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第25話 はしきよし(3)




 沙那が、席を立って女房たちと主寝殿の中に入る。沙那が去って八条宮一人になった観月の席に、白髪の女房が火桶の始末をしにやって来た。この女房は、先帝の御代では八条宮の生母である藤壺女御に仕えていた。先帝の命により八条宮とともに御所を出て以降、八条院の女房方を取り仕切っている。


「火を消しますので、上着をお召しくださいませ」


 八条宮の肩に、女房が上着をかける。八条宮がそれに袖を通すと、女房は鉄瓶の湯を火桶の灰にまいた。炭火がくすぶって、夜闇に白煙をくゆらせる。


「まこと清らかでよき御方でございますね、北の方様は。大納言家の姫君であらせられますのに少しも気取ったところがなくて、わたくしどもにまで親切にしてくださいますのよ」

「沙那がここへ通っていたときも、同じことを言っていたね」

「あら、覚えておいででしたの?」

「曲者を追い返せと何度も命じたのに、あなたは従わなかった」

「まぁ、わたくしを恨んでおられるのですか?」

「いや、そうではないが」

「北の方様が本当に曲者であれば、いいつけに従いましたけれど。わたくしは、先帝と女院様より宮様のことをくれぐれもと託されています。それに、宮様のご誕生からお世話つかまつったのですもの。宮様の幸せを願うのは、当然でございましょう?」

 女房が、しわのある顔に優雅な笑みをたたえる。そのとき、沙那の寝支度が済んだと知らせがきたので、八条宮は蝙蝠を女房に渡して立ちあがった。

「宮様、北の方様を大切になさいませ。どこへお通いになろうとも、北の方様のような御方には巡り合えませんよ」

「……そうだな」


 八条宮は、女房を残して寝所へ急ぐ。寝所に入ると、寝床に単衣姿の沙那が座っていた。いつの間に帰ってきたのか、ナギが沙那の膝に陣取って「にゃあ」と甘えている。腹を上に向けて、四本の足をだらりと大きく広げて、なんてザマだ。



 ――北の方様を大事になさいませ、だと?



 言われなくても分かっている。まったく、女房といいナギといい、八条院の者たちは少し沙那に懐きすぎではないのか? 俺の妻なのに。ふと、わけの分からない苛立ちがさわさわと小波のように八条宮の胸をよぎる。


「依言様、今夜はナギもここで一緒に寝てもいいですか?」

「だめだ」


 さらうようにナギを抱きかかえて、寝所の外に閉めだす。妻戸を閉めると同時に、背後から機嫌をうかがうような声がした。


「あの……、ナギがかわいそうですよ」

「かわいそうではない。これから女房たちがナギに餌をやるから」

「あ、そうでしたか。ご飯なら、仕方ありませんね」


 燭台の火を吹き消して寝床にあがる。もやもやとした気持ちが不快で、八条宮はそれを振り払うように褥に仰向けになった。
 沙那に甘えるナギを見て、なぜか憎らしく思えてしまった。もしかして、俺は嫉妬深い男なのか?



 ――ばかな。



 相手は猫だぞ。なぜ、俺が猫と張り合わなければならないのか。
 沙那の気持ちは、十分すぎるほど身に染みて知っている。しかし、なにか物足りない。今日も、観月に誘わなければ、北の対屋に戻ったきり、明日の朝まで顔を見せなかったはずだ。

 沙那に好きだと言われると嬉しくて、沙那が離れると寂しい。女房たちとばかりおしゃべりしないで、ナギにばかり触れないで、もっと俺にかまえばいいのに。俺の妻なのだから。


「依言様、上着は脱がないのですか?」


 沙那が、すぐそばに正座をして近い距離で顔を覗く。明かりを消したから、閉めきった室内は至近距離でどうにか瞳の輝きと肌の白さが分かる程度に真っ暗だ。

 八条宮は、手を伸ばして沙那の横髪に触れた。暗がりでもつやがあって、さらりとした手触りのいい濡れ羽の柳髪。袿の裾野の上を流れたら、さぞかし美しいだろうと思う。しかし、沙那の後ろ髪は座しても床につくかつかないかの長さで、前髪も幼子のように眉の上で切りそろえてある。


「美しい髪なのに、どうして伸ばさないの?」


 脈絡のない、突然の不躾な質問に困惑しているのか、沙那はじっとこちらを見たまま答えようとしない。答えたくないのならいい、と言おうとして髪から手を離すと、沙那が口を開いた。


「おでこに……。おでこに傷が残っていて、それを隠すために前髪を短くしています」

「傷?」

「はい。母を火事で亡くしたとお話ししたのを、覚えていらっしゃいますか?」

「覚えているよ。傷というのは、そのときの?」


 返事をする代わりに、沙那が八条宮の手を取って「ここです」と右眉の上、前髪の生え際辺りに持っていく。八条宮が指先で髪をかき分けてそこに触れると、皮膚とは思えないほど固くてざらざらとしていた。


「父上の話では、強盗の仕業だったらしいのです。とても寒い冬の夜だったのに、とても熱くて、熱くて……」


 沙那の声が、わずかに震える。当時を思い出して、恐怖がよみがえったのだろうか。八条宮は慌てて起きあがろうとしたが、沙那がそのままで聞いてほしいと言ったので大人しくそれに従う。

 十年前の盛冬のある夜、大納言邸に強盗が押し入った。
 強盗は盗みをはたらいたあと、邸うちの燭台をなぎ倒しながら逃走をはかる。空気がとても乾燥していて、絶好の放火日和だった。

 家屋の中央に位置する主寝殿からあがった火は、几帳の帷子や御簾などを介してまたたく間に母屋全体へ燃え広がっていく。さらに、冷たい北風が逃げ惑う大納言邸の人々をあざ笑うかのように火を吹き飛ばし、焚きつけて、東や西の対屋まで焼きつくすのにそう時間はかからなかった。

 夜半近くに出火して、東の空が明るくなるころには、大納言邸は大きな柱だけを残して真っ黒な炭と化していた。

 皆が寝静まって手薄だったうえに、大納言が御所に詰めていて留守だったのも、被害が大きくなってしまった要因なのだろう。沙那は、乳母や小梅と一緒に庭へ非難し、額と腕に数か所やけどを負っただけで難を逃れた。

 しかし、逃げ遅れた母親は、下働きの男たちがなんとか救出したものの、体や喉が焼けてしまっていて数日苦しんだ末に絶命したという。


「火事のあと、わたしは最期まで母上にお目通りかないませんでした。お姿があまりにも凄惨だったと女房から伝え聞いたので、父上が配慮してくださったのでしょう。だから、母上の優しいお顔だけが記憶に残っています」


 沙那の声は、いつもの快活さとは違って寂しい響きを伴っていた。たった八つで想像を絶する体験をしたのだから、こうして冷静に話していること自体が不思議なのではないか。

 八条宮には、話にじっと耳を傾けるしかなす術がない。
 同情や慰めといった類の安易な言葉を言ってはいけない。そう思って、口を挟めなかったのだ。


「後ろ髪は、禊にいいとされる日に母上の供養のために削いでいます。母上もよく、わたしの髪をきれいだとほめてくださいましたから……って、ごめんなさい。暗い話になってしまいましたね」


 沙那は、重たくなった空気を変えるように笑って八条宮に背を向けた。半ば手探りで寝床の脇から上掛けの袿を取って、八条宮の体にかぶせる。そして、枕の位置を整えて八条宮の隣に仰向けに倒れた。

 しかし、枕に着地する予定の後頭部が八条宮の肩に乗ったので、びっくりして横を向く。すると、腰を抱き寄せられた。

 すぐ目の前に、自分にはないぼこっと浮き出た喉の突起があって、沙那は八条宮の腕の中に寝転んだのだと知る。密着した体の間で手のやり場に困って、しかしごそごそと動かすのも気が引けて、結局は胸の前で十字を組んだ。


「……腕、痛くありませんか?」

「痛くないよ」


 柄にもなくしんみりとした話をしてしまったから、いつもと変化のない八条宮の声色にほっとする。


「だから、あなたは夜の火を始末して眠るのか」

「はい。でも、明かりがないと不便ですよね。すみません、勝手なことをして」

「不便ではない。火の見回りが必要ないから、夜にぐっすり眠れて肌つやがよくなったと女房たちも喜んでいた」

「本当ですか?」

「うん」


 女房たちの顔が頭を巡って、沙那は思わずぷっと吹きだした。八条院の女房は皆、それぞれ個性はあっても善良でとても気持ちがいい。機知に富んでいて、たわいもないおしゃべりも真剣な話も面白くて有意義だ。

 沙那の笑いがおさまるのを待って、八条宮が言った。


「ねぇ、沙那。ここはあなたの邸でもあるのだから、夜の火も暮らす場所もなんでも自由に決めていいよ。ここから庭をながめるのが好きなら、北の対屋に戻らずにずっといればいい」

 沙那は、胸の前で組んだ腕を解いて八条宮の単衣の胸元を握りしめる。優しい言葉が心にしみて、上手く感謝の気持ちを伝えられない。沙那がぐっと涙をこらえていると、くるりと体が反転して、仰向けになった体に八条宮が覆いかぶさって来た。


「自由に決めてもいいと言ったが、少しだけ訂正してもいいかな」

「は、はい」

「俺が、あなたと一緒にいたい。だから、暮らす場所を北の対屋から主寝殿に移してくれないか?」


 真剣な顔で見つめられて、沙那は左胸がぱんっと弾ける音を聞きながら、こくこくと首を縦に振る。額の傷も火事のことも、不吉で忌むべき過去なのに……。



 ――依言様は、お気になさっていないみたい。


 それがとても嬉しかった。


「ありがとうございます、依言様。今日は、美味しいお菓子にこの世で一番好きなもの、それからほかにも、身にあまる幸福をいただきました」

「それは、俺のほうだよ」


 八条宮が沙那の喉元に顔をうずめる。そして、首の肌を吸いながら沙那の腰ひもを解いて、単衣の合わせから手をしのばせた。手のひらで胸のふくらみをなでられて、沙那の体がぴくり反応を示す。


「待ってください、依言様。むむむ、む、胸は、その……っ!」

「俺は気にしないと言ったはずだが」

「でも、恥ずかしくて。こっ……、心の準備が」

「そうだ、沙那」

「……はい?」

「もうすぐ、宮中で菊見の宴がある。あなたにも内裏からの書状が届くはずだから、女房たちと衣装を選んでおいて」

「わたしもその宴に行くのですか?」

「そう。あなたは宮家のしつで従三位の位にあるから、俺と一緒に帝の御前にあがるよ」


 会話に気を取られているうちに、単衣の衿が左右に開かれる。むき出しになった胸を隠そうとすると、あっさり腕をつかまれて敷布の上にのけられた。


「その話をしなくてはいけなかったのに、すっかり忘れていた」

「帝の御前にわたしが……。なんだか、とても緊張します」

「俺に胸を見られたり触られたりするよりも緊張するの?」

「そ、それは……!」


 くすっと笑って、八条宮が沙那にくちづける。帝と胸を比べるなんて失礼にも程がある、なんて思う暇もなく口の中を舌で蹂躙されて、胸の先端を指先で押しつぶされた。


「んん……っ」


 弾かれたりこねられたり、指弄されているうちにそこが固くなって刺激に敏感になる。それから、下腹部がじんとうずいて、触られていないはずの秘苑が湿る感じがする。

 単衣の裾を手繰った八条宮に太腿をなでられると、ぞくぞくとした気持ちよさが沙那の体を駆け巡った。


「はぁ……っ、ふ……っ」


 手が、肌の上をすべるように腿の内側をなでて下生えの奥に触れる。きゅっと閉じた脚の間で陰芯を探り当てられて、沙那は無我夢中で八条宮の衣をつかんだ。


「沙那、力を抜いて」

「は、はい」


 吐息まぎれの短い会話をして、また唇が重なる。
 口の中を舐め回されて、徐々に短く弾んでいく呼吸。思うように息継ぎができなくて、頭がくらくらとしてしびれるように麻痺する。そこに陰芯や蜜口を擦りあげられる刺激が加わると、恥ずかしいとか行為への戸惑いとか、もうなにも考えられなくなった。

 下腹部の熱が増して、指で触られているところから全身に快感が広がっていく。沙那の体から余計な力が抜けると、八条宮の指が昨夜の余韻の残る洞に沈んだ。


「は、っ……ふぁ、んん……っ」


 くちゅくちゅと淫らな水音を立てながら、指が気持ちのいいところを責めたてる。昨夜までなにも知らなかった狭い隘路をおし広げるように、指を増やされた。口の中では舌と舌がもつれて、きつく吸われて、体の奥を指先で丹念に擦られる。

 そして、どこかへさらっていくような快楽が波のようにおし寄せた瞬間、八条宮の親指が蜜に濡れて固くなった陰芯を押しつぶすようにして皮をむいた。


「ふんん――ッ!」


 視界が真っ白になって、自分の息の音も聞こえない。体がふわりと宙に浮いて、自分のものではないかのような感じがする。


「入れるよ」


 優しくて心地いい声が耳元でささやいて、蜜口に熱いものが当てられた。ずぷりと一気に貫かれて、朦朧としていた沙那の意識が鮮明になる。


「あぁああ……ッ!」


 昨夜のようなつらさはない。代わりに沙那を襲ったのは、また視界が弾けてしまうような鮮烈な快感だった。


「はぁ、っ」


 八条宮の吐息が聞こえて、お腹の下のほうがきゅんとうずくのを感じる。八条宮が、沙那の反応をうかがいながら動き始めた。


「痛くない?」


 沙那が頷くと、八条宮が体重を乗せるように腰を動かす。指とはまるで違う重量の熱塊が奥を突きあげ、肉襞を削る。動きは段々と激しくなって、ぐちゅぐちゅとした粘性の音を響かせながら沙那の体を揺さぶった。


「ああっ……んんッ」


 中を突きながら、八条宮が沙那の乳房を揉んでつんと尖った先端を指で弾く。また下腹がきゅんとして、さらなる快感が体中に飛び散った。


「……だ、め……っ」


 なにがだめなのが、訳の分からない拒否が口をついて出る。なにも悲しくないのに、目尻から涙がこぼれる。


「……沙那」


 八条宮が、沙那に覆いかぶさって繋がったまま抱きしめた。沙那は、反射的に八条宮の背に手を回す。


「依言様、大好きです」


 沙那が言うと、体の中にいる八条宮がぴくっと反応した。


「俺もあなたが愛おしいよ」


 体を起こした八条宮が、再び腰を動かし始める。さっきよりも激しい、膣壁をえぐるような抽挿に、沙那の体は快楽に耐えきれずがくがくと震えた。


「あぁあ……んっ、あぁんっ」


 体と一緒に視界が揺れて、意識が白いもやに飲み込まれる。奥で熱い飛沫が弾けるのを感じながら、沙那は絶頂した。






 ❖◇❖





 同刻、右大臣邸では右大臣が自慢の池をながめながら先程から幾度となく深いため息を繰り返していた。悩みの種が、心深くに根づいてしまっているのだろうか。

 彼の眉間には悩みと同じ深さのしわが刻まれて、肉づきのいい顔には険しい表情が浮かんでいる。右大臣の目下の悩みといえばただ一つ。内裏にいる一姫のことにほかならない。



 弘徽殿様が帝の御寝所に召されておらぬそうな。



 これは、このところ宮中でよく耳にするようになった噂だ。一姫は、妃たちの中で誰よりも早く入内し、長く帝の寵を独占してきた。時はたてども、帝はほかに目もくれないご様子。

 心配も焦りも必要はなく、やがて一姫が皇子を産みまいらせたあかつきには、帝が必ずやその皇子を東宮にしてくださる。右大臣はそう思っていた。

 国が建ち永年。
 すめらぎの権威とじんの権力は、もつれた糸のようにきつく絡み合って今日にいたっている。権力は皇の権威なくしては得られず、皇の権威もまた臣の権力なくしては保たれない。

 関白の座を狙う右大臣にとって、一姫の威光にかげりが見えるは由々しき事態であった。
 今、東宮に立つとすれば、先帝より親王に叙された八条宮依言だ。その八条宮が、大納言の娘を正室に迎えたことも右大臣の焦燥に拍車をかけている。

 大納言へのおそれはない。大納言は権力に無欲で、ひたすら主上につくすだけの善良な男だ。問題はそこではく、八条宮が東宮になれば、八条宮と薄縁の我が身の先行きは憐れ。関白の座は遠のいて、右大臣の地位さえも危うくなる。

 あと数日もすれば四姫が帝の尚侍として内裏にあがる。姉妹で寵を争うはいささか外聞が悪いが、前例はある。右大臣は、こめかみをおさえて深い深いため息をついた。





 そしてこの夜、内裏に異変が起きる。





 弘徽殿女御は、心して帝をお待ち申しあげた。しかし、いつもならとっくにお越しになっている刻を過ぎても御渡りがない。純白の夜衣に大人しい色目の重ねを着て、御座にじっと座る弘徽殿女御の手元を無情な時間が過ぎてゆく。

 どっぷりと夜がふけたころ、弘徽殿を訪れたのは帝ではなく典侍だった。入念に化粧を施しいつにも増して美しい弘徽殿女御に、頭を低くした典侍が淡々と告げる。


「帝は、麗景殿へお渡りになりました。今宵はもうお休みくださいませ」



   
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