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第三章 ◆第06話




「もうお休みください、王妃様」


 カイエが、タナシアの肩に袿をかける。タナシアは、南殿の廊下に座って長いこと庭をながめていた。春めいてきた月明かりが、庭に夫の幻影まぼろしを描く。


 ――今頃、陛下は王女殿を……。


 体が覚えている夫の手の動きが、耳に残っている夫の吐息が、嫌でも淫らな二人を想像させる。タナシアは、きゅっと唇を噛んでなんとか正気を保った。明日の朝、夫に抱かれた王女の挨拶を受ける自信がない。けれど、王宮の規則は絶対で、そうすることで王妃の方が上なのだと示せる。


「カイエ」
「はい、王妃様」

「明日、王女殿がここに来る前に父上とお会いしたいのです。今から実家に使いを出してください」「かしこまりました。ですが、その前にお願いがございます」

「なにかしら?」
「春が近くなったとはいえ、まだ夜は寒うございます。早く床にお入りくださいませ」

 分かったわ、とタナシアは重たい腰を上げて寝所に向かう。そして、つい先日まで夫と一緒に眠った布団に横たわった。





 夜の清殿は本当に静かで、庭の築山にある滝の水音が寝所まで聞こえてくる。


「……あぁんっ!」


 四つん這いの姿勢で後ろからぱんっと腰を打ちつけられて、ラシュリルは絹の褥に突っ伏した。びくびくと震える背に、汗ばんだアユルの胸板が密着する。力なく投げ出した手に絡む指。耳をかすめる吐息。そのどれもが熱くてたまらない。


「アユル様……、もう、んっ」


 顔を横に向けて、はぁはぁと細切れの息をしながら許しを乞うと、息を奪う勢いで口をふさがれた。中を穿ったままの猛りに奥を突かれて、苦悶に喘ぐ。


「ぁ……ふっ、んんっ」


 うつ伏せの体勢で動かれると、いつもと違う所をえぐられて言葉にできない快感に襲われる。舌を深く絡めた濃厚なくちづけだって、体中がとろとろに溶けてしまいそうなほど気持ちいい。


「愛している」


 唇が離れると同時に、アユルが言った。
 今夜、何度目の「愛している」だろう。今日のアユル様は、なんだか変。ふとそんなことを思った瞬間、体を起こしたアユルが激しく動き始めた。徐々に上り詰めていく感覚に、ラシュリルはぎゅっと敷布を握り締める。


「あっ、あっ……、んんっ、だめ……っ!」


 抽挿しながら、アユルがラシュリルの上半身を抱きかかえた。弓なりにしなった体を、後ろから羽交い絞めにされる。その体勢で胸の尖りをこりこりとつままれながら、最奥を突き上げられた。ラシュリルは、あっという間に意識を手放してしまった。


「……アユル様」


 乱れた息の合間に夢見心地で名を呼べば、頬やうなじに優しいくちづけがおりてくる。体に巻きついた逞しい二本の腕。背中にぴたりとくっついた肌。汗の香りに胸がどきっとする。

 アユルが男根を引き抜くと、ラシュリルの蜜口から二人の体液が混ざり合った粘液がどろりと流れた。アユルは、くたっと枝垂しだれたしたラシュリルの体を仰向けに寝かせた。

 どれくらい時がたったのか。アユルは、ラシュリルが朝早くに華栄殿へ行かなければならないことを知っている。早く休ませてやりたいと思いながら、心ゆくまで愛したいとも思う。

 体重をかけないように覆いかぶさって、短い息を吸ったり吐いたりしている柔らかな唇に自分のそれを重ねる。それから首筋に顔をうずめると、ラシュリルの手が頭を優しくなでた。


「ああ、ラシュリルの匂いがする」


 ラシュリルは、アユルの頭をなでながら「よい香りですか?」と尋ねた。答えの代わりに、薄い唇が肌を辿って乳房を食む。

 じじじ、と燭台のろうそくから煙が一筋ゆるやかに立った。櫛形窓の真っ白な障子に、風にそよぐ木々の影が映っている。ラシュリルの視線がそちらに向いていることに気づいたアユルは、視界を遮るように顔を近づけた。


「なにを見ている」
「窓を。月明かりがとっても綺麗だから」


 アユルは、ラシュリルの頬に張りついたの髪を指でのけながら、ふっと軽やかに笑った。


「わたし、変なことを言いましたか?」
「そうではない。この世にこんなに美しい夜があるのかと、目を丸くしたそなたを思い出しただけだ」


 恥ずかしい、とラシュリルが上気する頬を両手で包む。アユルは、その手首をつかんで敷布に縫いとめた。続きを、と唇を重ねようとするアユルに、ラシュリルがきりっと鋭い目を向ける。


「アユル様、もうだめですよ。夜も遅いですし、これ以上は体が持ちません」
「私を満足させよと女官らに教えられなかったか?」
「まっ、満足って……!」


 ラシュリルは、顔を真っ赤にしてうろたえた。宝石を散りばめたような漆黒の瞳が、真っ直ぐにこちらを見ている。ラシュリルは、アユルの左肩に残る痛々しい傷跡にそっと触れた。


「痛くありませんか?」
「なんともない」


 矢が刺さった所の皮膚が、盛り上がって固くなってしまっている。アユルはなんともないと言うが、とても痛そうだ。


「傷が残ってしまいましたね」


 ラシュリルが、悲しそうな顔をする。アユルは、続きを諦めてラシュリルの横に寝転んだ。腕にラシュリルの頭を乗せて抱き寄せる。ラシュリルが、腕の中で甘えるように体を丸めた。





 翌朝、ラシュリルは早くに清殿を出て、清寧殿で湯あみをして身なりを整えた。そして、女官に言われた時刻にカリンと華栄殿へ向かった。女官たちがラシュリルを見て、眉をひそめてひそひそと口元を袖で隠す。

 華栄殿近くの渡り廊下にさしかかった時、後ろからカリンに袿の袖を引っ張られた。ふり返ったラシュリルに、カリンが前方を指さして「伏せて」と言う。華栄殿の方から、一人の男がこちらに向かってきた。


「あの方は?」


 ラシュリルが問いかけると、カリンは「いいから」と廊下にひれ伏した。只事ではないカリンの様子に、ラシュリルも慌ててひれ伏す。しばらくして、荒い足音が二人の前で止まった。


「これはこれは、キリスヤーナの王女ではないか。ああ、昨夜は陛下のご寝所に召されたのであったな。これから王妃様の所へ挨拶にうかがうのか?」


 男の衣から、奇妙で独特な香りがする。ラシュリルは、座ったまま男の顔を見上げた。ラディエとはまるで違う、温かみのない男の表情に背筋がぞくりとする。


「おや。まさか、私の顔を忘れたのか? お前が人質としてこの国へ来た日に皇極殿で会ったであろう」

「ごめんなさい。あの時は、皆様の顔を拝見する余裕がなくて……」

「では、よく覚えておけ。私はエフタル・カノイ・アフラム。この国の大臣であり、王妃様の父だ。お前のような異民族が、そのように許しなく顔を上げて私を見るなど言語道断。恥もなく陛下の傍にいるというのなら、カデュラスの礼儀をわきまえられよ」


 エフタルは、ふんと鼻を鳴らしてカリンに目を向けた。


「おお、そなたはラディエ殿の末の姫君ではないか。話には聞いていたが、なんとも憐れなことよ。このような厄介者の世話をおおせつかるとは。王妃様に上申して、実家に帰れるよう手配してもらうがよい。私からも折をみて王妃様に言っておこう」


 ふるふると、カリンが首を横に振る。エフタルは面白くなさそうな顔をして、王女を華栄殿へ連れていくよう言った。そして、立ち上がるラシュリルを舐め回すように見て、さげすむように笑った。しかし、ラシュリルが横を通り過ぎようとすると、エフタルは物の怪でも見たかのように顔を凍りつかせた。


「待て」
「はい。えっと……、エフタル様」

「その玉佩は、なんだ。なぜキリスヤーナの者がそれを持っている」


 これは、と答えようとするラシュリルの袖を引っ張って、カリンが「早く。時間」と口を動かす。エフタルはちっと舌打ちをして「早く行け」と顎をしゃくった。その様子を、向かいの廊下の角から見ていたアユルは、コルダを手招きで呼んだ。


「見たか、コルダ」
「はい。エフタル様は王妃様とお会いになっておられたようですね」

「夕刻にラディエとカリナフを清殿に連れてこい。よいか、エフタルが城を出たあとにだぞ」
「かしこまりました」

「私は朝議に出てくる。ラシュリルが清寧殿に戻ったら、あれを届けておけ」
「御意に」


 タナシアは、華栄殿の一室でラシュリルを待っていた。婚儀の日に賜ったあやめの扇からは、少しも桂花の匂いはしなくなった。


「陛下」


 か細い声が、爽やかな風に消える。望んで王妃になったわけではない。けれど、心惹かれてしまった。ぱちんとあやめの扇を閉じて前を向く。御簾も蔀戸しとみども上げられて、視界には白砂が敷かれた美しい庭が広がっている。

 昨日の宴の名残はとうに消え去り、澄んだ春鳥のさえずりだけがにぎやかだ。もう春ね、と独り言ちた時、衣擦れの音と共に王女が部屋に入ってきた。


「王妃様に、ご挨拶申し上げます」


 ラシュリルは、教わったとおりに下座に座って深く頭をさげた。王女殿、と声がかかって顔を上げる。ぱらりと開くタナシアの檜扇。美しい月夜の花が描かれていて親骨からきれいな飾り糸が垂れている。

 王妃様って、おいくつなのかしら。見た目には、年はそれほど変わらないような気がする。それなのに、あふれるような気品がまぶしい。見ているだけでどきどきしてしまう上品な所作に、ラシュリルの目が釘づけになる。タナシアが、檜扇で口元を隠してほほえんだ。


「あなたが気を遣ってはと、女官はさげてあります。楽になさってください」
「ありがとうございます、王妃様」
「これから長い時を共に過ごすのですから、仲良くいたしましょうね。さあ、近くにいらして」


 ラシュリルは、おずおずと立ち上がってタナシアの前に腰をおろした。


「あら、王女殿。衿が乱れているわ。わたくしが直してさし上げましょう」
「すみません、失礼なことを……。自分でいたします」
「いいのですよ」


 タナシアが閉じた檜扇を置いて、ラシュリルの胸元に手を伸ばす。白くて柔らかな手が、衿を整えながら下におりていく。ゆっくり、ゆっくり、腰帯に結ばれた玉佩を目指して――。


「今日は気候もよいので、あなたと庭をそぞろ歩こうかと思ったのですけれど、宴の疲れで体調が優れなくて」

「昨日もお加減がよくなさそうでした。大丈夫ですか?」

「ええ。こうしてじっとしていれば、なんともないのです。次の機会に、庭をご案内しますわね。王宮の庭は四季折々、いつも綺麗な花が咲いて見飽きません。もう春の花が芽吹き始めたころ。あなたにもぜひご覧いただきたいわ」

「王妃様とお散歩できるなんて、とっても嬉しいです」

「そう言っていただいて、わたくしも嬉しいわ。よかった、あなたが心穏やかな優しい方で」


 たわいもない会話をしながら、タナシアはラシュリルの玉佩をつかんだ。しっとりと肌になじむ鉱石の感触。そして、彫られた模様に赤い飾り紐。間違いない。これは清殿の書斎にあったもの。

 確信するとますます分からなくなってしまう。あの時、清殿にあったということは、キリスヤーナに行く前から陛下が持っていたということ。それが今、王女の腰にある。一体、どうなっているの?


「王妃様?」


 ラシュリルの声に、タナシアはびくりとした。それを気取られないように、自然な動作で玉佩から手を離す。嫌な予感がする。たった一夜のことで、世界が崩れてしまったような恐怖に飲み込まれてしまいそう。

 ああ、息が苦しい。陛下は、あなたが触れてもいいような御方ではないの。陛下にふさわしいのは、選ばれた高貴な者。王妃であるわたくしだけ。どうしてわたくしをこんな気持ちにさせるの?


「王妃様、具合が悪いのではありませんか?」


 ラシュリルは、タナシアの顔を覗きこんだ。タナシアは、目にじわりと涙をためて胸をおさえている。カリンに人を呼ぶように頼むと、すぐに華栄殿の女官が駆けつけた。


「せっかくお越しいただいたのに、見苦しいところをお見せしてしまってごめんなさいね。あなたもお疲れでしょうから、清寧殿へ戻ってお休みになるといいわ。わたくしも失礼して横になりますね」


 清寧殿に戻ったラシュリルは、カリンと縁側に座って一息ついた。
 何気なく腰帯に結んである玉佩を手に取る。お母様が高貴な人から譲り受けたという品。常に肌身離さず身につけるように言われてそうしているけれど、エフタル様も王妃様もこの玉佩が気になる様子だった。


 ――何か特別なものなのかしら。


 とんとん、とカリンがラシュリルの肩を軽く叩く。カリンは、眉尻をさげてひどく悲しそうな顔をしていた。


「どうしたの?」
『大丈夫?』

「わたしを心配してくれているのね。エフタル様の言葉は、気にしていないから大丈夫よ。ありがとう、カリン」





 その日の昼、華栄殿をカデュラス国王の侍従が訪れた。キリスヤーナ国ラシュリル王女を妃にするという宣旨と、今宵も王女を寝所に召すという言伝ことづてを携えて――。

 タナシアは、文机に広げた宣旨を魂の抜けた顔でながめる。
 今朝、エフタルと会った時、タナシアは一つ打診を受けていた。近々、また王印を押してもらいたいと。その書簡があれば、陛下の手がついた王女を王宮から追い出せるそうだ。一度目は、罪の意識に苦しんだ。けれど、今は?


 ――陛下をわたくしだけのものにできるのなら……。


 いえ、やはりいけないわ。陛下に背くことは二度としないと誓った。でも、このままでは陛下の御心を王女にさらわれてしまう。それは、なによりも耐え難いこと。



 罪は、胸に秘めたまま死ぬまで背負っていけばいい。



 タナシアは、宣旨をたたんでカイエを呼んだ。開け放たれた丸窓から入ってきた柔らかな風に、豪華なかんざしの垂れ飾りが、しゃらんと綺麗な金属音を立てた。


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