第一章 ◆第05話




 ラシュリルとナヤタは、道に迷いながらもなんとか宿に帰り着いた。ハウエルに戻ったことを知らせようとしたが、ハウエルは側近を連れて外出しているらしい。

 二人は、ラシュリルの部屋に急いだ。ナヤタが、ラシュリルの外套を受け取って慌ただしく部屋を出ていく。濡れたワンピースに体温を奪われて、ラシュリルは寒さに震えながら腰の帯革ベルトに手をかけた。


「……あれ?」


 指先で帯革を探って目視する。ない。帯革に結んでいたはずの玉佩が、ない。


「どこで……。どこで落としたのかしら」


 玉佩は、ラシュリルがカリノス宮殿に引き取られた時に、傍にいてあげられない私の代わりだと母親から渡された大切な品だ。あなたのお父様と出会う前にね、さる高貴な方からいただいたものなのよ。そう話す母親の顔を思い出して、ラシュリルは胸元をぎゅっと握り締める。


 ――どうしよう。お母様の宝物なのに……。


 昼食の時には確かにあった。それから散歩に出かけて、森に……。記憶をさかのぼるうちに、心臓が早鐘をうち始める。よみがえる白い服を着た男の姿。赤い瞳が、記憶の中から迫ってくる。


「ラシュリル様。お湯の準備ができましたよ」


 ナヤタが、着替えを持って戻ってきた。ラシュリルはナヤタに礼を言うと、急いで浴室へ向かった。





 王宮に戻ったアユルは、息をつく間もなく皇極殿の高座たかくらに座っていた。王宮に戻るや否や、臣の最高位である宰相に呼び出されたのである。


「急ぎの用とは、なんだ」
「……はい」


 ラディエ・ノウス・カダラルが、神妙な面持ちでアユルの顔色をうかがう。頭頂で結って丸めた髪に象牙のかんざしをさして、雄々しい顔に美髯びぜんをたくわえた彼は、四十路半ばの豪傑だ。性格は愚直で真面目。先王の信頼を得て、五年ほど前に宰相となった。

 ラディエが、「失礼」と言ってアユルの前に漆塗うるしぬりの四角い盆をそっと置く。それには、花が描かれた四枚の竹札が並んでいた。


「これは?」
「四家の姫君たちの御印しるしでございます。今ここで、王妃となられる方をお選びください」
「なんだと?」


 初代王が大陸を征服した時、彼には四人の忠臣がいた。初代王は彼らの功績をたたえて、四人にそれぞれイエサム、ティムル、アフラム、カダラルの姓と王家に次ぐ身分を与えた。彼らの家系は四家と呼ばれ、王家と同じように直系の男子に襲位されて現在にいたっている。

 カデュラスでは、一にも二にも身分が重んじられる。先王マハールの王妃だったアユルの母は、ティムル家の姫だった。


「王統こそが国の根幹でございます。カデュラ家の尊き血筋が途絶えれば、国が揺らぎます。その年になるまで独り身を貫いた挙句、王宮の女官を追い出すなど正気の沙汰ではございません。皆が王統の存続を危ぶんでおります。一刻も早く正妃をお迎えください」


 アユルは眉間にしわを寄せて、目の前に並んだ竹札をまじまじと見た。四家に姫が生まれると、花の御印を与える習慣がある。竹札にはそれぞれ、藤、しだれ桜、蓮、桂花が描かれていた。目が順に札を追って、桂花の札で止まる。


「そう……、だな」


 アユルが、ぼそりとつぶやく。ラディエは、面食らってしまった。十年も結婚をしぶってきた王子が、すんなりと受け入れるとは思っていなかったのだ。しかし、確かに今、王子は「そうだな」と言った。


「早速、明日にでも姫君たちとお引き合わせいたしましょう」
「宰相、待て。その……、今のは違う」
「よろしいのです。ここで決めていただく所存でございましたが、姫たちに会ってお決めください。王子がその気になられただけで、私の憂いは晴れましてございます」


 深く一礼して、ラディエが袴の裾をはためかせながら、弾むような足取りで皇極殿を出ていく。
 皇極殿は、長い歴史の間に何度か建て替えられた記録がある。最後の建て替えが行われたのは、タリユス王の御代だ。

 真っ白な大理石を台座にして、頭に高級な煉瓦を何千枚も載せた重厚なたたずまい。そして、中に入れば目を細めたくなるようなまばゆさに圧倒される。格天井やはめこまれた天井画。障壁画とふすま、欄干彫刻。すべてに金や漆が贅沢に使われている。建築から百五十年を経た今も、カデュラスの権威を示す輝きには一点の曇りもない。

 懐から、例の玉佩を取り出す。彫られた模様と飾り紐にしみ込んだ匂いは、竹札にもあった桂花だ。おびえた顔を思い出して、アユルは重たいため息をついた。神の力を操る時、瞳が血の色に染まる。先王は嬉々として誇りに思えとたたえたが、忌々しいことこの上ない。

 コルダにさえあの化け物のような姿を見られたくなくて、一人で湖へ行ったというのに……。あのような森の奥に、人が、ましてや四家の姫がいるなど誰が思うだろうか。ともあれ、玉佩はカデュラスの貴人にとって大事なものだ。


 ――今頃、必死に探しているかもしれないな。


 翌朝、アユルは書斎で書物を読みながら時を待った。
 気はそぞろで、書物の文字はまったく頭に入ってこない。なぜなら、先程から目は書物ではなく、机上の玉佩に向いているからだ。上の空で書物をぱらぱらと何度かめくった時、コルダが迎えにきた。書物を閉じて、投げるように机に置く。


「アユル様。宰相様と姫様方が、皇極殿にお待ちでございます」


 王宮から皇極殿へ繋がる廊下から見える庭には、濃紫や薄桃色の花が空を向いて咲き誇っている。木々の手入れをしていた女官が、アユルに気づいて白髪の頭を深くさげた。


「コルダ。やはり、下働きは残しておくべきであったか?」
「庭の手入れなどは、若者の仕事でございます。アユル様が若者を追い出してしまわれて……。あのようなことまでなさっておられるお姉様方のご苦労を察すると、心が痛みます」
「そう言うな。私が妃を迎えれば女官が戻る」

 皇極殿に入ると、綺麗な身なりの姫が四人、横一列に座してひれ伏していた。この中に湖の女人がいるかと思うと、自然と口元がゆるんでしまう。


「面を上げろ」


 高座に腰をおろして、平静を装った声で命じる。姫たちが、一斉に顔を上げた。四人は、それぞれが美しい面立ちをしていて、所作からも育ちの良さをうかがわせる気品が漂っている。さすがは四家の姫だ。妃がねとして育てられただけある。

 しかし、あの女人の姿がない。そのことが、一気にアユルの興を削いでしまった。きゅっと唇が引き締まって、いつもの冷たく固い表情がアユルの顔を覆う。


「王子、これから私が姫君をご紹介いたします」


 ラディエが、こちらがと一人の姫を手でさす。アユルは、それを「よい」と制した。誰がどの家の者でも関係ない。結局は、高貴な血を繋ぐための道具に過ぎないのだ。相手も、我が身も。


「桂花の姫」


 アユルが呼ぶと、左端の姫が「はい」と小さく返事をした。他の姫より控えめな雰囲気で、どことなく湖の女人に似ているような気がする。


「そなたに」


 それだけ言い放って、アユルは皇極殿を出た。清殿に戻って、書斎で仰向けになり天井をにらむ。桂花の竹札を見て、なぜあの女人を思ったのか。なぜ、姿がなかったことにがっかりしたのか。自分の心が、まるで他人のもののように理解できない。なんとか気を鎮めようとするが、落胆や苛立ちが混ざり合って胸糞が悪い。体を横に向けると、湖の女人の玉佩が着物の合わせから転がり落ちた。

 昼を過ぎたあたりから、外宮が慌ただしくなった。今夜、新王の即位に先立って祝いの夜宴が開かれるのだ。日暮れの刻になると、国賓やカデュラスの貴人たちが続々と皇極殿に集まり始めた。

 ラシュリルは、大理石の階段のたもとから皇極殿を見上げた。ダガラ城の朱門をくぐって、半刻近く歩いた。てっきり馬車で乗り入れるのだと思っていたのに、城の中で馬や乗り物に乗っていいのは、カデュラス国王とその家族だけだという。

 今日の服はドレスではなく、この日のために誂えてもらったカデュラスの衣装だ。白い小袖に赤の切袴。その上に、赤を基調とした袿という衣を五枚重ねている。絹の光沢が美しい二陪織物ふたえおりものの袿は、特にラシュリルのおしゃれ心をくすぐった。

 しかし、華のあるカデュラスの衣装は、慣れていないせいもあるけれど、ドレスに比べて動きにくくて重たい。それを着て半刻歩いたラシュリルの息は、不規則に弾んでいた。


「大丈夫かい? 今日はナヤタがいないから、僕が支えてあげるよ」


 ハウエルが、ラシュリルに手を貸す。皇極殿に入れるのは、新王から招待を受けた者に限られる。ナヤタは、城内にある別の建物で待機しているのだ。


「ありがとう、お兄様。ダガラのお城って、とっても広いのね」
「そうだね。歩き慣れていない女性には酷かもしれないね」
「わたし、体力には自信があったのに」
「その服、そんなに重たいの?」
「ええ。せっかくだと思って仕立ててもらったけれど、ドレスにすればよかったわ」
「なるほど、お転婆な王女様向けの衣装ってわけだ。それなら、裾をたくし上げて走り回ったりできないね」
「もう、お兄様。意地悪を言わないで」
「冗談だよ。とてもよく似合ってる」


 行こうか、とハウエルがラシュリルの手を引く。皇極殿に一歩足を踏み入れて、ラシュリルはまぶしい黄金の輝きに感嘆のため息をついた。


「ラシュリル、口が開いてるよ」
「だって、あまりにも美しくて……。違う世界にいるみたいだから」


 女官に先導されて廊下を進む。ラシュリルは、女官の服を見てぎょっとした。自分が着ているものより、彼女の着物は重ねの枚数も装飾も段違いに多い。一体、どれくらいの重さがあるのだろう。想像するだけで肩や腰が痛くなりそうだ。でも、色彩がとっても綺麗で品がある。

 こちらです、と女官が二人を大きな部屋へ案内した。この部屋で朝議が行われているんだよと、ハウエルが得意げに耳打ちする。部屋には、カデュラス国王が座る高座を上座に祝賀の席が設えられていて、カデュラスの貴人や他国の王族がそれぞれの席に座っていた。

 さっきとは違う女官に案内されて席に着く。ラシュリルは、高足の膳に並んだ芸術品のような料理にきらきらと目を輝かせた。しばらくして、低い太鼓の音が三度響き渡った。


「アユル・タニティーア・カデュラ様の御成りにございます」


 新王のお出ましを告げる声に、皆が姿勢を正して一斉に深く頭をさげる。
 先王は、王子を王宮の外に出さなかった。カデュラスの高官を除いて、初めて新王の姿を目にする者がほとんどだ。襖が閉まる音と衣擦れの音がして、面を上げよと落ち着いた低い声が命じる。顔を上げて、誰もが息を呑んだ。

 清々しい月白色げっぱくいろの衣に身を包んだ新王の居姿は気高い白鷺のようで、端麗な容貌もさることながら、その落ち着いて凛とした雰囲気に圧倒される。新王には、たっぷりと肉をつけた先王の面影は微塵もなかった。

 ラシュリルは、じっと目をこらした。国賓の席は高座から離れていて、目鼻立ちまではっきりと見えない。けれど、似ている気がする。湖で会ったあの恐ろしい人に。声も姿も、ここまで似ている人がこの世に二人と存在するかしら……。胸がどくんどくんと早い鼓動を刻む。

 祝宴の始まりに、五つの国の君主が新王に拝謁することになっている。
 僕たちは二番目だよ、とハウエルが小声で言う。心を落ち着かせる間もなく、すぐに順番が回ってきた。ラシュリルは、ハウエルと高座の前でアユルに一礼して顔を上げた。

 その時、うっかり新王と目が合ってしまった。やっぱりあの人だわ! そう確信して、新王の視線から逃げるように顔を下に向ける。


「初めてお目にかかります。僕は、キリスヤーナ国王ハウエル・ナダエ・キリスです。こちらは僕の妹で、ラシュリル・リュゼ・キリスと申します」
「西端の国から、遠路はるばる大義であったな」


 アユルが、ねぎらいの言葉をかけてハウエルに盃を手渡す。そして、酒を注いで共に一献傾けた。ラシュリルは、とても新王の顔を見る勇気がなくて、ハウエルの隣でうつむいたまま、借りてきた猫のように大人しく座っていた。すると、節くれだった白い手が、視界に入るように盃をさし出した。

 ラシュリル、とハウエルに肘で小突かれて、それを震える手で受け取る。盃に満たされる無色透明な液体。ワインなどは少々たしなんでいるが、カデュラスの酒は初めてだ。


「あ、ありがとうございます」


 小声で礼を言って、新王より賜った酒を一気に口に流し込む。味なんて、まったく分からない。酒の通ったあとが、焼かれたように熱くてひりひりする。他言するなと言われたから、お兄様にも言っていない。けれど、もしあの時のことを問い詰められたらどうしよう。

 ラシュリルは気が気ではなかった。しかし、アユルはハウエルと談笑しただけで、結局、ラシュリルには見向きもしなかった。
 ラシュリルは、席に戻ってほっと胸をなでおろした。よかった、新王様は気づいていないのだわ、と。


 ――ラシュリル・リュゼ・キリスか。


 アユルは、ラシュリルが口をつけた盃を見てにんまりとした。目が合った一瞬、あの時と同じようにおびえた顔をした。同じ顔、同じ声。まさか、このような場で再会するとは。

 すべての君主と盃を交わし終わって、アユルはキリスヤーナ国王の席に目を向ける。ラシュリルは、キリスヤーナ国王や他国の王族たちと歓談していた。身ぶり手ぶりを交えながら、笑顔を輝かせてとても楽しそうだ。その弾けるような笑顔は、見ているこちらの顔までゆるんでしまいそうな不思議な魅力にあふれている。

 高座の前に、高家の姫たちが集まってきた。きらびやかな衣に、仮面のような化粧を施した顔。皆、同じような顔をしていて区別がつかない。姫たちが、競い合うように手酌する。アユルは、彼女たちに迎合するように笑みをたたえて、すすめられるままに酒を呑んだ。その様子を、大臣エフタルと桂花の姫が見ていた。


「なにをしておる。早くお前も王子の御前に行かぬか」
「申し訳ございません、父上。気後れしてしまって」
「ふん、情けない。王妃となる者がそのように気弱でどうする。よいか、お前の役目は世継ぎを産むことぞ。他にそれをさせてはならぬ」
「はい。心得ております、父上」


 サリタカル王国が、新王に喜劇を献上する。サリタカルで有名な劇団の演劇が始まると、祝宴の場は笑いの渦に巻きこまれた。


「お兄様、少し雰囲気に酔ってしまったみたい。外で涼んできてもいいかしら」
「いいけど、あまりうろうろしてはいけないよ」


 はい、と返事をしてラシュリルが部屋を出る。それを見ていたアユルは、姫たちをさげて隅に控えているコルダを手招きで呼んだ。扇で口元を隠して、コルダの耳元で声をひそめる。

「席をはずす。清殿に人が近づかないように見張っていろ」
「かしこまりました」


 コルダがうなずくと、アユルは席を立って足早に部屋を出た。それに気づく者もいたが、アユルのすることをとがめる不届きな輩はいない。皆、喜劇に夢中になっていた。宴は滞りなく続けられた。

 ラシュリルは、出口まで案内してくれた女官に礼を言って階をおりた。そして、草履をはくと、地面につかないように袿の裾を持ち上げた。月明かりを頼りに庭をそぞろ歩く。ひんやりとした外気が、上気した顔に触れてとても気持ちがいい。どこからか、ジャスミンに似た香りが漂ってくる。周囲を探ると、葉の間から手のひらに乗るくらいの白い花がたくさん顔を出していた。


「なんて綺麗な花なのかしら。それに、とってもいい匂いだわ」


 花びらに顔を近づけて、香りを堪能する。すると突然、暗がりから白い手が伸びてきた。避ける間もなく、その手に手首をつかまれる。驚きのあまり、息が喉に詰まって悲鳴も出なかった。


「まさか、キリスヤーナ国王の妹だったとはな」


 ラシュリルは、背高い声の主を見上げた。月を背にしていて顔はよく見えないが、聞き違えるはずがない。この声は、紛れもなく高座にいた新王のものだ。


「見せたいものがある。私と一緒に来い」
「まっ、待ってください!」



   

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