第四章 ◇第09話





 王宮のにぎやかさとは打って変わって、外廷では刑の執行が粛々と行われていた。十日ほどをかけて罪人たちは順に首を刎ねられて、いよいよエフタルやその一族が刑場にずらりと並んだ。

 アユルは刑場に赴いて、冷ややかな目でエフタルを見下ろした。地下牢に閉じ込められて、すっかり精神が衰弱したと聞いていたが、エフタルはしっかりと自我を保っていた。


「……若造めが」


 呻る獣のような声で言いながら、エフタルがアユルをにらむ。ラディエがエフタルをとがめようとするのを制して、アユルはエフタルに冷笑を返した。


「余は、お前があの世でも万死の苦しみに喘ぐことを切に願っている」
「おのれ……。四家の身分を、アフラムの家門を軽んじた報いを受けるがいい」


 エフタルの視線が、ゆっくりとアユルの斜め後ろに逸れる。アユルは、ラディエが手に持っている刀の柄をつかんで素早く鞘から引き抜いた。


「その侍従は」


 エフタルが口を開くと同時に、磨かれた刀身が閃光を描いて空を切り、胴から離れた首が高く飛んで地面に落ちて転がった。瞬きにも勝る刹那の出来事だった。


「宰相」
「……は、はい、陛下」
「この者を埋葬すること許さず。朽ち果てるまで荒地に晒せ」
「お、おおせのままに」
「どうした、声が震えているぞ」


 エフタルの血で汚れた刀を投げ捨てて、アユルは「続けろ」と命じて刑場をあとにした。その足でアユルは王宮の裏門に向かい、コルダは牢へ急ぐ。

 朝からどんよりとしていた空から、ぱらぱらと小雨が落ちてきた。コルダは、独房の武官にアユルの書簡を見せてタナシアの身柄を預かると、人気のない庭を通って裏門を目指した。

 裏門は、妃や女官の遺体を運び出すための門だ。不吉の門であり、本来は誰かが死なない限り開くことはない。一歩出ると、どこへ続いているのか分からない道と木々が鬱蒼と生い茂る雑木林があるだけだ。昼間も日が当たらず、いつもじめじめとした不気味な雰囲気が漂っている。

 アユルが、門の近くにある古い枝垂れ桜の下で待っていると、コルダがタナシアを連れて早足で向かってきた。コルダは、タナシアを筵に座らせてアユルに礼をとった。その背後で、タナシアがおぞましいものを見るように表情を凍りつかせる。

 アユルの顔や薄い水色の着物に、赤いものが飛び散っていたのだ。それが血であることは明らかで、タナシアは迫る死に体を震わせる。
 アユルは、腰に差していた短刀をコルダに手渡して静かに命を下した。


「この者の髪を切り落とせ」
「はい」


 タナシアは気の抜けた顔で座ったまま、なにが起きているのか理解できずにいた。死罪になると伝えられてから、死を覚悟していた。父上と共に、一族を道連れに罪を償うのだと。けれど、切られたのは首ではなく髪だ。


「……陛下、これは」
「タナシアという者は、今ここで余が処した。お前はこの門を出て、外で待つ者と辺境の地へ行け」
「……わ、わたくしをお許しくださるのですか?」
「まさか。余は、裏切る者を絶対に許さない」
「では……、では、どうして」
「細かなことは、外の者に聞くがよい」


 アユルが、コルダに切り落とした髪を宰相に届けるように言って歩き出す。雨足が強まって、アユルの顔についたエフタルの血が水に薄まる染料のように流れた。


「陛下!」


 叫ぶように声を張り上げて、タナシアが立ち上がる。


「わたくしは、陛下に背いたことを心から悔いております」
「悔いているからなんだ。余は、お前に少しの情も交わす言葉も持ち合わせていない。未練を捨て、二度と余の前に現れるな」


 アユルは、タナシアに目も暮れず冷たく言い放って清殿の方へ足を向けた。玉砂利の音を奏でながら遠ざかる背を、記憶に焼きつけるようにタナシアが見つめる。しかし、次第に視界が涙で歪んで、アユルの姿はゆらゆらと揺れて幻のように消えてしまった。


「お急ぎください。人目については騒ぎになります」


 コルダが、裏門の鍵を開けて黒塗りの門を開く。タナシアは、コルダに「ありがとう」と言って門を出た。そこには、地味な色目の服を着たカリナフが、傘をさして立っていた。


「おいで、タナシア」


 カリナフが、タナシアにほほえむ。タナシアが驚いてためらっていると、重たい灰色の雲が千切れて、雲間から薄い光が差し始めた。





「それよりも、こちらがよろしいですわ」
「あら、そうかしら。貴妃様には派手すぎるのでは?」

『これ』
「さすが宰相様の姫君ですわ、カリン様。やはり貴妃様は、薄桃色がお似合いになられますものね」


 湯殿で身を清めてアユルが奥室に行くと、部屋一面に衣装が広げられて、女官たちがああでもないこうでもないと言いながらラシュリルを取り囲んでいた。あまりにも楽しそうな雰囲気に、アユルは声をかけそびれて部屋の入口にたたずむ。


「もしかして、私は邪魔か?」
「いいえ、そのようなことはございません。アユル様も一緒にお選びになられたらよろしいのです」

「あの輪に加われと?」
「ささ、アユル様。早く貴妃様のお近くへ」


 立ちつくすアユルの横で、コルダが「ごほほん」とわざとらしい咳をする。すると、驚いた女官たちが蜘蛛の子を散らすように壁際に退いた。


「おかえりなさい、アユル様」


 王宮にはまだ、外での出来事は伝わっていないのだろう。血なまぐさい外廷とは違って、こちらは常春の浄土だ。心からそう思えるのは、愛情と信頼で結ばれた生涯の伴侶を得たからに他ならない。アユルは、花のほころぶ笑みに誘われるようにラシュリルの傍に立った。


「衣装選びの続きを。私が選んでやる」


 カデュラスの夏は、灼けるように暑い。暑さに耐性のないラシュリルには、とても酷だった。普段は、単衣と赤い袴の上に透けるほど薄い紗の袿を羽織るだけの軽い装いで暑さをしのぐのだが、正式な場に出るとなるとそうはいかない。幾重にも重ねた絹織りの色目の美しさや華やかさを魅せて楽しむのが、この国の美意識なのだ。


「そこの袿を取れ」


 アユルが指さすと、カリンが床に広げられた白い袿を急いでかき集めるように抱えて手渡した。


「後ろを向け」


 ラシュリルは、言われたとおりに後ろを向いて姿見の前に立った。壁際に並んだ女官たちが、絵巻物でも眺めるかのようにうっとりとしたまなざしを二人にそそぐ。陛下と貴妃様の仲のよさは、女官の口から口へと伝わって、今では王宮に勤める誰もが知る事実となっていた。

 肩に純白の衣が掛けられる。ラシュリルがそれに袖を通すと、アユルが姿見を見ながら衿を整えた。それすらも、女官たちの目には想い合う者同士の阿吽の呼吸に見えてしまう。


「次は、あちらの青いものを」


 ラシュリルの黒髪を袿の外に流して、アユルがカリンに言う。同じようにそれを三回繰り返して、最後に桐箱に仕舞われていた葡萄色えびいろの衣が肩に掛けられた。それは、山葡萄やまぶどうの実のような深い赤紫色に白い丸牡丹の文様が入っていて、絹のなめらかな光沢が輝く美しい逸品だった。


「とても綺麗な服……」


 ラシュリルの表情が驚きと感嘆に満ちて、よく似合うとアユルが耳元で囁く。すると、二人の睦まじい雰囲気に水をさすように、女官のひとりが「陛下」と顔を引きつらせた。心なしか、その声は震えているようだった。


「葡萄色のお召し物は、王妃様にのみに許される高貴な身分の象徴でございます。なにかの手違いで紛れ込んでしまったようでして」
「手違いではない。私が工房の者に命じておいたものだ」
「さ、さようでございましたか。ですが、掟に反することですので何卒……」


 女官が、身を低くして訴える。しかし、アユルはそれを無視して「袖を通せ」とラシュリルに言った。


「でも、王妃様しか着てはいけないものだって」
「時代が移るうちに正妃へ下賜するのが通例となっただけのこと。皆、その通例を掟と思い込んでいるようだが、元々は意味合いが違う。本来は、王が選んだ者に下賜されるべきものであり、誰にこの色を与えるのかを決めるのは私だ。ほら、袖を通してみろ」


 ラシュリルは、困惑しながらも素直に従う。女官もそれ以上食い下がるようなことはしなかった。背後で、アユルが後ろ髪をすくうように手に取る。それに合わせるように、コルダがかんざしの並んだ盆を持った。


「髪を結って……。そうだな、髪飾りは控え目のものがよい。派手な装飾は、かえってそなたの美しさを妨げてしまうからな」


 姿見に映るアユルの表情に、ラシュリルはどきっとする。盆からかんざしを選んですくった髪に当てて、これではないとまた別のかんざしに手を伸ばす。真剣で、どこか楽しそうで、見ているだけで幸せな気持ちが胸にあふれる。


「この宴が、私たちにとって重要なものだと言ったのを覚えているか?」
「はい。妃としての威厳が必要な時もあるっておっしゃっていましたね」

「私が主催するとなれば、高家の者がこぞって顔をそろえる。そして皆、必ず娘を同伴するはずだ」
「それは、その……、アユル様とお引き合わせするためにですか?」
「そうだ」


 アユルがうなずいて、姿見の中で二人の視線がきつく交わる。アユルは髪飾りを置いて、不安げに瞳を揺らすラシュリルを後ろから抱き締めた。人目をはばからぬ行動に、女官たちが一瞬ぽかんと開口して赤くなった顔を慌てて伏せる。


「正念場だぞ、ラシュリル。私はそなた以外に触れたくはないし、そなたも同じ思いでいると信じている。私がどこにも行かずに済むように、そなたがしっかりしなくては」

「しっかりって……、どうやってですか?」
「私たちの間に他の者が入り込む隙などない。そなたこそが私の妻であると、皆に知らしめてやろう」

「まさか、そのために宴を?」
「察しがいいな。私は、意味のないことはしない。仮病で日を稼いだところで、そう遠くないうちに王妃を迎えろと迫られるからな。臣下たちが正妃の話を持ち出す前に、先手を打ったというわけだ。煩わしいことが続いたあとに邪気を払う儀式などと言えば、もっともらしいではないか」


 鏡越しに向けられる不敵な笑みと、左肩の辺りにとくんとくんと伝わってくる静かな心音。ラシュリルは、鏡の中のアユルを見つめる。

 アユル様はいつも堂々としていて、この世に恐れるものなんてないみたい。それに引き換え、わたしはどうなのかしら。いつもアユル様に守られてばかり。自分は役に立たないって諦めて……。大好きなのに、大切なのに、いつまで卑屈でいるのだろう。


 ――二度と悲しい雨の夜が来ないように、アユル様を守りたい。


 ラシュリルは、アユルの腕の中でくるりと身をひるがえすと、顔を上げてほほえんだ。


「アユル様。以前お断りした禄を少しいただけませんか?」


   

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