第13話 蟲毒の返礼




 待ちくたびれた沙那が、小梅に促されて床に入ったころ。
 八条宮はというと、右大臣家の西の対屋をおとなっていた。燭台の明かりが細々と照らす薄暗い局で、黄熟香おうじゅくこうの香りが染みついた褥に仰向けになった八条宮の上で、四姫が陽根を咥えて腰を振りたてる。

 内裏にいる姉君と姿かたちは似ていても、中身はまったく違うらしい。八条宮が知るかぎり、四姫はほかの誰よりも男女の睦事に長けている。


「……ぁは、んッ、……ぅ、あッんんっ!」


 汗ばんだ四姫の両手に腹部を圧迫されて、八条宮の腹の筋肉が自衛するようにきゅっと緊張して硬くなる。久しぶりの逢瀬だから気持ちがいつも以上に昂っているのか、四姫があられもなく息と黒髪を乱して美しい顔を苦悶にゆがめた。

 そして、八条宮の腹に手をついたまま体をびくびくと震わせる。細い両腕の間で、たわわな乳房が窮屈そうに寄り添い合って、四姫の体の震えに照応するようにぷるんと弾んだ。

 気をやって脱力した四姫の茂みの中で、牡茎は陰孔にしっかりと咥えられたまま、収縮した肉襞がぎゅうぎゅうと絞めつけてくる。このまま快楽に身を任せてもいいのだが、今宵は泡沫うたかたの恋を楽しむためにわざわざ来たのではない。


「ねぇ、四姫。あなたの口で鎮めて」


 八条宮がそう言うと、四姫はどこか虚ろな目をして赤い唇を舐めた。ゆっくりと腰を浮かせて、名残惜しそうに喘ぎながら八条宮の牡茎を解放する。そして、八条宮の股間に顔を近づけるとそれを右手でそっと握って、根元から鈴口へ向かって舌を這わせた。それから、自分の淫靡な汁で濡れた先端を口に含んで頬をへこませながら、空いた左手をしとどに蜜を垂れる自分の女陰へと伸ばす。


「……は、ふ、っ……、んんッ」


 くぐもった声を出して、四姫が口と手の動きを速める。八条宮は天井の梁を見つめながら、腰を突き上げて四姫の口の奥で爆せた。

 秋めいてくると、夜半よわの月明かりはその色味を一段濃くする。池に棲む魚がぴちょんと跳ねれば、夜の暗がりよりも黒い水面に広がってゆく波紋が、月光によってくっりきと描かれた。見るのは二度目だが、やはり月を映す右大臣邸の池は明媚で、圧巻見事のひと言につきる。大きさも畔の曲線も、魚の泳ぎ方までなにもかもが完璧だ。

 池を持って帰るわけにはいかないから、これを参考に八条院の池も少し手直ししてはどうだろうか。
 八条宮は、頭上に八条院の景観を思い浮かべると、ふむとうなずいて表情を和らげる。というのも、沙那がよく八条院の池をながめているのだ。

 婚礼から、やがてひと月。
 待ち伏せまでして妻になりたいと迫ったくせに、沙那はあまり主寝殿に顔を出さない。北の対屋で、女房たちの輪に加わって衣服を縫ったり、指南を受けながら刺繡をたしなんでばかりいる。皆して、とても楽しそうに。声をかけようにもかけづらくて、結局、北の対屋の妻戸から沙那の姿を覗き見る日々だった。

 沙那は、手先を使う作業が好きなのだろう。見かけによらず器用だ。衣のほつれを綺麗に直してもらったと、玄幽が大喜びしていた。それから、渾身の力作「ミヤサマ」なる綿入りの人形を見せられたのだが、刺繍された目鼻立ちは麗しく、ちゃんとミヤサマの身丈に合わせた上品な色目の直衣を着せてあり大変よい出来だった。

 ナギがそれを口に咥えて引きずり回した挙句に踏んだり蹴ったりしたので、仕置に餌を二食抜いてやったのが四、五日前の話だ。

 沙那が主寝殿を訪ねてくるのは、日が落ちて辺りが暗くなってからだ。それも、ただ簀子縁すのこえんの端に座って、高欄から身を乗り出すようにして池を眺望するだけで、部屋の中には入ってこない。彼女いわく、主寝殿の廊下からのながめは、八条院で一番美しい景色なのだとか。

 沙那とまともに言葉を交わすのは、そのひと時のごくわずかな時間だった。もっとこう、積極的に攻めてくると思い込んでいただけに、肩透かしを食らって拍子抜けしてしまった。



 待て。



 俺はなぜ、沙那に相手にされない我が身を嘆いているのだろう。



 四六時中、わずらわしくまとわりつかれるよりよいではないかと、八条宮が眉間にしわを寄せた時、胸元からひと際大きなすすり泣きが聞こえた。

「……宮様」

 胸にしどけなく寄りかかった四姫が、「帰らないで」と声を震わす。八条宮の肩には女物の袿が掛かっていて、共に単衣姿の男女が身を寄せ合っている姿は、遠目に見れば別れを惜しむ恋人同士そのものだ。

 四姫の両目から零れた涙が、八条宮の単衣に吸われて染みを作る。しかし、うんざりするほど四姫の恨み言を聞いたあとだったので、八条宮は慰めの言葉をかける気も起きず、ただじっと簀子縁から池の揺らめきを見ていた。

 もうすぐ、宮中で菊見の宴がある。帝が殿上を許される従五位より上位にある臣をお召しになって、大殿で盛大に催される華やかな宴だ。

 四姫は、菊見の宴に近し吉日に、尚侍ないしのかみとしていよいよ内裏に上がるそうだ。間もなく主上より宣旨と従三位の位を賜るのだと、例の雅男みやびおが声高々に宿直所で話していた。


「四姫。今宵は、あなたの泣き顔を見るために来たのではないよ」
「……つらいのですもの。宮様のお帰りをお見送りするのが。もっと一緒にいたいのに……」


 細い指で上品に涙を拭って、四姫がゆっくりと顔を上げる。
 そう、恨み言を聞くためでも、そもそも戯れの関係を続けたくて来たのではない。沙那がいただいた菓子の御礼を四姫に頼もうと、わざわざ逢いに参じたのだ。

 八条宮は、緩く結ばれた四姫の腰紐を解きながら、華奢な体を簀子縁に押し倒す。八条宮の肩に掛けてあった四姫の袿が、月から隠すように二人の体を覆った。面倒な言葉や手間は必要ない。恨み言を吐いても、涙を流しても、こうして組み敷けばすぐに機嫌がよくなって素直になる。


「出仕するそうだね」
「はい。……実のところ、あまり気乗りがいたしませんの」
「なぜ? 帝に近侍するは名誉だろう」
「でも、宮中では……、こうして宮様とお逢いできないでしょう?」


 四姫が、悲しげに眉尻をさげる。八条宮は、一体何人の男に同じ科白を言ったのやらと嫌悪を含んだ冷めた感情を抱きながらも、それをおくびにも出さず四姫の白くなめらかな頬を撫でた。


「そう言わないで。近々、あなたに贈り物を届けてあげるから」
「……本当ですの? なにをくださるのです?」


 四姫は、今まで八条宮から文すらもらったことがない。一度目の逢瀬のあと普通はいただくであろう後朝きぬぎぬの歌も、思いを込めて六条院へ送った文の返事もついにもらえなかった。だから贈り物という響きが余計、魅力的に彼女の心をくすぐったのだろう。ぱっと火がともるように明るくなった美貌が、四姫の溢れんばかりの喜びを物語っている。


「尚侍になる祝いに、杜若かきつばたを描いた朱の漆箱を」
「まぁ、嬉しい……! 宮様から御心のこもった品をいただくなんて夢のようですわ」
「内裏で、あなたの身近に置いて大切に使ってくれたら本望だ」


 是非そうさせていただくと、四姫が微笑む。八条宮が、柔らかな太腿ふとももを持ち上げて体を両脚の間に滑り込ませると、四姫の眉根が寄って朱唇から切なげな吐息が漏れた。


「必ず、あなたのそばに置くと約束してくれ」
「……んっ、お約束いたします、わ……、宮様」


 ふと、脳裏を沙那の寝顔がかすめる。どれほど時が経ったのか。池にばかり目をやってうっかりしていたが、空を見れば月が西の空に落ちかけている。


「……宮様?」
「もう夜が終わってしまうね」
「まだ……、まだ、よろしいのではなくて?」
「いや」


 体を起こして背を向けた八条宮に、四姫が「また逢いに来てくださる?」と手を伸ばす。ほっそりとした四姫の腕は、まるで大樹に寄生するつたのように八条宮の胴にまとわりついた。

 それをあっさり解いて、慣れた手つきで衣服を整える。そして八条宮は、再びすすり泣き始めた四姫を振り返りもせず、足早に右大臣邸をあとにした。

 都の大路をくだって小路を進み、八条院に帰り着くと邸は真っ暗だった。以前は女房たちが灯篭に火をともしておいてくれたのだが、沙那が住むようになってからは就寝の刻に邸中の火が消されるようになった。

 少し前に理由を聞いたら、人手が薄くなる夜に火があると火事になりそうで怖いと答えが返ってきた。

 月明かりを頼りに主寝殿へ向かう。途中、北の対屋の前にさしかかって、八条宮は無意識に足音を消そうと努めている自分に気づいて驚いた。

 正妻を迎えたからといって、戯れの恋を愉しむのは別に悪いことではない。貴族の妻なら当然、見て見ぬふりをしてうまくやり過ごすもの……。

 しかし、なぜ俺は盗人のようにこそこそとしているのか。まいったな……、と八条宮が頭を掻いたその時だった。


「……ま、……か、……すね」


 背後から、ひたひたと足音がして奇妙な女の声が聞こえる。あまり目に見えない存在ものは信じない性質たちなのだが、なぜか今夜は胸騒ぎがする。

 いや、婚礼後しばらく邸で自適な生活をしていたから、久しぶりの外出に疲れているだけだ。きっと空耳だろうと、歩みを止めて振り返る。すると、暗がりに白い女の顔がゆらゆらと陽炎のように浮かんでいるではないか。


「……ひっ」


 思わず、八条宮の口から似つかわしくない素っ頓狂な声が出る。
 刻は丁度、丑三つ時。物の怪が徘徊する絶好の刻だ。背筋がぞっとして、恐怖のあまり足がすくんで動けずにいると、女が目を細めてケタケタと笑いながら近づいてきた。ついに八条宮は腰を抜かして、尻もちをつくようにその場にへなへなと座り込んでしまった。


「依言様」
「……は?」
「どうしたんですか? そんなに怖い顔をして」
「……なに? さ、沙那?」
「はい、わたしです」


 沙那が、すぐそばに正座して持っていた手燭を床板の上に置く。心臓が、ばくばくと別の生き物のように肋骨の内側で暴れて、今にも口から飛び出そうだ。顔の下に手燭の明かりをかざしていたから、暗闇に顔が浮いているように見えたのだろう。本人に悪気はないのだろうから、無礼者と一喝する気も起きない。


「お、驚いた」
「ごめんなさい。まさか、腰を抜かすとは思わなくて」

「あ、いや、考え事をしていて、あなたの気配に気がつかなかった。先ほどは、なんと言ったの?」
「今お帰りですか? 遅かったですねって」

「……あぁ、そう。少し、用が……、あってね」
「そうでしたか」


 ようやく落ち着きを取り戻した八条宮が、ふぅっと大きく深呼吸する。ちらりと見ると、沙那が「お帰りなさい」と笑顔を返した。


「もしかして、寝ずに待っていたの?」
「はい、眠れなくって」

「そう。それは悪かったね」
「本当に悪いと思ってます?」

「もちろん、思っているよ」


 笑顔から一転、沙那の目が細くなって「信じられない」と表情が訴える。秋空のように、ころころと色を変える顔がなんだか面白い。本当に思っていると念を押すと、疑いは晴れたようで、うわぐすりを塗ったように艶のある瞳がじっと見返してきた。

「では、依言様」
「なに?」

「罪滅ぼしをしてくださいませ」
「罪滅ぼしだと?」

「はい。一緒に……、わたしと一緒に寝てください」


 夜着の袖を手繰り寄せて、たもとを両手の指でもじもじと揉みながら沙那が言う。沙那は好意を隠さないが、こういうことにはとても奥手だ。だから、勇気をふり絞っているのが分かって、こっちまでつられて気恥ずかしくなる。

 八条宮は、返事をする前に直衣の胸元をつまんで匂いを嗅いだ。衣には、黄熟香の香りがはっきりと染みついている。


「あ……、やっぱり一人で寝ます。お疲れでしょうし……」


 沈黙を拒絶と受け取ったのか、沙那は落ち込んだようにうなだれて顔を伏せてしまった。沙那が悲しい顔をするのは、どうも心地が悪い。八条宮は、床に置かれた燭台を手に取って沙那に「持て」と渡した。


「湯殿に行ってくるから、俺の寝所で待っていて」
「依言様の寝所にですか?」

「北の対屋では、すぐにあなたを女房たちに取られてしまうからね。明日は、俺と一日一緒にいてくれないか?」

「一日って……。明日は、御所に行かないのですか?」
「物忌み、方塞がり、仮病。もっともらしい理由を考えておくよ」

「よろしいのですか? わたしはとってもとっても嬉しいですけど」
「主上は優しい御方だから、きっと目を瞑ってくださる」


 沙那の瞳が、きらきらと輝く。八条宮は、立ち上がって夜空に目を向けた。月も星も綺麗に輝いて、雲一つ見当たらない。明日も天候に恵まれたなら、沙那に夏のことを話そう。純粋な気持ちで俺を好いてくれている沙那に、ナギと見たすべてを――。


   

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