第02話 百夜待伏せ(2)





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 右大臣の昨今専らの自慢は、邸にある大きな池と西の対屋に住む妙齢の四姫しのひめだという。ぎっとりと脂ぎった顔に鼻持ちならぬ喜悦の表情を浮べて、意気揚々と話す右大臣の声を御簾越しに聞いた。今日の昼、主上おかみと高官らが世間話をしていた時のことだ。


 八条宮はちじょうのみやは、単衣ひとえ姿のまま部屋を出た。そして、一段低い庇の間からさらにもう一段下がった簀子縁すのこえんの高欄にしどけなく体を預ける。


「なるほど」


 見てくれはウシガエルのようだが、右大臣の審美眼に狂いはないらしい。
 西の対屋から望む池は天を映す鏡のように雄大で、魚が水面を揺らすたびに崩れる満月は趣があって美しい。それに、四姫も話に違わぬ佳人だった。


 烏帽子を載せた八条宮の頭髪が、軒から差し込む月光を浴びて白繭糸のように清か銀の色に輝く。池を向く琥珀色の瞳は透き通る硝子玉のようで、整った彫りの深い面立ちからは硬質な男らしい壮齢の色気が漂っている。
 そして、浮ついたところの無いなぎのような雰囲気がまた、八条宮が月神の化身だとまことしやかに信じられている所以ゆえんなのだろう。


 きぃ、と錆びた金属音を立てて妻戸が開く。八条宮は、それを無視して揺れる池の水面に視線を送り続けた。


「宮様」


 耳に絡みつくような細い女の声がして、部屋から四姫が出てきた。四姫はそろそろと簀子縁に向かうと、はだけた夜着からぷるっとした白桃の胸をのぞかせて、主人に甘える猫のように体をしならせて八条宮に擦り寄った。


「もうお発ちになるのですか?」
「そうだね。もうじき、空が白み始めるから」
「……もう少しだけ、一緒にいて」
「日が昇ってから俺を帰しては、あなたの名に傷がついてしまうよ」
「意地悪をおっしゃらないで」


 面倒だな。
 そんな心裡とは裏腹に、八条宮のかんばせがゆりるとほころぶ。それを見た四姫が、魂を抜かれたように恍惚として艶めかしい息をはいた。


 姫、と宮が呼ぶ。すると四姫は宮の股間に顔を埋め、取り憑かれたように単衣をまさぐってためらいも無く陽物を口に咥えた。


「……っはぁ、宮様ぁ……、もう一度、抱いて」


 ちゅぱちゅぱと、それをすする四姫の甘い声と熱い息。
 八条宮の貌から、くゆる煙のように笑みがすっと消え去る。雛飾りのように美しいのは座っている時だけで、口を開けば・・・・・この通りだ。


 股にうずくまって無我夢中で淫猥な音を立てる四姫の後頭部に、氷柱つららの如く鋭い視線が刺さる。満月のような琥珀色の瞳はどこまでも寒々として、凍りついた水面のように無情だった。


「いいよ。あなたの望むままに」


 ついふらりと結ぶ一夜限りの浅いえにしに、心が躍り情が沸き立つ事は無い。儀式のように体を交えて、お決まりの科白を並べる。
 それが風流な泡沫うたかたの恋というもので、朝日に焼かれて夢と消え失せる儚い運命さだめにある。戯れの関係はいい。ややこしく考えなくても、時がちゃんと終止符を打ってくれるのだから。


「あぁ、上手だ……」


 火のつけ方までは良しとして、欲情をあおるには未熟な技巧がまどろっこしい。しかし、わざと喘いでやる。頬をへこませて、生温かい舌で舐めまわして、唾液を絡めて、細く白い手で必死にしごいて、男を快楽の果てに導こうとする努力を踏みにじるのは憐れというもの。


「手足をついて、俺にあなたの孔を見せて」


 八条宮がそう言うと、四姫は顔を上げて妖艶に笑んだ。そして、言われた通りに四つん這いになって尻を突き出す。八条宮は、四姫の夜着の裾を乱雑に捲り上げると、前戯を省いて唾液にまみれた怒張を孔に突っ込んだ。


「……ぁんっ!」


 口淫している間に女陰ほとを滾らせたようで、少しの摩擦も無くするりと奥まで導かれる。


「四姫、ここは庭先だ。声を出すと、人に気付かれてしまうからね」
「本当に意地悪な方……っ!」
「俺ではなく、あなたが求めたんだろう?」
「……ひぁ、っんん! あ、ああっ、宮さ……まぁ、あぁああんっ!」


 四姫の腰紐を手綱のように握って中を穿つ。この体位が一番いい。陰陽の反りが合って気持ちが良いし、何より、互いの顔を見なくて済む。


 そう言えば、四姫は帝の尚侍ないしのかみとして出仕すると風の噂で聞いた。身分と美貌、身につけている教養も主上に近侍するに申し分ない。右大臣としては、抜かりなく己が血脈を帝位に据えたいのだろう。しかし、四姫が幾人もの男を通わせている事は、若い公達の間では有名な話だ。主上の耳に届かぬはずがない。


 主上は高潔な御方であられるうえに、弘徽殿女御を格別にご贔屓なされている。残念ながら、いくら美しくとも四姫が主上の閨にはべるは叶わぬ夢だろう。


「あぁ、あなたの中はすごく気持ちが良い」


 小走りした後のような浅い息で言うと、それらしく聞こえるから面白い。八条宮は、程よく肉を付けた左右の柔尻に指先を食い込ませて、自分が良いように中を突いた。速度を上げる抽送に、陰陽の摩擦が熱を高める。


「……はぁっ、ぁんっ! 宮様……っ、いっ、いくぅうう……っ!」



 その時分、沙那は痛む足首を押さえてしゃがみこんでいた。驚いて絶叫した拍子に飛び上がって、着地した時に足をひねってしまったのだ。沙那の声を聞いて駆けつけた小梅が、傍らで心配そうにおろおろと狼狽うろたえる。

 竹垣から出て来たのは、物の怪なんかじゃなくてただの黒猫だった。子供じゃあるまいし、猫に怯えるなんて情けない……。足よりも、恥ずかしさで心の方が痛む。


「姫様、お邸に戻って手当てをしましょう。痛むのでしょう?」
「大丈夫よ。宮様にお会いするまで我慢する」
「……でも」
「ありがとう、小梅。本当に大丈夫だから」
「……はい」


 ここに着いて、どれくらいの時が経ったのだろうか。今日はいつもより帰りが遅い気がする。沙那は、空を見上げて月の位置を確認した。
 百夜欠かさず通っても、八条宮と会えなければその証明ができない。つまり、自分の努力だけでは果たせない約束なのだ。


 結局、八条宮の牛車が八条院の前に停まったのは、東の空がうっすらと白んで来た頃だった。今まで、こんなに帰りが遅い日は無かったのではないかと思う。


 牛車から降りた八条宮が、門の隅に座り込んだ沙那と小梅に冷ややかな目を向ける。沙那は八条宮が帰ってきた事に安堵して、少し疲れた顔に嬉しそうな愛らしい笑みを浮かべた。


「いたのか。懲りない人だね」
「百夜通うとお約束しましたから」

「明日こそ、俺は戻らないかも知れないよ」
「いいえ、宮様はちゃんとお戻りになります。嘘は嫌いだとおっしゃったし、わたしがここに通った八十六日、宮様が帰ってこなかった日なんて無かったもの」

「流石、その辺のにわかファンと一線を画しているだけの事はある」


 ふん、と鼻を鳴らして八条院の門をくぐろうとした宮が、沙那の横を通り過ぎて歩みを止める。そして、二、三歩後ずさって沙那を見下ろした。小梅は立って上位の者への礼をとっているのに、沙那は地面に尻をつけて膝を抱えるように座ったまま。いつもは小梅と同じように礼儀正しくするのだけれど、足がじんじんと痛んで立てないのだ。


「いつもと様子が違うな」
「そんな事ありませんよ。宮様が遅いから、待ちくたびれただけです」


 ぷくっと頬を膨らませて、沙那はわざと八条宮を上目に睨む。


「立て」
「へっ?」
「正一品の親王たる俺を、そのように座り込んだまま見上げるは無礼であろう。立て」


 御無体な、と心の中で泣きそうになりながら、しかし宮様の御顔を近くで拝する幸せが勝ってしまう。それに、宮様は何気なくおっしゃったのだろうけれど、「いつもと」だなんて嬉しい響きじゃないの!


「恐れながら八条宮様」


 小梅が、戦々恐々としながら深々と頭を下げる。八条宮は、沙那から目を離さずに「何だ」と返した。


「実は、姫様は足をひねってしまったようでして……。立ち上がれないのです」
「……道理で。何をしてそうなった」
「それが……、のそりと現れし黒猫に驚いて飛び上がったとかで」


 小梅の声に耳を傾けながら、八条宮が「黒猫?」と顔をしかめる。
 ああ、消えてしまいたいくらい恥ずかしい……。沙那は、八条宮の視線を避けるように顔を伏せた。すると次の瞬間、信じられない事が起きた。

 八条宮の影が顔に差して、手首をぐいっと引っ張られる。それから、ひねった足が一瞬だけ地面について、そのままふわっと体が宙に浮いた。何事かと見開いた視界に、八条宮のうなじが飛び込んでくる。まっ、まぶしいっ!


「お前も一緒に中へ」


 八条宮は小梅にそう言うと、米俵でも担ぐように軽々と沙那を抱えて八条院の門をくぐった。
 嘘……。宮様がわたしに触ってる! わたし、八条院に入ってる! 夢のような出来事に脳が痺れて思考が停止する。左胸がばくばくと狂った心音を奏でる。沙那は歓喜に打ち震えて、緩んだ笑みを浮かべたまま失神した。


   

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