しかし、それは一呼吸ほどの短い間の出来事で、八条宮の期待とは裏腹に柔らかな沙那の感触はすぐに離れてしまった。
「沙那……?」
八条宮が不安げに眉を曇らせる。沙那は、琥珀色の瞳を覗き込んだ。お出かけになるまではいつもどおりだったのに、車寄せで出迎えたときからどことなく様子がおかしかった。
女房が選んだ衣装に難癖をつけたり、さっきは目元が濡れているように見えたり。愛の告白はとっても嬉しいけれど、なにか引っ掛かる。
「御所で、なにかあったのですか?」
「……どうして、そう思うの?」
「お帰りになったとき、心ここに在らずといいますか、元気がなかったでしょう? あわれしる空も心のありければと申しますから、今日の天気は依言様の心模様そのものだったのでは、と思ったのです」
そう、と八条宮の表情がにこやかに本来の平静を取り戻す。
「なにもない。つつがなく、帝からあなたへの宣旨をいただいて少し話をしただけだよ」
「本当ですか?」
沙那が目を細めてあからさまに疑うと、八条宮がまいったと言うように眉尻をさげた。
「あなたに一つ聞きたいのだが」
「なんでしょう」
「母君の命を奪った盗賊が憎くはないの?」
沙那は、八条宮に向けていた疑いを解いて、ふっと目元と肩の力を抜いた。
「憎いですよ。その盗賊が不死の体になって、母上と同じ痛みと苦しみを延々味わえばいいのにと思っています。でも……」
「でも?」
「わたしの怨念のせいで誰よりも優しかった母上が怨霊や悪鬼になってしまったら嫌なので、母上を思い出すときは憎しみや恨みを捨てるように努めています」
「どうして、そう慈悲深くいられるのだろう。たとえ一時でも、憎しみや恨みを捨てるのは簡単ではないはずだ」
「そうですね、簡単ではありません。もしもわたしが一人ぼっちだったら、仄暗い感情に心を喰われて、母上どころかわたしが悪鬼になっていたでしょう。けれど、実家の父上や乳母に小梅、今は八条院の女房たち皆がわたしを慈しんでくれますから、こうして人の心を失わず健やかに暮らせています」
「あなたは、本当に心がきれいだ。あわれしる空があなたの心を映したなら、どんなにいいだろう。そしたら、空は澄んでこの世はあたたかな光に包まれるのに」
「……あの、そんなことはないと思いますよ。だってわたし、依言様に言い寄る人がいたら雷を落としちゃいますから」
「それは怖いな」
「はい、怨霊や悪鬼など比ではございません」
沙那が、茶目っ気たっぷりに笑う。言い寄る人がいたとしても、心の裡で嘆くばかりで他人を傷つけはしない。沙那はそういう人だと八条宮は改めて確信する。
「俺も、あなたのようになろう」
「まさか、依言様までやきもちで雷を落とすのですか?」
「ははは。月読尊をやめて、鳴神になるのもいいかもしれないな」
笑い声をあげる八条宮の銀髪を一房指先ですくって、沙那はきゅっと表情を引きしめる。
「依言様。それで……、本当に何事もなかったのですね?」
「うん、どんよりとした空色とやまない雨のせいで気が滅入っていただけだよ。心配をかけてすまないね」
「いえ、それならよろしいのです」
沙那が、ほっと胸をなでおろす。すると、八条宮が自分の唇を人さし指の先でとんとんと二回つついた。
「どうしたのですか?」
「もう一度、して」
「なにをです?」
「ほら、先程の」
沙那は、先程の……と口の中で反芻しながら顔が熱くなるのを感じた。自分から八条宮にくちづけてしまったのを思い出したのだ。女性から積極的に唇を奪いにいくなんて、なんとはしたないことをしてしまったのだろう。
「い、いいいいえ、あれはですね、その、つい、いえ、……すみません。ひぃ……、無礼をお許しくださいませ……ッ!」
泡を喰って真っ赤になった顔をそらす沙那の頬を、八条宮の大きな両手が包む。
「あ、あの……」
「嬉しかった」
逃がさないというように顔を引き寄せられて、唇を押しつけられる。触れる唇の接点が変わる一瞬の隙に息を吸い込めば、空気と一緒にあたたかくて柔らかな舌が滑りこんで来た。
「ん……っ」
「好きだよ」
吐息に混ざった熱い二度目の告白が、砂に落ちた水のように心に染みていく。いつも口にしてきた言葉を好きな人から言われると、嬉しいとか幸せだとか全ての感情がふりきれて涙に変わるのだと初めて知った。
沙那は八条宮のうなじに腕を回して、宝物を扱うように優しくぎゅうっと抱き寄せる。
「はぁ……っ、ふぁ……、んんっ」
荒々しく口内を舌で蹂躙されて、噛みつくように唇を食まれて。今までしてきたくちづけとは、熱さがまるで違う気がする。口の中で絡まり合う舌の感触や不規則に弾む二人の呼吸と粘液質な水音。そして、息を奪われる苦しさや羞恥さえ、頭と体を痺れさせる甘い蜜毒のよう。気持ちがよくて、舌がほどける度にやめないでとねだるみたいに勝手に舌が動いてしまう。
「沙那」
頬を包んでいた手が肩に触れ、腰の辺りをなでて双臀をつかんだ。夜衣の上から触られているだけなのに、ぞわりぞわりと快感が波立って全身に広がっていく。一瞬、ふわりと体が浮いて寝具の上に押し倒されると同時に、ちゅっと音を立てて唇が離れた。
「あなたを幸せにしたい」
八条宮が、潤んだ目で見上げる沙那の目元を指先で拭う。あまりにも真剣な八条宮のまなざしに、沙那の胸がどくんと大きく跳ねた。
「もう十分に幸せです。依言様の妻になれたのですから」
「それだけでは足りないよ。あなたが俺の過去にその優しい心を砕く暇がないくらいに、あなたを愛して幸せにしたいんだ」
絹織りの夜衣の上から、八条宮の手が沙那の輪郭を確かめるように体を丁寧になでる。肩から鎖骨をなぞって、胸を手の平で包んで人さし指の爪でその中心をかりっと何度か引っ掻く。
沙那が小さくてかわいい悲鳴を上げると、次は腰の曲線と柔らかい腹部へ……。大切に、優しい手つきで、沙那の体をほぐしながら下におりていく。
「……あ、っ」
夜衣の裾から直に太腿を触られて、反射的に沙那が脚を閉じようとする。それより早く繊毛の奥を指先でくすぐられて、沙那はたまらず身をよじった。
八条宮が沙那の喉元に吸いついて、割れ目の柔肉を指で広げる。そこは既に、しっとりと湿り気を帯びていた。つんと勃った陰核を指先でこねながら押しつぶして、少し蜜口をなでるだけでとろりとした漿液が指にまとわりつく。
八条宮の熱のある吐息と舌が沙那の鎖骨を舐めて、指がずぷりと洞に沈んだ。
「あぁっ!」
もう初めてのときのような痛みは感じない。感じるのは羞恥をはるかに凌ぐ快感だけで、指で孔内を擦られる度に沙那は桃色の声を漏らして喉を反らした。蜜口からあふれた愛液が、指の動きに合わせてくちゅくちゅと恥ずかしい水音を立てる。
「沙那の気持ちいいところを教えて」
耳朶を甘噛みされて、沙那はしがみつくように八条宮の衣をつかんだ。うっとりするような低音で、そんな恥ずかしい言葉をささやかないでほしい。そう目で訴えると、強く膣壁を擦られた。
「あっ、ああん……っ」
きゅっと中が締まるのが自分でも分かる。気持ちがよすぎて、沙那は八条宮の衣をつかむ手に力を入れて必死にその快楽を逃す。けれど、指を増やされ、執拗にそこを刺激され続けると、下腹の最深部がじんじんと痺れてどうにもできなくなってしまった。
「だめ……もう……っ」
「我慢しなくてもいいよ、沙那」
八条宮がそう言って指の動きを速める。
「あうぅ……んっ、あぁああッ!」
体がびくびくと震えて下腹が熱くなった瞬間、蜜口から生ぬるい体液がじゅぷじゅぷと飛び散った。自分が息をしているのかどうかも分からないほど意識が霞んで、体の感覚がない。
「沙那、挿れるよ」
達したばかりの蜜口に、熱い猛りがあてがわれる。沙那が朦朧としながら頷くと、奥まで一気に貫かれた。その刺激に、霞んでいた意識が一気に鮮明になる。
「あぁんっ、はぁあ……んっ」
八条宮が動く度に指とは違う重量でいいところを何度も擦られて、沙那は腰を浮かして喘いだ。
「気持ちいい?」
嬌声をあげながら頷く沙那に、八条宮が「俺も気持ちいい」とくちづける。汗で湿った夜衣の上から乳房をつかまれて乳首を弄ばれると、沙那の膣壁がぎゅうっと八条宮の肉茎を締めつけた。舌と舌、熱塊と肉襞が絡み合って、溶けて一つになってしまうような幸福が沙那の心と体を満たしていく。
「はあっ、うぅんんっ」
さっきと同じような感覚をお腹の奥に覚える。沙那は、絶頂間近の浮遊感に耐えながらこの世で一番好きな人の名前を呼んだ。
翌朝。
小梅や女房たちが朝餉の支度をしていると、清々しい顔をした八条宮がぐったりしている沙那を横抱きにして寝所から出てきた。当然、彼女たちは沙那が病にかかったのだと思い込み、心配して大騒ぎした。
しかし、沙那のぐったりしている原因が八条宮による抱き潰しだと分かると、白髪の女房が淫魔払いの坊主を呼び、八条宮は髪研ぎ前に首から数珠をさげて魔払いの煤を大量に浴びる羽目になったのである。
