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第三章 ◆第01話





 ◇◆◇



 アユルが清殿に行くと、女官が一人妻戸の前に座していた。
 女官はそろりと立ち、妻戸を開けて鍵をアユルに渡した。女官の顔などいちいち覚えないが、この女官は記憶にある。名は何と言ったか……。ともあれ、この者がいつも王妃の傍らにいて、王から直々に預かった鍵を託されるほど王妃の信頼を得ている特別な女官であることは間違いない。


「女官長にも言ったが、今宵は華栄殿で過ごす。夜の膳を南殿みなみどのに用意しておけ」
「寝殿ではなく、南殿でございますか?」
「王妃と庭をながめたい」
「かしこまりました」


 女官が迂闊うかつにも嬉しそうな顔をしたのを、アユルは見逃さなかった。王妃を大事に扱えば、ラシュリルに嫉妬の矛先が向くことはない。

 たおやかに袿の裾をひるがえして、女官が華栄殿に伸びる廊下を渡っていく。アユルは、雨に濡れた衣を手ではたいて清殿に入った。

 手前の部屋で着物を着替えて、書斎に向かう。途中、閉めきられた殿内の戸を開けて足を止めた。雲母を含んだ白い砂利が敷きつめられた庭。まだ降り止まぬ雨に、池の水面が波紋を描いて波立っている。つがいの水鳥を探すと、彼らは池に架かる朱色の桟橋のたもとで、仲良く身を寄せ合っていた。しばらくして、コルダが戻ってきた。


「アユル様、遅くなって申しわけございません」
「久しぶりだな。ラシュリルはラディエと一緒か?」

「はい、王女様は宰相様と皇極殿に行かれました。日暮れまでには、宰相様のお屋敷に移られるのではないでしょうか」
「そうか。なにか言っていたか?」

「いいえ。ただ、アユル様もわたくしも傍にいないので、少し不安がおありの様子でした」
「だろうな」


 アユルは視線をコルダから庭に移して黙ったあと、「ああ、そうだ」とつぶやいて書斎に入った。御座に上がって席に着く。そして、紙を広げるために、文机の上に積まれた書物をのけようと手を伸ばした。


 ――おかしい。


 アユルの手が、書物に触れる直前で止まる。眉間にしわを寄せるアユルに、コルダがどうしたのかと声をかけた。


「もう二カ月以上も前の記憶で曖昧なのだが、玉佩は三冊目の下になかったか?」
「はい、おっしゃるとおりです。それがなにか?」
「見てみろ」


 コルダが、アユルの指先を見る。
 重ねられた書物は全部で五冊。上から三冊は、同じ学問の上・中・下巻だ。キリスヤーナに旅立った日の朝、コルダは下巻の下に玉佩を置いた。机上に出したままでは玉佩に埃ががぶる。それに、長く湿気にさらせば鉱石にかびがはえてしまう。だから、湿気を吸ってくれる書物の間にはさんだのだ。

 しかし、玉佩の位置が二冊目の下に変わっているうえに、そろえておいた書物の角がずれてしまっている。コルダは、見かけによらず神経質なほど慎重で几帳面な性格だ。


「アユル様。わたくしは、このように雑なことはいたしません」
「分かっている。だからお前に確かめた」

「では、何者かが触った……?」
「物が勝手に動くわけがないからな。私が留守の間、清殿に入れたのはただ一人。鍵を持っていた者だけだ」

「アユル様から直接、許しなく入るなと言われたのに、背いたというのですか?」
「さあな。ここに来たのは誰なのか……。それも重要だが、私が一番知りたいのは目的だ」


 日暮れ時、ラシュリルはラディエと輿をおりて、たいそう立派な屋敷の前に立った。塔のような門をくぐると、大勢の家人が二人を出迎えた。ラディエが、夫人と思しき上品な女性に外套と刀を預ける。言葉もなく阿吽の呼吸でやりとりするラディエと女性に、ラシュリルは無意識に羨望のまなざしを向けた。


「王女殿、こちらへ」
「はい」


 人質なので表立ったもてなしはできないが、と前置きをして、ラディエはラシュリルを邸宅の奥にある離れの静かで広い部屋に案内した。


「ここは、晴れた日は日当たりが良く快適だ。まあ、宮殿育ちのあなたには退屈かもしれないが、辛抱してください」
「いいえ、退屈だなんて。わたしにはもったいないくらい素敵なお部屋です」


 ラシュリルは、好奇心旺盛な女童めのわらわのように目を輝かせ、窓から体を乗り出すようにして庭を見回した。三手先の斗栱が支える軒の端から、雨水が滴って苔のむした庭石に落ちる音。そして、雨上がりの独特な香りがする湿気を含んだ冷たい空気。ラシュリルが目を閉じて、鼻で深く息を吸う。その様子に、ラディエは呆れるように目を細めた。


「陛下も、あなたのようによく笑う御子だった。あなたを見ていると、つい昔を懐かしんでしまう」
「宰相様は、ア……、陛下の小さいころをご存知なのですね」

「もちろんだ。さぁ、もう庭はいいでしょう。明日でも明後日でも、天気のよい昼間に好きなだけご覧ください。キリスヤーナに比べれば暖かいが、冬の寒さは身にこたえる」


 ラディエが窓を閉める。それから、円座わろうだを手でさした。ラシュリルが座ると、向かい合うようにラディエも腰をおろした。


「忠告したにもかかわらず、あなたは身を引かなかった」


 相変わらずラディエから向けられる目は鋭く、口調も冷たい。けれど、ラシュリルはラディエと行動を共にして、実直で情に厚い人なのだと思うようになっていた。話を聞いてくれるし、言葉は厳しいけれど、筋の通らないことや間違ったことを言わないからだ。怖い印象が勝ってしまうのは、失礼だけれど、顔立ちのせいだと思う。


「怒っていらっしゃいますか?」
「いいや。あれはあなたを試したのだ」
「なぜそんなことをなさったのですか?」

「あなたには耳が痛い話でしょうが、我々はカデュラス人であることに誇りを持っています。神の系譜たるカデュラ家の、陛下に流れる血の尊さこそがその象徴なのです。長い年月、我々はカデュラ家の血が穢れぬよう守ってきました。だが、陛下はあなたを望んでおられる。あなたを妃にするために、あらゆる努力を惜しまないでしょう。それなのに、肝心のあなたが強面の宰相に脅されて身を引くような腰抜けでは元も子もない。だから、あなたの覚悟を知りたかった」


 確かに耳が痛い話だ。けれど、偽りのない率直な言葉でもある。
 もしもわたしが宰相様だったら、とラシュリルはラディエの立場を思い量る。王家に異民族を迎え入れるのは、誇りを捨てるに等しいこと。アユル様とわたしのことを知ってから、宰相様はとても苦悩したことだろう。それでも、身柄を預かって、こうして真摯に向き合ってくれている。


「どうしました、王女殿。嫌になりましたか?」
「いいえ。どうやって宰相様に感謝の気持ちをお伝えしようかと考えていました。けれど、言葉が見つからなくて」


 髪を耳に掛けながら、ラシュリルは困り果てたような顔でほほえんだ。


「感謝とは思いもよらない言葉だ。てっきり、恨み言を言われるかと思っていました」

「どうして恨み言なんて! 宰相様のお気持ちはよく分かります。わたしも宰相様のように陛下を大切に思っています。でも、宰相様のおっしゃるとおり、わたしはなにも持っていないから……」

「では、このラディエとひとつ約束していただきたい。陛下にとっては至高の価値があり、私にとっては希望のような約束です」


 それは? と小首をかしげるラシュリルに、ラディエが真面目な顔で言った。


「陛下の傍にある限り、陛下に忠実であること。少しでも邪な欲を抱けば容赦しない。その時は、陛下にこの首を刎ねられようとも、あなたには陛下の傍を辞していただく」


 アユルは華栄殿へ渡る準備を済ませて、一通の手紙を書いた。それをラシュリルの玉佩に添えてコルダを呼ぶ。


「はい、アユル様」
「これを宰相の屋敷に届けてくれ。ラシュリル宛てのものだ」

「アユル様が華栄殿へお渡りになられたら、すぐに手配してまいります」
「それから、キリスヤーナの瑠璃で染めた絹を仕立てて、ラシュリルに衣を贈りたい」

「かしこまりました。そちらも工房に手配しておきます」
「内密にだぞ」

「心得ております」
「よし、華栄殿へ行く」

「よろしいのですか、アユル様。王妃様とお過ごしになられて。わたくしは、アユル様のことが心配です」
「考えがあってことだ。心配しなくてもよい。早く先触れを」
「はい、アユル様」


 婚儀の夜と同じように華栄殿へ渡る廊下に立つ。廊下の両端に並んだ女官たち。まるで、あの日に逆戻りしたような光景だ。アユルは、コルダが戻るのを待たずに華栄殿へ向かった。

 女官に言いつけたとおり、南殿に足つきの膳がふたつ並べられ、綺麗に着飾った王妃が座っていた。華栄殿の奥まった位置にある南殿は、隠れ家のような部屋だ。歴代の王妃たちが手をかけて育てた木花が。月明かりが照らす風景は趣があるのだが、残念ながら今宵はしとしとと雨が降っている。


「待たせたな」


 アユルは、タナシアに目を向けて腰をおろした。気恥ずかしそうにうつむくタナシアに手を伸ばし、顔に触れる。タナシアの肌は氷のように冷たかった。

 庭をながめたいと言う王の要望に応えるため、真冬だというのに南殿の庭に面した戸はすべて開けられている。王妃は律儀に、ここで長いこと待っていたのだろう。これでこそ、先立って知らせていた時刻より遅れて来た甲斐があるというもの。

 くしゅん、とタナシアがくしゃみをする。


「ご無礼を」
「体が冷えてしまったのではないか? こちらへ来い」
「は、はい、陛下」


 アユルは、おずおずと立ち上がろうとするタナシアの手を引っ張った。足がもつれて、タナシアが倒れこむ。足先が膳に当たって、食器ががしゃんと激しい音を立てた。その音に、隣の間で控えている女官が部屋に入ってこようとした。アユルは、タナシアの体を両腕で受け止めて女官をさげた。


「大丈夫か?」
「申し訳ございません」


 後ろから抱きすくめられて、タナシアは声を震わせる。ずっと願っていた。キリスヤーナから戻った夫が優しく抱きしめてくれることを。

 幸せ。
 背中に感じる温かな体温が、心細さから心を解き放ってくれるような気がする。


「余が留守の間、王宮に変わりはなかったか?」


 低い声で耳朶をなでながら、アユルは袿の中をまさぐってタナシアの帯を解いた。そして、首筋に唇を寄せて、衣の上から乳房をつかむ。


「は、はい。なにも……っ」
「サリタカルで、そなたの手紙を読んだ」


 会話を続けながら衿を割って指先で直に胸の頂を刺激すれば、タナシアが体を硬直させたまま息を乱し始める。


「陛下からの……っお返事、とても、……うんっ、嬉しゅうございました」
「そうか。だがな、王妃」


 胸への愛撫はそのまま、もう片方の手を袴に滑りこませる。そこは、軽く触れるだけでしっとりと湿り気を帯びた。指の腹でこりっとした蕾をこね回す。


「たとえ文字であっても、余の名を呼ぶな」
「あっ……、あぁあん……っ」
「そなたが持っていた王宮の規則に目は通したか? 余の許しなく勝手をすれば、王妃であっても処罰されるぞ」


 くすくすと、アユルはタナシアの耳元で意地悪く笑った。
 淫らな水音を立てる下生えの奥に二本の指を突っ込んで、ざらざらとした膣壁を擦る。固くなった胸の中心と火陰を同時に攻められて、タナシアは悶えるような声を上げながら体を震わせて達した。

 アユルは脱力したタナシアの前に立って、結い上げられた黒髪を鷲掴む。燭台の明かりに照らされる、しどけなく開いた王妃の真っ赤な口。男の本能を刺激するには充分だ。


 ――王妃を骨の髄まで染めてこそ、王宮にラシュリルの居場所ができる。


 夜着を左右に開いて、屹立した自身を取り出す。そして、タナシアの口にそれをねじ込んだ。


「ふっ……、んんっ」


 独特の生々しい臭いが、口腔いっぱいに広がって鼻腔から抜けていく。タナシアは、目を潤ませながら舌を上下させた。


「んっ、んん……っ、ふっ、ふ……んっ!」


 猛りで、小さな口の中を満たして喉の奥まで顧慮こりょなく犯す。やがて、アユルはタナシアの口中に吐精した。恍惚とするタナシアの顔を見ながら、脈打つ自身を引き抜く。

 先端で朱唇をなぞると、白濁がべっとりと口の周りを汚して糸を引いた。こぼれた白い体液を指先ですくって、タナシアの口に指ごと入れる。タナシアは、喘ぐような呼吸をしながらアユルの指を丁寧に舐めた。


「今宵は共に眠るか、王妃」


 アユルは、懐紙を出してタナシアの口を拭ってやった。清殿に入ったのは王妃か女官か。ラシュリルがあの玉佩をさげて目の前に現れた時、王妃はどのような顔をするのだろうか。アユルが笑むと、タナシアは嬉しそうにうなずいた。


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