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第04話 宮様の求婚(1)




 夜を徹して八条宮の帰りを待っていた疲れもあって、沙那は気を失ったまま深い眠りに落ちた。寝ても覚めての宮様一筋の彼女が眠りの底で見るのは、やはり八条宮依言の夢だ。



 ――宮様はなんて素敵な御方なのかしら。



 見た目や身のこなしはもちろん、穏やかな話し方や細やかな仕草の一つ、どれを取っても優雅なのに、きぬ越しに触れる体はたくましくてとても男らしいの。銀糸のような御髪が結いあげられたうなじは鳥肌が立つくらい美しくて、女の人みたいに甘い花の香りがする。

 夢の中で、米俵のように担がれた沙那が八条宮に首に腕を回し、ぎゅっと抱きついてうなじの香りに嗅覚を研ぎ澄ましたとき、遠くで人の話し声が聞こえた。


「……るの?」
「……せん。またご覧のとおりでございまして」
「そう。お前はひさしに出て待っていなさい」
「はい。かしこみまして」


 宮様と小梅の声?
 香りを含んだ微風がふわりと鼻先をくすぐって、すぐ近くに人の気配がする。衣に焚き染められたお香の匂いかしら。

 意識がぼんやりと夢からうつつへ戻ろうとすると、そっとひたいをおさえられた。肌の感触で、それが手の平だと分かる。



 ――あたたかい手。



 まどろむ意識に、ふと懐かしい映像が流れ込む。起きなさい、沙那。もう朝ですよ。優しい声で毎朝起こしてくれた、懐かしい母親の記憶だ。沙那の母親は、彼女が八つのときに火事で亡くなった


「……うえ」
「なに?」


 鮮明な八条宮の声に、沙那が驚いてぱっと目を開ける。顔を声の方へ向けると、額から手がすっと離れた。


「ようやく起きたな」
「……宮様?」

「このまま昼まで眠るのではないかと心配した」
「ご、ごめんなさい。わたしったら、あのまま寝てしまったのですね」

「ぐっすりとね。笑っていたようだけれど、楽しい夢でも見ていたの?」
「わたしの寝顔をご覧になっていたのですか?」
「まさか。やんごとなき姫君の寝顔を見るなど、そのようなはしたない真似はしないよ」


 八条宮が意地の悪い笑みを浮かべる。沙那は、仰向けの体に掛けられた自分の袿を両手でぎゅっと握りしめて、恥ずかしさに顔を赤らめた。きっとだらしない顔をしていたに違いない。無防備な寝顔を、よりにもよって宮様に見られてしまうなんて。

 八条宮の顔から視線をそらすように天井を向いて、それから部屋を見回す。
 天井や柱の白木は本来の色味を保ったままで、経年というものをまるで感じない。それもそのはず、八条院は八条宮が宮号を賜って御所を出たときに建てられた新しいお邸だ。ここは、宮様のお局なのかしら。それにしては、調度品などが少ない気がするけれど……。


「起き上がれるのなら、身支度をしてくれないか?」


 再び八条宮へ視線を戻して、沙那は気を失う前と八条宮の服装が変わっているのに気がついた。薄紫色の直衣に、烏帽子ではなく冠を載せた優美なお姿。夜には見たことのない装いだ。


「参内なさるのですか?」
「いや、大納言殿にお会いする」

「大納言って、わたしの父ですか?」
「そうだよ」

「どうしてですか?」
「その足では、約束を果たせないだろうから」

「いいえ宮様、ご心配にはおよびません。通います。絶対に、這ってでも百夜通ってみせますから!」
「心配はしていない。あなたのことだから、きっとそうするだろうね」

「では、どういったご用件で父にお会いになるのです?」
「あなたの行いに対する苦情を言うつもりはないよ。大納言殿に、あなたとの婚姻をお許し願おうと思ってね」

「……こんいん?」
「約束の百夜には満たないが、あなたを妻にする」


 ツマニスル。
 ツマって妻よね?

 ひょっとしたらまだ意識がちゃんと戻っていなくて、都合のいい夢を見ているのかもしれない。沙那はツマと言った八条宮の口元を凝視して、自分のほっぺたを指でつねった。いっ、痛い。夢じゃない!


「宮様、本気でおっしゃっています?」
「本気の本気で言っているつもりだ。八条院の周りを、夜な夜な物の怪が地を這ってうろついているなんて妙な噂が立ったら困るから」


 物腰の柔らかさとは裏腹に、絵に描いたように美しい八条宮の顔にはいつもの冷ややかな相が浮かんでいる。口調だって淡々としていて、こういっては失礼だが、とても求婚プロポーズしているといった雰囲気ではない。

 沙那は、八条宮の目をじっと見つめる。
 妻にしたいと願う人を物の怪とは言わないと思うの、普通は。わたしが一方的におしかけて迫った結婚だもの。宮様にとっては、嬉しくもなんともないわよね。

 でも、どうしよう。一生分の幸せを一気に浴びているみたいに嬉しい。宮様はいつも澄ましておいでだけれど、きっと心には温かな気持ちを秘めていらっしゃる。

 だって、毎夜待ち伏せする不審者を検非違使に突き出すことはしなかった。それに、帰ってこない日は一日もなくて、必ず目を合わせて言葉をかけてくださった。

 いつもと違うだとか、あなたのことだからとか、ちゃんとわたしのことを知ってくださっている。だから、わたしは宮様に会いたくて毎夜通ったのだもの。


「それで、あなたに心変わりはない?」
「ありません! 宮様の妻になることだけを考えて、今を必死に生きていますからっ!」
「足のほかに異常はないようだな、安心した。ほら、起きて」


 沙那が、さし出された八条宮の手をがしっと力強く握って体を起こす。八条宮は少しあきれた顔をしたが、沙那が言葉で感謝を伝えるとやんわりとしたほほえみを返した。


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コメント

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コメント一覧 (2件)

  • 好き!!!なんですの、すかいさんの相変わらず雅で美しい比喩は!( ;∀;)最高かな
    健気に待つヒロインがいるのに違う女を抱くというシチュエーション大好きマンなので、ほんと宮様最高( ˘ω˘ )こんな男が無邪気な少女に振り回されるの性癖過ぎてマジでニヤニヤ止まらないよね
    ありがとうございます♡

    • ちまき殿

      ぶぉおおおおおー!
      私も!私もそのシチュエーション大好物なのー!わー!ちまきさんと私のKUZUの魂がめっちゃ共鳴している!!🛎🛎🛎
      これを書きたくて、性風俗が乱れていた(言い方よw)平安時代を舞台にしているといっても過言ではない( ˘ω˘ )b
      うわーん!嬉しいよぉおお!
      ちまきさんとは、同級生を超えて性癖双生児(一卵性)だと確信したわ🥳🥳🥳
      こちらこそありがとうございます( ;∀;)❤
      テンションあがるー!!!!ヒャッホー!