第二章 ◇第05話




 カナヤの城下、その一等地にエフタルの屋敷は堂々と門を構えている。アフラム家の祖が、初代王より姓と永世の身分を賜ってから千数百年の時が流れた。通りに面した高楼の門は、建て直される度に絢爛になり、今ではダガラ城の朱門をしのぐ美しさだと賞賛されるほどだ。

 エフタルは、朝議が終わると急いで屋敷に戻った。
 甘露の降る日を待ちわびて、じっと息をひそめ耐えてきた。王子の即位が間近になり、未婚の王などあり得るかと頭を抱えるラディエに、早急に王妃を決めるべきだと助言した。無論、タナシアが王妃になるよう二重、三重の根回しもしていた。

 目論みどおりに王家と繋がった。しかし、タナシアの様子では、仲睦まじいというのは単なる噂に過ぎないようだ。さすがはシャロアの息子よ、とエフタルは鼻を鳴らす。

 庭の池で、錦鯉が水面を波立たせながら優雅に泳いでいる。エフタルは、離れに下級の武官を呼びつけた。しずしずと現れた武官が、縁側で床に額がつくほど深くひれ伏す。


「大臣様、手配いたしました。上手くいけば、キリスヤーナ国王が罪をかぶってくれましょう」
「殺してはならぬぞ。世継ぎがまだゆえな」
「心得ております。少しばかり苦しみを味わえば、陛下も身の程をわきまえられるかと」


 王とは、ちょこんと頭に乗った金の飾りに過ぎない。余計なことに口を出さず、血を繋いで我々の言うとおりに大人しく座っておればよいのだ。そのことを、あの若造に指南してやろう。今は、命までは奪わぬ。だが、娘が王子を産めば現王に用はない。庭に向けた目を細めて、エフタルはにたりと口の端を上げた。





 ヘラートを蛇行する運河を渡って、キリスヤーナ国王とカデュラス国王を乗せた馬車が海に到着した。ハウエルが、お得意の話術で海についてのうんちくを語る。それを聞きながら、アユルはラディエと並んで雪の上を歩いた。

 先王の唯一の功績といえは、ラディエという実直な男を宰相の職に据えたことだ。だからこそ、この牙城を崩さなければならない。ラディエは、カデュラスの血に誇りを持ち、カデュラスに魂を捧げている。王統に異民族の血が混ざることを、決して許さないだろう。

 アユルは、ハウエルの話が途切れた隙に浜辺から浜堤ひんていの方へ足を向けた。そこから、白銀の海が一望できる。書物で読んだ、波のうねりや潮騒のない凍った海。初めて目にした海は、華栄殿に渡る廊下に立って想像したものとはまったく違っていた。引きずり込むような怖さも仄暗さもない。地平線の彼方まで、きらきらと輝いていた。


「宰相、王女を近くに呼べ」
「キリスヤーナ国王ではなく、王女殿をでございますか?」

「銅の交易のことで、少し探りを入れたい」
「なるほど。しかし、王女殿が有力な情報を持っているでしょうか」

「さあな。だが、兄妹の仲がよい。ハウエルが、妹になにか話しているかもしれない」
「安易に許可なされたので心配しておりましたが、考えがあってのことでしたか」

「当たり前だ。余は父上のように暗愚ではない」
「それを聞いて安堵いたしました。すぐに王女殿を連れてまいります」


 ラディエが、小走りでハウエルたちを追う。雪が積もった浜辺を、ハウエルとマリージェ、ラシュリルが並んで歩いている。アユルの目が、ハウエルとラシュリルを見比べる。初めてラシュリルと会った時、カデュラス人だと思い込んでしまった。風貌がそうだったからだ。同じ民族でも個人差があるのかもしれない。しかし、同じ親から生まれた兄妹で、こうも違うものなのだろうか。


「コルダ、ここに来い」


 少し先に進んでいたコルダを呼んで、アユルは声を小さくする。コルダは、アユルの視線の先に楽しそうに笑うラシュリルの姿を見つけた。


「キリスヤーナに滞在している間に、ラシュリルの身をあらためて報告しろ」
「なにをおっしゃいます。王女様の身を探るなど」

「ラシュリルが何者だろうが、そのようなことはどうでもよい。だが、これから先は小さなほころびがラシュリルの身を危うくする。私はすべてを正確に知り、守る術を考える必要がある」

「それはもしや……。王女様を王宮にお迎えになられるのですか?」
「そうだ。よいか、機が熟すまで誰にも気づかれるな。上手くやれ」
「お任せください!」

「それから、宰相がラシュリルを呼びにいっている。ラシュリルが来たら、宰相を連れて私から離れろ」

「はい?」
「お前たちがいては、話ができないだろう」

「宰相様がお許しにならないのではありませんか?」
「なんとかしろ」

「アユル様、近頃……」
「なんだ」
「いいえ、なんでもございません」


 ラディエは、すぐにラシュリルを連れてきた。陛下を待たせるなとでも言って急がせたのだろう。ラシュリルの息が弾んでいる。アユルはコルダに目で合図した。

 早くラディエを連れていけ。はい、すぐに。
 視線だけでそんなやりとりができるのも、幼少のころから培った信頼の賜物だ。コルダが、なかば強引に衣を引っ張ってラディエをアユルから引き離す。そのまま、二人は浜堤を上がって針葉樹の林の方へ去っていった。


「あの、アユル様。わたしに聞きたいことがあるとうかがいましたけれど」
「ああ」

「ごめんなさい。わたし、政治のことはまったく。銅の交易について、お兄様からはなにも聞いていないのです」

「宰相が言ったのか?」
「はい。陛下に尋ねられたら、包み隠さず話すようにって」

「本当に真面目な奴だな、宰相は。そのようなつまらない話をするために、わざわざそなたを呼ぶわけがないだろう」


 ラシュリルは、アユルの言葉の意味を理解してふふっと笑った。涼しい顔をして、アユルが浜辺にいるハウエルとマリージェを見ている。


「そなたの兄夫婦は仲睦まじいのだな」
「ええ。お兄様は、お義姉様のことが大好きなんですよ」


 ラシュリルが、口元に手を当てて愛らしく笑う。アユルの顔が、それにつられるようにゆるんだ。


「では、ハウエルが望んで妃にしたのか?」
「はい。お兄様の熱狂ぶりったら、とても凄くて。あんなふうに情熱的に言い寄られたら、嬉しいに決まってい……っ」


 そこまで言って、ラシュリルはしまったと口をつぐむ。そうしてほしいと、強請ねだっているように聞こえたかもしれないと思ったからだ。アユルはハウエルとは真逆だ。人前では目を見つめて優しくほほえみかけないだろうし、手を握るだなんてとんでもない話だろう。


「ああいうのが好みなのか?」
「いえ、そうではなくて」

「私には無理だ。あのような男女の作法は身に着けていないからな」

「誤解しないでください、アユル様。わたしは、アユル様にお兄様みたいなことをしてほしいとは思っていません。そのままのアユル様が好きですから!」


 ラシュリルが真剣な顔で弁解する。語気の強さから、必死なのが伝わってくる。しかし、アユルは困惑した。慌ててラシュリルから視線をはずす。そうしないと、今にも理性が吹き飛んで抱きしめてしまいそうだ。ラシュリルは分かっているのだろうか。今の言葉の威力を。


「そ、そうか」
「ただ……」
「ただ?」
「笑ってくださったら、もっと素敵で魅力的です」


 向こうで、ハウエルがマリージェの手を握って歩いている。優しくマリージェに語りかけるハウエルの声が、こちらまで聞こえてくるようだ。


「そなたが傍にいれば、私もいつかああなるのではないか?」
「えっ?」


 ラシュリルが、目を丸くして顔を上げる。アユルはラシュリルを見つめて、にんまりと意地の悪い笑みを浮かべた。


「覚悟しておくとよい」
「ア、アユル様?」


 遠くから、ハウエルが手を振る。ラシュリルは、顔を真っ赤にしながらハウエルに手を振って応えた。


「嫌だわ。わたしだけが、青くなったり赤くなったり」


 ラシュリルの隣で、アユルがくすくすと笑う。ころころと変わるラシュリルの表情は、面白いから見ていて飽きない。


「ラシュリル。私の傍にきてくれないか?」


 分かりました、と笑顔でラシュリルが一歩アユルに近づく。


「そうではなくて、カデュラスに来てほしい」
「カデュラスに?」
「私の妃として」


 ラシュリルは、求婚されているのだと気づいて一歩後ずさった。てっきり、近づけという意味だと思ってしまった。恥ずかしくて、消えてしまいたい気分だ。アイデルが、こちらへ向かってくる。ラシュリルは、どう返事をしていいのか分からずに困り果てた。


「今すぐ返事をしなくてもよい。今夜、時間はあるか?」
「は、はい」
「では、離宮でゆっくり話そう」


 ラシュリルが、こくりとうなずく。
 ふと、アユルはなにかの気配を感じて周りを見回した。気のせいだったか、と視線を戻すと同時に、背後から空風が吹き抜けた。

 気のせいではない。第六感が、確かに危険をとらえている。早くコルダとラディエを呼び戻さなければ。アユルは、針葉樹の林の方へ体を向けた。


「どうしたのですか?」
「動くな」
「アユル様?」


 アユルがラディエの名を叫ぼうと、息を大きく吸い込んだ時だった。林から光線を描いて飛んできた矢が、どすっと鈍い音を立てて正面からアユルの左肩に突き刺さった。


「きゃぁっ!」


 ラシュリルが大きな悲鳴を上げると同時に、アユルの体が雪の上に崩れる。肩の肉に食いこんだ矢じりが熱い。まるで直火にあぶられているように熱い。視界が霞んで、急激に体の力を奪われる。

 ラディエとコルダはまだ針葉樹の林の中だ。二人が戻るまでは、気を失うわけにはいかない。身の置きどころのない苦痛に耐えながら、アユルは苦悶の表情を浮かべて必死に意識を保った。


「誰か!」


 ラシュリルが、体を震わせながら必死に叫ぶ。異変に気づいたラディエが、凄まじい勢いで走り出した。


「陛下!」


 ラディエとコルダが、鬼気迫る形相でアユルに駆け寄る。ラディエは、うつ伏せになったアユルの上半身を抱き起して、左肩の矢を凝視した。


「陛下、一体なにがあったのです!」
「……さ、い」


 アユルの口元で、白くわだかまる荒い呼吸。その顔面から、みるみるうちに血の気が引いていく。生気を失った肌に浮かぶ玉汗に、ラディエの背筋が凍りついた。


「毒矢か!」


 カリノス宮殿は大変な騒ぎとなった。
 ハウエルは、爪を噛みながら部屋の中を行ったり来たりと落ち着かない。毒矢だったと報告を受けた。もちろん、心当たりはない。しかし、このことが直ちにカデュラスへ伝えられるのは明白だ。どのような形で詰め腹を切らされるのか、考えるだけで恐ろしくて震えが止まらない。

 万が一のことがあれば、責めを負って国と共に滅ぶしか道はないだろう。万が一、カデュラス国王が死ぬようなことがあれば……。
 待てよ、とハウエルは暖炉の前で足を止める。


「世継ぎのいないカデュラス国王が死ねばどうなる。カデュラスは直系しか王になれないのだろう? 王がいなくなるじゃないか」


 なにかおっしゃいましたか、とアイデルがハウエルの独り言を聞き返す。


「だから、あの王が死ねばどうなると言ったんだ」


 ハウエルの言葉に、七十年近く働き続けてきたアイデルの心臓が、どくどくと嫌な律動を刻む。


「な、なっ……。なんということをおっしゃるのです、ハウエル様!」


   

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