第07話 宮様の秘事





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 婚礼まであと二日となった日の夜。
 八条宮の姿は、宮中にあった。天から地を焼き尽くすかのような日差しが降り注いだ日の夜は、熱が地上にわだかまって、じっとしていても汗ばむほど暑い。

 そんな不快な気候もなんのその。
 御所の一角にある宿直所では、年の近い貴族の子息が数人集まって、風流な恋話に花を咲かせていた。武勇伝のように意気揚々と語る者もあれば、情緒に訴えかけるような切ない想いを吐き出す者もある。しかし、彼らの話に出てくる姫君の名は耳に馴染んだものが多く、内容も代り映えしない。


 ――つまらないな。


 八条宮は、蝙蝠かわほりで口元を隠して大きな欠伸あくびをした。それに気付いた公達のひとりが、ぱちんと扇を閉じてにやりと口角を上げる。
 彼は、今上帝が寵愛する弘徽殿女御の兄で、端正な顔立ちをした雅男みやびおだ。華があり、人柄は良いが良過ぎる事も無く程よい軽薄さがあって、宮廷では男女問わず大変もてる。


「我々の話は退屈か? 宮」
「そうではないよ」


 にこやかに笑って誤魔化すと、八条宮は立ち上がって宿直所を後にした。向かう先は内裏の中枢にある中殿。御所を退出する前に中殿に参るよう、主上から言われていたのだ。
 そろそろと廊下を歩く八条宮を、雅男が追って来る。彼は八条宮に近付くと、周りを警戒するように見回して扇を広げた。


「妹が宮に会いたがっている」
「妹とはどちらだ。弘徽殿こきでんの御方? それとも四姫しのひめ?」

「恐れ多い事を申すな。四姫に決まっているだろう。八条院に文を出しても一向に返事が来ぬとすっかり意気消沈して、ずっと部屋に閉じ籠っておるのだ。可愛い妹がああもしおれていると、わたしまで胸が苦しくなる。頼む、今宵私が手引きするから妹に会ってくれないか」

「悪いが、俺は婚礼を控えている身だ」
「宮、なぜ大納言家の姫なんだ? 乳臭いガキだって噂じゃないか。宮にはもっと相応の華やかな……」


 琥珀色の瞳が冷たい視線を放って、雅男はごくっと生唾を飲んで口をつぐむ。美しい顔に浮かぶ表情は穏やかで、口調も優しいのに、異質な目の色のせいか、時々、怖くて背筋がぞっとする時がある。

「俺の妻をそのように言うのは、八条宮家への不敬では? あなたとは古い仲だから多少の無礼は許すけれど、度が過ぎては看過しないよ」
「……す、すまない。けなすつもりはなかった。私はただ」
「話はそれだけ? 主上に呼ばれていてね。もう行ってもいいかな」


 雅男の言葉を遮って、八条宮は歩き始める。四姫の顔を思い出そうとしても、記憶にはその欠片も残っていない。共に過ごす戯れの時間が終われば、漠然とした「美しい姫」という分類の中で、みんなあくたのように消えてしまうのだ。

 釣り灯篭が揺れる内裏の渡り廊下を歩いていると、庭から甘い花の香りが漂ってきた。見上げれば、空には綺羅星が煌々と輝いている。しかし、鼻の奥でかすかに雨の香がくすぶる。今夜も雨が降るのだろうか……。

 元服した日と同じ匂い。加冠の儀を終えた夏の夜、添臥そいぶしに選ばれていた姫が死んだ。


「八条宮様?」


 女の声に、八条宮ははっとして振り返る。そこには、良く見知った女官が座っていた。彼女は弘徽殿女御に仕える命婦みょうぶで、数年前まで常陸宮家に仕えていた。年の頃は八条宮より五つ上の二十五。所作も話し方も、帝の妃に仕えるに相応しく落ち着いた風格を漂わせている。


「何度かお呼び申し上げたのですが」
「空の星に見入っていた」

「主上と弘徽殿女御様が、中殿で八条宮様を待ちかねておられます」
「そう」


 八条宮様、と命婦が何かためらうように飾り紐を垂れた檜扇を広げて顔を伏せる。八条宮は命婦に近付いて屈むと、檜扇に隠れた彼女の顔を覗き込んだ。


「……八条宮様。おっ、御文をいただきましたが……」
「返事を聞かせてくれるの?」

「はい。……つ、慎みまして」
「では、その刻に妻戸の掛け金を外しておいて」

「ひとつだけ懸念がございます」
「なに?」

「女御様は、不埒な振る舞いを嫌っておられます。知られたら……、お叱りどころか出家せよと言われてしまうかもしれません。そうなったらわたくしは……」

「今宵は弘徽殿女御を召すよう、昼のうちに主上へ進言しておいた。お召しの知らせは無かったか?」
「ございまして、女御様はこのまま明朝まで中殿にお留まりに」

「ならば心配はいらない。主上は絶対に、朝まで女御をお離しにならないからね。あなたは人払いをして、ただ自分のつぼねに籠っていればいい」
「は、はい」

「ああ、そうだ。用済みになった俺の文は、燭台の炎で焼いておけ。残しておいては、あなたの害になる」
「おおせのままに」


 さて、と八条宮は何食わぬ顔で中殿に入る。
 中殿の御座おましには、祝いの席に並べられるような膳が置かれて、上座に主上、几帳を隔てて弘徽殿女御が座していた。
 主上は、いつまでも独り身でいる弟宮を気に掛けていた。それが信頼をおく大納言の娘と縁を結ぶというので、主上の喜びは一入ひとしおだった。

 婚礼の後、八条宮はしばらく参内しない。先立って八条院へは祝いの品などを届けたが、やはり幼き頃より共に過ごしてきた弟宮の門出を祝いたいと、ささやかながら席を設けたのだった。


「婚礼の準備で忙しいだろうに、呼び立ててすまないね」
「いいえ、主上。直々に御祝いいただけるとは、身に余りある光栄です」

「それは言い過ぎだろう。私はそなたの兄なのだから、祝福するは当然のこと。大納言の娘ならば、奥ゆかしく気品ある方なのだろうね」
「……ええ、まぁ」

「何ともめでたい。いつか、私にも会わせなさい」
「妻をですか?」
「そう」

「どうでしょう。沙那姫はとても恥ずかしがり屋なので、やしきから出たがらないと思います」
「そんなに奥ゆかしいの?」
「はい。ですので、とても主上の御前には……」


 いつもは楽しいはずの兄弟の会話が、今はとても息の詰まる言葉の応酬のように感じる。姿は見えねども、几帳の向こうに弘徽殿女御がいるからだ。どのような顔をして聞いているのだろうか。ここ数年、直に見ていない弘徽殿女御の顔を思い浮かべて、右手に持った箸を置く。一夜限りの相手の顔はすぐに忘れても、弘徽殿女御だけは特別だ。

 八条宮は盃二杯だけ酒を呑むと、おふたりの邪魔をするのは悪いと言って主上の御前を辞した。中殿を出て、月が照らす庭におりる。そして、目を瞑っていても歩けるほど勝手知ったる内裏の庭を歩いた。

 弘徽殿の前を素通りして、足早に女官たちの宿舎へ向かう。命婦は、弘徽殿に一番近い局を与えられている。八条宮は、辺りに人影が無い事を確認すると、命婦のいる局のきざはしを上がった。

 掛け金の外れた妻戸から中に入って、誰も入って来られないように掛け金を掛ける。四方を几帳に囲まれて、燭台の明かりが煌々と灯る局の奥で、命婦が心細そうな面持ちで座していた。


「待たせたね」


 軽やかに笑って言葉を掛けると、不安から解放されたのか、命婦がうっすらと頬を染めてうっとりとしたまなざしを向けて来た。
 命婦の背後に腰をおろして、絹のような黒髪を掻き上げる。たったそれだけでぴくりと肩を震わす命婦の様子が、不埒な振る舞いを禁じられた憐れな身の上を物語る。


「あなたのように華麗な人から恋の愉しみを奪うなんて、とんでもない主人だ。弘徽殿女御は」
「い、いいえ。女御様は帝に操を捧げる高潔な方です。仕えるわたくし共もそうあらねば……」

「それは、あなたの本心?」
「もちろんでございます」

「俺は嘘が大嫌いだ。あなたの懸念は、女御のお叱りだけだったね。俺が婚礼を間近に控えている身である事、宮中にいるあなたが知らないとは思えないのだが」

「そっ、それは」
「易々と俺を受け入れておいて、女御の高潔も何もないだろう」


 八条宮は、命婦の白い首筋に顔を近付けて甘く嚙みついた。舌先で肌をくすぐって、強く吸いつく。その甘美な痛みに、命婦の眉根が寄る。


「……っ!」


 命婦の薄い皮膚の下で、頸動脈がどくんどくんと脈打つ。くっきりと首についた赤い痣。ふたりの視線が、命婦の前にある鏡台の丸鏡の中で交わった。


「……八条宮様」
「ねぇ、命婦。あなたはどうして弘徽殿女御の元へ? 以前は、常陸宮家にいたはずだが」
「それは、夏姫様が急逝なされて……、ぁんっ!」


 首筋から耳の下を舐められて、命婦の声がうわずる。いつの間にか袴の腰紐は解かれ、乱れて開いた単衣ひとえの衿から乳房がこぼれていた。

 羞恥に目を背けたくても、美しい琥珀の瞳が鏡の中で視線をとらえて離さない。耳たぶを食まれながら間近に八条宮の吐息を聞き、胸の頂をきゅっと強く摘ままれる。


「はぁ、っ、あ……、んっ」


 八条宮は命婦の衣を剥いて、しなやかな曲線を描く肢体を鏡越しに視姦しながら秘苑に手を伸ばした。可憐な見かけとは裏腹に、しっかりと生えた恥毛を撫でて恥骨の奥を探る。あわいの間で尖る硬い蕾をこねると、命婦は白い喉をのけ反らせて悶えるような喘ぎ声を漏らした。


「次は、どこに触れてほしい?」
「わ、わたくしは……、ふ……ううっん」


 秘苑を触っていた指を口に押し込まれて、命婦の目が潤む。命婦は舌を絡めると、別のモノを強請るようにその指をしゃぶった。


「この先を望むのなら、真の主人が誰なのか……よく思い出せ。あなたが思い出したら、また会いに来るよ」


 鏡の中で八条宮の顔がくしゃりとほころぶ。命婦は魂を抜かれたような顔をして、指を咥えたまま「はい」とか細い声で返事をした。


   

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