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第02話 百夜待伏せ(2)




 いつの世も、推しに対する女子の情熱はすさまじい。沙那はまず、乙女心をわしづかみにした美青年について徹底的に調べた。

 八条宮はちじょうのみや依言よりこと様は、先帝が鍾愛なされた藤壺女御様がお産みになった第二皇子だ。元服と同時に親王宣下を受け、八条宮の宮号と所領を賜って左京の八条に居を構える独身貴族。

 ……というところまでは、誰でも知っていることだから容易に調べがついた。けれども、そのほかについては一切の情報がない。つまり、八条宮として御所を出たあとの一切が謎に包まれている。

 どうして、正一品の親王様が御所から離れた八条なんかに住んでいるのかしら。どうして、元服の折に添い臥がいなかったのかしら。肝心なことは不分仕舞わからずじまいだ。



 ――そんなところがまた、神秘的ミステリアスで素敵なのよ!



 ともかく、人生の中で花の盛りといわれる期間は短く、一刻たりとも時間を無駄にはできない。

 八条宮を見初めた翌日、沙那は意気揚々と八条院に恋文を送った。しかし一向に返事をもらえず、恋歌を書きつづった御文を根気強く送り続けて数カ月が過ぎる。

 八条宮は御年二十歳。とっくに正妻を迎えていてもおかしくない身分と年齢だ。これでは埒が明かない、そうこうしている間に宮様が結婚しちゃう! と焦った沙那はふるい立つ。あろうことか、八条宮邸の門前で彼の帰りを待ち伏せたのである。

 貴族の女性たる者、どんなに相手を恋しく思ってもじっと訪れを待つのが世の掟。自分から男性を訪ねるなんて、絶対にしてはならない愚行だ。当然、八条宮の沙那への反応は冷たいものだった。


曲者くせもの


 夜の静けさに似合う、うっとりするような低くて波のない大人の声。沙那が初めて八条宮からかけられた言葉には、明らかに非難と嫌悪のようなものが含まれていた。

 御簾越しではちゃんと見えなかった八条宮の秀麗な顔立ちに恍惚とする沙那と、突然現れた不審な女ストーカーに眉をひそめる八条宮。なんともいえない雰囲気が八条宮邸の門前に漂う。

 八条宮は、涼しげな表情をした顔の鼻頭から下を蝙蝠かわほりで隠すと、琥珀色の瞳で冷ややかに曲者の頭頂から足先までを見た。身なりからすると、それなりの家門の者なのだろう。

 しかし、女性が夜歩きしたうえに顔をさらして男を待ち伏せするなど常識では考えられない。今までしつこく言い寄られたことはあっても、自邸にまでおしかけられたのは初めてだ。



 ――これは間違いなく曲者だな。関わらないほうがいい。



 常識的で正しい判断をした八条宮が、近くにいた従者に検非違使けびいしを呼ぶよう命じる。

「まっ、待ってください、宮様。お願いです! 検非違使を呼ぶ前に、わたしの話を聞いてくださいませんか?」
「なぜ俺が、夜に待ち伏せするようなやからの話を聞かなくてはならないの?」
「うッ、それはですね……」


 沙那は、八条院の門をくぐろうとする八条宮を引き止めて、大納言藤原義明の娘だと身分を明かし、宮中での出会いから待ち伏せするに至った事情を、妻になりたいという熱い思いを、身振り手振り必死に説明した。そして、ますます不審がられた。

 しかし、それくらいでめげる沙那ではない。次の日もその次の日も、毎日のように八条院へ足を運ぶようになった。

 八条宮が帰ってくるのは、いつも決まって子の正刻を知らせる陰陽寮の太鼓が鳴ったあと、夜半を過ぎたころだ。

 夏の夜は、衣から出ている手や足を虫にかまれて痒みにもがき苦しんだ。秋の涼夜は風にたゆたう紅葉の音を聞き、盛冬の凍えるような極寒の夜はかじかむ手に息をかけながら、小梅と身を寄せ合って八条院の門の傍らで主の帰りを待った。


 振り返れば、なんという苦行であろうか。


 沙那も一応は摂関家と縁のある大納言の娘である。
 八条宮を見初めるまで、夜に自邸を抜け出したことは一度もない。夜闇の静けさと怖さに慣れるにも相当の時間が必要だったし、もう諦めようと思ったこと数知れず。

 しかし、彼女が八条院を訪ねるのには理由がある。はじめは無視か冷ややかな一瞥をくれるだけだった八条宮が、顔を見て声をかけてくれるようになったからだ。

 それは恋人への甘いささやきとは程遠い、一言二言のささやかな言葉だったのだが、沙那にとってはなによりも喜ばしい八条宮の変化だった。

 そして、春の盛りを過ぎて桜の花が散り始めたある夜、自分の胸ほどの高さしかない沙那を見下ろして八条宮がまいったなと小さく笑った。


「どうしても俺の妻になりたいの?」
「はい、どうしても」

「俺のことをなにも知らないのに?」
「これからお互いのことを知っていけばいいではありませんか。じっくりと時間をかけて」


「それもそうだが……。確か、宮中で俺を見初めたと言っていたね。ほかの者たちと同じように、あなたもこのめずらしい容姿に惹かれたのだろう?」
「ええ、まぁ、そうです」

「それなら、知らなくていいことは知らないままでいるほうが幸せかもしれないよ。あなたが望むなら、今から一夜の相手をしてやろうか?」

 八条宮の優しい表情と物腰に、くらりと目がくらむ。思わず「お願いします」と返事をしてしまいそうになるのは、月読尊の権化といわれる彼の神力だろうか。

 沙那ははっとして、だめだめだめ! と邪念を振り払うように首を左右にふった。美青年イケメンの魅力、恐るべし!


「嫌です。わたしは妻になりたいのです」
「なぜ、妻にこだわるのかな。恋人ならお互いに気楽でいいのに」

「ほかの人と……、その辺のにわかファンと一緒にしないでください。一夜の相手でいいのなら、恥を忍んで宮様をおとなったりいたしません。わたしは本気なんです」

「へぇ」
「信じてください。本気の本気なんです!」

「そうか。では、明日から一日も欠かさず、さらに百夜ここへ通ってみせて。通いきれたら、あなたの本気の本気とやらを信じるよ。北の方として八条院に迎えてやってもいい」

 驚いたように大きく開いた沙那の目を見て、八条宮が余裕の笑みを浮かべる。いくらなんでも、さらに百夜なんて無理難題をふかっければ、そのうち熱が冷めて大人しく身を引くだろう。八条宮はそう目論んだのだ。


「本当ですか?」
「俺は、嘘が大嫌いでね」


 優雅に蝙蝠を広げて、八条宮が邸の門をくぐる。遠ざかっていく背中に向かって、沙那は八条宮の目論見をはねのけるように諸手を挙げた。

 北の方――。
 すなわち正妻として迎えると宮様はおっしゃった。宮様との一生がかかっているのだもの。雨が降ろうと槍が降ろうと、必ずや百夜通いきってみせるわ!



 そして今宵は、八条宮と約束を交わした夜から数えること八十六日目の夜。
 雨降りやまぬ季節が過ぎて、日に日に夏の気配が色濃くなってきた。あともう少しで念願の百夜を迎える。そう思うと、夜の不気味さも恐怖もなんてことない。


「早くお帰りにならないかしら」


 しんと静まり返った八条院の門の傍らに立って、空に浮かぶ月をながめながらぽつりとつぶやく。

 宮様はどちらにいらっしゃるのだろう。
 異母兄であられる帝ととても仲がいいと聞くから、参内してそのまま御所にとどまっているのかもしれない。けれど、恋の噂がつきまとう宮様のことだもの、もしかしたら恋人の所へ行っているのかも……。

 ちくりとした切なさが、心に小波さざなみを立てる。
 わたしは宮様の恋人でもなんでもないから、よそに行かないでなんて我儘は口が裂けても言えない。宮様のお相手って、噂どおり美人で大人っぽい人ばかりなのかなぁ。


「はぁ……」


 無意識に出てしまう重たいため息。父上も小梅もかわいいと言ってくれるけど、それは身内だからで、美人とは程遠いことくらい分かっている。背も低いし、胸だってぺったんこだし……。

 裳着を済ませた立派な大人なのに、色気のいの字もないからいつも年齢より年下に見られてしまう。



 ――美しくて大人の雰囲気たっぷりの宮様には似合わないわよね、わたし。



 分かっているわよ、と足元の小石をつま先で蹴って二度目のため息をつく。そのとき、風もないのにざざっと竹垣がざわめいて揺れた。驚いて咄嗟に音のした方へ目を向けてみるが、ちょうど月が翳ってしまったせいでなにも見えない。


「みゃぁ」


 奇妙な声がして、ふさふさとしたものが切り袴の裾からふくらはぎをくすぐった。



 ――な、なに? なにかいる……っ!



 おそるおそる足元を見ると、宙に浮いた丸い金色のまなこが二つ、横に並んでこちらを向いているではないか。夜の都を徘徊するのは、強盗か物の怪の類と相場は決まっている。


「みゃあぉ」
「きっ、きぃやぁあああーッ!」


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コメント

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コメント一覧 (2件)

  • ああー!やっぱりこのお話大好き!
    沙那ちゃんが可愛すぎるし、宮様の余裕ある口調が大好きなんですよ私…♡
    顔がニヤけて戻らないww
    アニメで見たい〜!!!想像できるもん!!

    • ちまきさん

      めちゃくちゃ嬉しい!(≧▽≦)
      二人のキャラ感を増量するために、改稿しまくっちゃった(笑)
      読んでもらえて本当に幸せです🥳

      宮様の余裕のしゃべり方は私も大好きなんだけど、これが妻によって時々乱れるのが書いてて面白い🤣
      ちまきさん家のカップルもアニメで見たら絶対楽しいと思う!
      📢<誰かー!アニメ化してー!!

      いつもありがとうございます❤
      朝からめっちゃテンションが上がったぜ👍✨