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story 10




「唇、そんなに噛んだら傷になるよ」
「……あ、ああ。す、すみません」


 どうして謝るの、と仔犬みたいに可愛い笑顔が近付く。
 セックスの時の声が良くないって唾を吐きかけるみたいに言われて、紙くずみたいに捨てられた。それまでは、自分の感情に素直だったような気がする。だって、そんな記憶があるもの。

 素肌を見せて触れ合うのは、本当に信頼できる相手とだから出来る事で、とっても幸福な事なんだって実感していた。だから余計に、彼の言葉が、嘲笑が、楔のように強く心に打ち込まれたのだと思う。


「彩さんと、ずっとこうしてたいなぁ」


 体を繋げたまま、仁寿が覆いかぶさるように彩を抱きしめる。ぴたりとくっついた胸の皮膚を通して共鳴するふたつの鼓動。リズムも強さもばらばらで、ふたりが別の生き物だと訴えかけてくるみたい。

 ふかふかの枕の上で自分の頭のすぐ隣に埋まる仁寿の後頭部をそっと撫でる。汗ばんで、少しだけひんやりとした仁寿の肌に、体温を奪われるような気がした。


「先生……」


 壊れてしまった物が元の形に修復するのは、現実界では難しい事なんじゃないかな。それが人の心だったら尚更、現代の科学力を持ってしてもほぼ不可能に近い。


「何?」


 不眠になる度に、その場しのぎの最低な方法で壊れた部分を補強しながら生きてきた。何の解決にもならないってわかっているのに、苦しみから逃れたくて、睡眠導入剤を服用するように男と寝てきた。


「これで最後にしませんか?」
「しない。僕を嫌ってる感じはしないのに、彩さんはどうしてそんなに頑ななの?」
「それは……」


 理由は、はっきりしてる。
 どれだけ専門の病院を受診したって、何種類もの薬を試したって、結局はわたしが変わらなきゃ治らない。過去に縛られている限り、わたしはずっとこのままだ。


 だけど、それと先生は全く関係ないわけで。彩は、答えを考えあぐねて沈黙した。


「セックスの最中に言っても説得力ないかもしれないけど、僕は彩さんを大切に想ってるよ。彩さんが嫌がる事よりも、喜ぶことをしてあげたい」

「喜ぶ、こと……」

「あっ、喜ぶことってセックスのテクニックじゃないよ」
「わかってますよ」

「今すぐに僕を好きになるなんて無理だろうから、仮の彼氏ということで付き合おうよ」
「仮って」

「損は無いと思うよ。素直だし、家事も概ねこなすし、彩さんがぐっすり眠れるようにセックスも頑張るし」

「なんですか、それ」


 彩が肩を揺らして笑うと、仁寿が嬉しそうな顔をした。


「好きな人の笑顔って、どうしてこんなに素敵なんだろうね。見ているだけで幸せ」


 ちゅっと彩の唇を軽く吸って甘噛みして、仁寿が再び動き始める。少し反復すると、仁寿のペニスが彩の中で重量を増した。膣壁を擦るそれは、コンドームの存在を忘れてしまうほど熱い。

 上半身を起こした仁寿が、彩の両脚を大きく広げて太腿ふとももの裏を押さえる。そして、体重をかけてぐぐっと根元まで挿れて、ゆっくりくびれの辺りまで引いて、また一気に根元まで埋めた。

「ぁ……っん!」
「あぁ……、彩さんのナカ、すごく気持ちいい。すぐイっちゃいそう」


 仁寿が腰を打ちつける度に咥えたペニスがヌルヌルと蕩けた蜜口を擦過して、ぐちゅぐちゅと卑猥に恥蜜が溢れる。

 ああ、だめだ。イきそう。吐息に溶けそうな苦し紛れの声がして、何度も激しく奥を突かれた。


「あっ、んんっ……! せんせ……っ、だ、だっ、めっ……!」





◇◆◇





 くんくん。うん、無問題。何が悲しくて、朝6時に自分のショーツの臭いを確かめなくちゃならないの。

 彩は、ベッドの中でごそごそと下着を身に着けた。それから、勢いよく掛け布団をはぐって起き上がる。隣では、全長180cmの仔犬が全裸で丸まっていた。


「先生、起きてください」
「……う、にゃ」

「ほら、今日は木曜日ですよ。7時半から病棟の採血があるんじゃないですか?」
「……ぁあ、ぅん」

「指導医に怒られますよ」
「……うん」

「私、先にキッチン行って朝食の準備をしますね」
「……」


 だめだ、こりゃ。夜は元気バリバリだったのに。
 彩は仁寿に布団を掛けると、ささっと服を着て寝室を出た。リビングへ向かう途中で、脱衣所に立ち寄って洗濯機の中を覗く。昨夜から入れっ放しになっている仁寿と自分の服。ちらっと整髪料なんかが並んだ棚に置いてあるデジタル表示の時計を見て、液体洗剤と柔軟剤を順に投入する。そして、仁寿があくびをしながら廊下を通り過ぎるのを横目に、スタートボタンを押した。

 人の家の家電は、どうも使い勝手が悪い。スタートボタンを押したは良いけれど、なかなかドラムが回転しなくてやきもきする。しばらく様子を見ていると、ドアのロックサインが点灯して動き始めた。
 リビングに行くと、仁寿がキッチンで朝食の準備に取り掛かっていた。短いながら、黒い髪がピンピン跳ねていて可愛い。


「あ、おはよう、彩さん」
「おはようございます。洗濯機お借りしました。私が出勤する前に干しておきますね」
「助かるよ、ありがとう」


 にんまりと笑いながら、仁寿がトースターに食パンを二枚入れる。


「なんですか、その不敵な笑みは」
「彩さん、今日はここに帰って来るんだね」

「はい?」

「だって、洗濯物を干して仕事に行くんでしょ?」
「あ、ああ……、先生が明日……は当直明けだから、明後日病院に持ってきてくださっても」

「それでも良いけど、怪しまれるんじゃない? 竹内とか嗅覚鋭いから気付いちゃうかもよ。僕たちのただならぬ関係に」

「脅しですか?」

「違うよ。もしばれちゃったら、秘書さんの仕事に差し支えるんじゃないかなっていう僕のささやかな気遣い」

「もう、先生……」

 はい、と冷蔵庫から出したバターとジャムをカウンターに置いて、仁寿がお湯を沸かす。彩は、手際がいいなぁと感心しながらそれをダイニングテーブルに運んだ。シャツが後ろ前なのは……、まぁいいか。本人は気付いていないみたいだし。

 コーヒーのいい香りが漂ってきて、チンッ! とトースターが軽快に鳴る。仁寿が、焼きたてのトーストと生野菜が乗った皿とコーヒーをダイニングテーブルに並べた。


「彩さん、食べよ」
「はい」


 ふたりはダイニングテーブルで向かい合って、いただきますと声を揃えた。食べやすいように四つ切にされたトーストに彩りがきれいな野菜のサラダ。あまりパンは好きじゃないけれど、食欲をそそられる。


「この前は私の方が起きるの遅かったから気付かなかったんですけど、先生って寝起きが壊滅的に弱いんですね。当直の時どうしてるんですか?」

「そうなんだよ。目が覚めるまでがね……。当直の時は、当直室のベッドでは寝ないようにしてる。寝入っちゃうと、コールされてもすぐには頭が動かないもん。だから、医局のソファで座って仮眠とるだけ」

「体が痛くなりません?」
「もう慣れたよ」

「今日は鈴木先生と当直でしたっけ」
「そう」

「わぁ……。鈴木先生って引きが強いから、救急車とか急変とか眠れない夜になりそうですね」
「この前は、CPA心肺停止の救急搬送と救急外来で死んだって竹内が言ってた。今夜もそうだったら、有意義な当直だなぁ」

「先生たちのその感覚、素人からすると不思議です」
「経験って重要だからさ」


 あ、そうだ彩さん。仁寿が、コーヒーを飲んで口元をティッシュで拭う。


「今日はお昼から受診でしょ?」
「はい」

「帰って来るの何時? 僕、当直入る前にちょこっとお風呂入りに帰ろうかと思ってるんだけど」
「外来医事課の同期と、夜ご飯を食べる約束してるんです。だから、9時頃かもしれません」

「そっか、じゃぁ会えないね。今夜は彩さんひとりになっちゃうけど、ここの家、好きに使っていいから。ウイスキーと炭酸もあるし」

「……はい」

「駐車場は、僕が車停めてる所を使ってよ」
「……いいんですか? その、本当にここにわたしが住んでも」

「大、大、大歓迎だよ!」


 仁寿が「ごちそうさま」と言って席を立つ。空いた食器をキッチンにさげて、仁寿がダイニングテーブルに鍵をふたつ置いた。


「こっちがエントランスで、シリンダーキーが玄関だよ」
「わかりました」

「よし、僕は病棟の採血に行ってくる!」
「は、はい。やる気がみなぎってますね、先生」

「彩さんのお陰」
「よかったです、役に立てて。シャツは後ろ前ですけど素敵ですよ、頑張る研修医」

「え? 彩さん、早く言ってよ。経験って重要だとか真顔で語っちゃった……。恥ずかしいなぁ、もう」


 時刻は朝6時40分。
 遮光カーテンを開けたリビングに、オレンジ色の朝日が差し込む。あの重たいリュックサックを背負った仁寿を見送って、彩は二人分の食器を洗って二人分の洗濯物を干した。

 それから身支度を済ませたあと、一度自宅アパートに戻っていつものように車で職場へ向かった。信号待ちをしながら、何気なく今朝のひとときを思い出して表情が緩む。


「なんか、良いなぁ。こういうの」


 無意識に出た言葉に気付かないまま、彩はアクセルを踏んだ。


   
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