の中で起きたことだ。

 先帝の皇子は高僥と濤允だけではない。嫡長子継承の慣例をやぶれば、太子の座を巡って無用な争いが勃発する。それを危惧した先帝により、高僥の罪は濤允が犯したものとして処断された。結果、濤允は皇籍を剥奪されて皇宮を出ていく羽目になった。

 それから数ヶ月して、太皇太后の古希祝いが皇宮で開かれた。その時、見せしめのように末席に座らされた濤允に近づいて、声をかけたのが宇蓮珠だった。

 蓮珠は周りの目を気にしながら、紙で作った花を侍女から受け取って、にこやかに「どうぞ」とそれを濤允の卓に置いた。濃い桃色と薄い桃色の紙が貼り合わされた、手のひらに乗るくらいの蓮の花だった。


「蓮珠」


 濤允の声が、柔らかい羽毛のような吐息をまとって蓮珠の唇をかすめる。
 すっと鼻筋の通った、濤允の凛々しい美な顔。女性関係での派手な前科持ちだけあって、手つきは慣れているふうなのに頬がほんのりと赤く染まっているのはなぜだろう。蓮珠がまばたきも忘れて息をひそめると、濤允がちゅっと軽く唇をついばんだ。


「目を閉じてくださいませんか? そのように見つめられると、俺の心臓が破裂してしまう。あなたはとても美しいから」


 あ、と蓮珠が目を見開くと同時に、視界を濤允の手が目を覆う。体を寝台に押し倒されて、目をふさがれたままくちづけを落とされた。花びらが舞い降りるかのようにふわりと唇が重なって、舌先が閉じた蓮珠の唇を優しく舐める。蓮珠が目に当てられている大きな手をつかもうとすると、指が絡んで寝台に縫いとめられた。

 口を吸われて、舌が口の内に侵入してくる。どう応えていいのか分からず、されるがままになっている蓮珠の口内を厚い舌がくまなく舐め回す。その舌の動きに、昨夜同じように秘苑をまさぐられたことを思い出して、蓮珠は恥ずかしさのあまり息を詰めて呼吸を乱してしまった。


「ふ……っ、ん」


 あごをつかんでいた濤允の手が、指先で首筋をなぞりながら下へおりていく。夜着を留めている紐を解かれる気配がした。寝台の上で絡んだ指と指がよりいっそう強く絡みつき、口の中では舌と舌がもつれ合う。

 ゆるんだ夜着の衿が開いて、濤允の手が乳房に触れた。ふくらみをやわやわと揉まれて、抗いたいのにくちづけに意識をさらわれる。


「ぅ、んっ!」


 指先で胸の粒を転がされて、蓮珠はたまらず寝台からだらりと落ちた両足をばたつかせた。すると、乳房に触れていた手が夜着の中で肌をするすると滑って下穿きにもぐりこんだ。指先が這うように淡い繊毛をかき分けて、割れ目から飛び出た肉芽をこねる。昨夜の舌とは違う硬い指の感触に蓮珠の体がぴくりと震えると、濤允が蓮珠の舌を強く吸いあげて口を離した。


「好きですよ、蓮珠」


 濤允が、低くなまめかしい声で言う。好き……? 濤允の言葉が、聴覚から体内に染みこむ。蓮珠が潤んだ目で見ると、おだやかで優しいほほえみが返ってきた。しかし、その間にも、下穿きにもぐった手は休むことなく湿った肉裂の中を暴くように動き回った。

 くちゅくちゅと卑猥な音を響かせながら、円を描くように蜜口をなで回す指。それがちゅぷっと中に沈んで、膣壁を擦る。ぬかるんだ蓮珠の蜜洞は、濤允の指二本をすんなりと受け入れてきゅっと締めつけた。


「はぁ……っ、んぅ、あぁ……っ」


 眉根を寄せて喘ぐ蓮珠の顔を、濤允がじっと見下ろしている。熱にうなされるように、頭がくらくらする。濤允の手に焚きつけられて、体が燃えてしまいそうなほど熱い。中をかき回されて、蜜口からじゅぷじゅぷとよだれのような露が飛び散った。呼吸はますます激しく乱れて、快楽に神経を支配されているような気怠さに身もだえる。


「もう、やめ……て」


 荒い呼吸の合間に、なんとか言葉を紡いで懇願する。しかし、濤允はおだやかな顔をしたまま行為をやめようとはしなかった。隘路あいろに指を出し入れしながら、固く勃起した蓮珠の蕾を親指の腹でこねて皮を剥く。その瞬間、蓮珠の体が大きくしなった。


「ああ――ッ!」


 視界が弾けてしまうほどの刺激が、一瞬にして全身を駆けめぐる。痙攣するように体が震えて、意識が真っ白な世界に飲みこまれた。


「ああ……、蓮珠」


 好きだ。あなたの他はなにも望まない。
 濤允は激しく上下する蓮珠の胸に顔をうずめた。しっとりと汗をかいた白肌から、花のようにいい香りがする。

 女陰から指を引き抜いて、乳房の肌を吸いながら蓮珠の衣をはぐ。白い陶器のような肌につんと勃った桜色の尖りを口に含めば、まだおぼろげな意識をさまよっている蓮珠の赤い唇からため息のような喘ぎがもれた。

 指を絡めて握っていた手を名残惜しそうに離して、蓮珠に吸いついたまま自身の衣をゆるめる。衣服の下で痛いくらいに反りかえった熱塊は、すでに先端から汁をしたたらせていた。濤允は、力の抜けた蓮珠の体を抱えると、寝台の正しい位置に横たえて衣を脱いだ。


「蓮珠」


 濤允の声に、蓮珠はうっすらと目を開けた。呼吸はまだ走ったあとのように荒くて、体に力が入らない。ただ、体にこもった熱は冷めることなく温度を保ち続けていた。

 視界に飛びこんで来た楊濤允の引き締まった上半身に、はっと意識が鮮明になる。両脚の間に陣取った濤允が、蜜口に切っ先をあてがった。


「い、いや……」


 破瓜の痛みがよみがえって、蓮珠は思わず声を震わせて顔をそむける。濤允が腰に体重を乗せると同時に、しとどに濡れた秘裂に突き立てられた。一気に最奥まで貫かれて、苦悶の表情を浮かべた蓮珠の白い喉が反り返る。


「あ……、ああっ!」


 下腹部に、感じる鈍い痛み。顔をそむけたままきゅっと唇をかむ蓮珠の頬に、濤允がくちづける。いたわるような、優しい感触だった。


「痛いですか?」
「……す、少し」


 痛みを逃すように息を吐いて、ためらいながら答える。耳元で「お許しを」と切なげな声がした。濤允が、腰を動かし始める。孔内を押し広げられてえぐられて、ぬぷっと聞くにたえない恥ずかしい音が響いた。


「あっ、あぁ、あぁんん……っ」


 嬌声を上げる蓮珠を見下ろしながら、息を乱した濤允が甘く喘ぐ。濤允は、蓮珠を揺さぶりながら乳房を揉みしだいて乳首を指で弾いた。その刺激に、連珠が中でうごめく濤允をぎゅうっと締めつける。

 剥かれた肉粒を指でこりこりと潰されながら突きあげられると、わずかに残る破瓜の痛みを打ち消すように、全身へしびれるような気持ちよさが広がった。


「あぁあっ、ん、んん……っ、あああぁ――ッ!」


 肉芽を剥かれた時と同じように、視界が真っ白になる。蓮珠。切なげな声がして、濤允の体が覆いかぶさってくる。

 濤允は、蓮珠の短く乱暴な呼吸を奪うようにくちづけた。歯列を舐め、逃げ惑う舌をつかまえる。蓮珠の体を抱きしめて、腰を打ちつける。

 口の中はふたりの湿った吐息と唾液であふれ、ぐちょぐちょにぬかるんだ花孔の中でふたりの熱が高まっていく。猛りの先端が子宮の入り口を激しく突いて、濤允の熱が蓮珠の中で弾ける。

 肩で大きく息をしながら、濤允はぼんやりと宙を見つめる蓮珠を胸に抱いて寝台に倒れこんだ。汗をかいた体が冷えないように、ふたりの体に布団をかぶせる。

 蓮珠がもぞもぞと動いて背を向けたので、濤允はその背を包むように体をくっつけて蓮珠の腹に腕を回した。乱れた黒髪から覗く蓮珠の耳に唇を寄せて、蓮珠の体を強く抱き締める。


「蓮珠。生涯、あなただけを大切にします」





 ◆◇◆





 楊濤允は、趙高僥からのお召しがない限り皇宮へ赴くことはない。
 普段は屋敷の庭にこさえた菜園で作物を育てたり池で魚を釣ったりと、隠居した爺のように一竿風月な日々を送っている。湖光離宮の広大な庭には築山があり林があり池があり、外へ出なくても自然の風景や遊びを楽しめるのだ。

 雨が降れば、濤允は殿舎と呼ぶには粗末な、小屋のような庵で書をしたため本を読みふける。日当たりはいいけれど、寝屋と書斎と数部屋あるだけのその庵が濤允の居所だというので、裕福に育った蓮珠はたいそう驚いた。

 というのも、濤允が蓮珠のもとを訪れるのは夜だけ。昼間、濤允がなにをしているのか気になって、こっそり覗きに行ってそれを知ったのである。

 湖光離宮での生活は、しきたりや人目がなく自由気ままで、心地よく波が揺れる海原をただよっているかのようにのどかだった。

 時々、濤允は蓮珠を街へ連れ出した。はぐれないように蓮珠の手を握り、民にまぎれて通りを歩く。露店で共に饅頭を食べて、気の向くままに書肆しょしに立ち寄って書物をあさる。蓮珠が父親に禁じられていた俗書に興味を示すと、濤允は嫌な顔一つせずにそれを買った。

 そして、婚礼からひと月と少し経ったある日。蓮珠の姿は、皇太后の宮にあった。蓮珠は今日、夫より華美にならないよう藍染の大人しい襦裙じゅくんに白の帔帛ひはくを合わせた。髪は高くない位置で二輪に結って、歩揺をさすのも控えた。濤允が、質のよくない絹の暗い深衣を着ているからだ。


「薔薇はお好き?」


 木香薔薇もっこうばらの庭を歩きながら、皇太后が蓮珠に尋ねた。
 蓮珠は、皇太后の手を引いて歩幅を合わせるように添いながら、はいとうやうやしく答える。皇太后が女同士で話したいと言ったので、濤允は回廊に置き去りにされていた。


「嫁ぎ先に不満があるのではない?」
「……い、いえ」


 皇太后に上品な笑みを向けられて、蓮珠は答えに窮してしまった。皇宮の絢爛な殿舎や華やかな雰囲気を見ると、やはり自分はここにいるべき人間であったと口惜しい気持ちになる。けれど……。蓮珠は、ちらりと回廊に目を向けた。柱に背を預けた濤允が、じっとこちらを見ている。


「あら。濤允もあなたが気になるようだけれど、あなたも濤允が気になっているようね」
「あ……、申し訳ございません。お話しの途中でしたのに」


 いいのよ、と皇太后が蓮珠の手に自分のそれを重ねる。皇太后の手は、秋風のようにひんやりとしていた。


「私はね、もう先が長くないらしいの。侍医がそう言っていたわ」


 皇太后が静かに言う。蓮珠が悲しそうな顔をすると、皇太后が気にしないでと言うように、重ねた手を軽く二度叩いた。


「濤允には話していないから、あなたの胸にとどめておいてちょうだい」
「はい……、皇太后様」

「濤允は、あなたを心から慕っているわ。私に歯向かったことなんてなかったのにね、あなたがいいと言って私がすすめた縁談をすべて断ったのよ」

「そう、だったのですか?」

「ええ。濤允は、なによりもあなたを大切にすると思うの。だから……」
「皇太后!」


 叫ぶような男の声が、皇太后の言葉を遮る。騒がしいわね。心の中でそう思いながら蓮珠がふり返ると、黄の深衣を着た男が大股で向かってきた。男の後ろを濤允と太鑑が追ってくる。蓮珠は、皇太后の手を握ったまま慌てて頭を低くした。


「秋も深まってきたのに、出歩いて平気なのですか?」


 男が、皇太后に冷たい声を投げる。皇太后が平気だと答えると、男はそれを鼻で笑って視線を蓮珠に定めた。


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