第一章 ◆第04話





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 大陸を西から東へ移動すると、季節を逆走するような奇妙な感覚にとらわれる。
 同じ秋といっても、キリスヤーナとカデュラスでは風も日差しもまるで違う。カデュラスの風は少しひんやりする程度で、日差しは鋭く夏の名残をとどめている。

 キリスヤーナ国王一行がカデュラスの王都カナヤに到着したのは、よく晴れた日のちょうど昼時だった。旅に慣れるまでは馬車の揺れに酔い、気分が悪くて食事もろくにとれず散々だった。それに、ハウエルの言ったとおり、特にキリスヤーナとサリタカルの国境付近の山道は険しくて、雨の日の野宿はとても悲惨だった。しかし、一生に一度のこと。ふり返れば、三十日近くに及んだ旅程に見聞きしたことすべてがいい思い出だ。

 キリスヤーナ国王が宿泊する宿は、大通りから数本裏の通りを入った場所にあった。ラシュリルは、馬車をおりてぐるりと景色を見回す。故郷のものとはまるで違う建物に人々の声や荷馬車の蹄の音。目や耳に、街の喧騒が飛び込んでくる。さすが、大陸を統べるカデュラス国王のお膝元だ。旅路で見てきた都市とは、比べものにならないほど栄えている。


「口が開いているよ、王女様」


 ハウエルにからかわれて、ラシュリルは慌ててきゅっと口元を引きしめた。本当にカデュラスへ来た。ここがお母様の故郷。そして、お父様とお母様が恋に落ちた国――。

 カナヤには、カデュラス国王の居城でまつりごとの要でもあるダガラ城がそびえている。城は広大な敷地を持ち、神と民とを隔てるかのように高い塀で囲まれていた。ダガラ城の朱門から、真っ直ぐに王都を貫く大通り。それを中心に、カナヤの街並みは整然と区画されている。城のすぐ外は、身分の高い貴人たちの意匠をこらした屋敷が軒を連ねる城下町。そして、城下町を下ると市場や繁華街、花街などが順に続く。

 ラシュリルは、ハウエルたちと大通りの店で昼食を済ませたあと、ナヤタと散歩へ出かけることにした。通りには、たくさんの人がひしめいている。カナヤは大陸一の商業都市でもあるから、大陸中から人やものが集まってくる。行き交う人々は、老若男女、服装も風貌も様々だ。特にこの数日は、新王の即位式間近とあって、普段よりもにぎわっていた。

 淡い黄色の小袖を着たさげ髪の少女が、小走りでラシュリルの横を通り過ぎる。ラシュリルの目が、無意識にその少女を追う。黒い髪と瞳。生粋のカデュラス人だ。わたしも、あの服を着たらカデュラスの人に見えるかしら。ラシュリルは、小袖姿の自分を想像してみるがぴんとこない。


「ラシュリル様、外套を」
「ありがとう、ナヤタ」
「どこかお目当ての場所があるのですか?」
「カナヤの森へ行ってみようかしら」
「カナヤの森ですか?」
「ほら、さっきお店の人が話していたでしょう?」


 樹齢百年とも二百年ともいわれる木々が生い茂る森。その奥には、浄土の蓮池のように美しい湖があるそうだ。浄土の蓮池は知らないけれど、美しいという言葉に好奇心をくすぐられる。


「でも、ラシュリル様。その湖には、恐ろしい魔物が棲んでいるって言っていましたよね。だから、誰も近づかないって」
「魔物だなんて、迷信か作り話に決まっているわよ。それよりも見て、ナヤタ。空がとても綺麗だわ」
「本当ですね」
「ねぇ、新王様はどんな御姿をなさっているのかしら」
「とても美しいお方だと、風の便りに聞きました」
「女性と見違えるようなお顔立ちで、病弱でいらっしゃるのだったわね。清廉でりりしい方だと嬉しいわ」
「そのような方がお好みなのですか?」
「違うわよ。大陸を統治なさる方がひ弱では、心もとないじゃない」


 二人は、はぐれないように手を繋いで往来の激しい大通りを歩いた。話しに夢中になっているうちに、にぎわいに満ちた繁華街を抜ける。道が分からなくなると、通りの店に立ち寄って道を尋ねた。カナヤの民は、異民族にも親切だ。きっと、慣れているのだろう。細い小路を曲がって人通りのまばらな道を行くと、目の前に大きな森が現れた。


「今日のみそぎを終えましたら、五日後は即位式でございますね」
「そうだな」
「昨日、宰相様からうかがった話では、キリスヤーナ国王が到着なされたらすべての国賓がそろうそうです。宴には間に合うとのことでしたので、もうお着きになったかもしれませんね」
「キリスヤーナは遠いからな。明日の宴で、国王の労をねぎらってやらねば」
「カナヤは、アユル様の即位に沸き立っているそうですよ」
「万事滞りなく、泰平でよきことだ」
「あとは、アユル様がお妃様をお迎えになられたら、宰相様も心から安心なさるでしょうね」
「コルダ、その話はやめろ。胸糞が悪くなる」
「なりません、アユル様。胸糞とは、言葉が悪うございますよ」


 アユルのえりを整えながら、コルダが肩を揺らして笑う。アユルは、眉間にしわを寄せてコルダをにらみつけた。


「お前が、女であればよかったのだ」


 アユルの何気ない一言に、コルダの手がぴくりとはねて止まる。そして、男が二人、微動だにせず真顔で見つめ合う。交わる視線にこめられた互いへの深い慈愛と信頼。腹を探らずとも、二人は魂で繋がっている。もちろん、それは恋情ではなく信頼という形での話だ。


「……あの。アユル様のご要望にお応えするのが、わたくしの務めと存じております。されど、わたくしがアユル様の御寝所に侍るには少しばかり、その……」
「なにを言っている。お前と同衾どうきんなどできるか、馬鹿者」


 アユルの指が、コルダの額を弾く。


「ったぁ! アユル様、なにをなさいます!」
「もう昼を過ぎた。早くカナヤの森に行かなくては。ばば様がしびれを切らしているぞ」


 アユルとコルダは王宮の裏門を出て、カナヤの森まで続く山道を一直線に馬で駆けた。視界を流れる景色のあちらこちらに、紅色に染まった葉が混じっている。景色が林から森へ変わったあたりで、二人は馬を止めた。コルダが、馬をおりて周囲を探る。生い茂る草に隠れて見えないが、一足違えれば沢へ真っ逆さまに滑落しそうな斜面だ。つま先で慎重に地面を確かめながら進む。


「アユル様、あちらにお屋代が見えます」


 コルダが指さす方向に、苔むした石造りの鳥居と古い木造の建物が見えた。アユルも馬をおりて手綱を引く。


「足元にお気をつけください」
「やれやれ、即位するにも一苦労だな」


 二人が鳥居をくぐると、建物の中から背の小さな白髪の老婆が姿を現した。ここには、カデュラ家の祖である初代王が葬られている。王家にとって神聖な場所で、王位を継ぐ者は即位前にここで禊をする習わしだ。コルダが、アユルから手綱を預かって二頭を馬立てに繋ぐ。階をおりてきた老婆が、曲がった腰を伸ばしてアユルの顔を見上げる。


「ようこそ」
「遅くなってすまなかったな、ばば様。息災であったか?」
「はい、このとおり」
「それはなによりだ」


 ばば様は亡き先々王の妹で、アユルが生まれる以前からこの屋代の守り主を務めている。見た目はここ二十年ほど変わっていないが、とうに寿命を迎えていてもおかしくない年齢だ。


「中に装束をご用意してあります。どうぞ、お着替えをなさってくださいませ」


 屋代に用意されていたのはマハールの葬儀に着用した白装束で、ホマの儀式が行われている間にばば様が死の穢れをはらったものだ。着替えを済ませて外へ出ると、ばば様が廊下に座っていた。


「すべきことはお分かりでしょうか?」
「湖の水で王都を清めればよいのであろう」
「そうでございます。できますか?」
「造作もない。私は父上とは……、歴代の王たちとは違うからな」


 二人のやりとりを聞きながら、コルダが階をおりて履物をはく。そして、いつものようにアユルの履物をそろえた。


「コルダは、ばば様とここで待っていろ。湖へは私一人で行く」
「いえ、アユル様の身に何事かあれば一大事ですので」
「このような俗世からかけ離れた山中で、なにが起きるというのだ。たとえ起きたとしても、助けなど必要ない」
「必要ないなど……。丸腰ではございませんか!」
「これ、コルダ殿」


 ばば様が、優しくコルダをなだめる。心配の度が過ぎて、思わず語気が強くなってしまった。コルダは、叩頭してアユルに無礼をわびた。


「心配するな、コルダ。雨が止めば戻る」
「雨でございますか? よい天気ですのに?」
「そう、雨だ。では、行ってくる」


 そのころ、ラシュリルとナヤタは、小道を辿って森に入り込んでいた。木々の合間から、日光が光線の柱を描いてそそぎ、うっそうとした森の奥とは思えないほど明るい。


「なんて清々しいのかしら。気持ちがいいわ」


 ラシュリルは、森の息吹を胸いっぱい吸い込んだ。少し離れた所で、ナヤタが小鳥を追いかけている。猫がするように、足音を忍ばせて飛びはねて。その動きがおかしくて、ラシュリルは声を出して笑った。その時、視界の隅にきらりと反射する光が入った。


「なにかしら」


 誘われるように、その光の方へ向かう。肩の高さまである草をかき分けて、奥へ、さらに奥へ。小鳥を見失ったナヤタが元の場所に戻ると、ラシュリルは忽然こつぜんと姿を消していた。

 屋代から森の奥へ向かってけもの道を行くと、森にぽっかりとあいた穴のような湖につきあたる。湖は対岸が見えないほど大きく、水底から薄青色の透明な水が絶えずこんこんと湧いて、鏡のように空や周囲の木々を水面みなもに映している。アユルは、湖畔からその明媚な風景をながめた。

 禊とは滝行の類ではない。湖の清らかな水で雨を作り、その雨で王都をみそぐぐのだ。大陸を平定した初代王は、人外の力を持っていたと言い伝えられている。神の力と史書に記されているそれは、触れるだけで命を奪い、天候まで意のままに操れたのだという。

 時がたつうちに初代王の血は薄まって、十八代目の王を最後に神の力はこの世から消滅した。実に数百年ぶりだった。カデュラ家に神の力を宿した赤子が生まれたのは。それを心から喜んだマハールは、初代王と同じアユルという名を王子に授けた。


 ――さて、さっさと済ませるか。


 アユルは足首まで湖に入ると、目を閉じて神経を研ぎ澄ました。森は今、静寂の中にあった。そよ風にたゆたう木葉の音に、空を飛ぶ鳥の羽音までもが聴覚に触れる。

 瞑想するアユルの足元で、湖面が小さく波立った。ちゃぷんと音を立てて、次から次に湖面に波紋が広がっていく。波は徐々に大きくなって、ぶつかる波と波がしぶきを散らしながら水面を揺らした。さらに勢いを増した波が、荒れる海のように激しく暴れ始める。

 アユルが二歩進むと、しぶきが霧雨となって宙に飛散した。頭上では、灰色の雲が青空を覆って、遠雷の音がごろごろと低くうなる。そして、雲が太陽を完全に覆い隠すと、一筋のいかずちが空を縦断して、雷を伴った篠突く冷雨が地に降りそそいだ。

 ダガラ城の高い塀も、建物も、街路も、人も、すべてが激しい雨に打たれる。カナヤの大通りでは、往来にひしめく人々が悲鳴を上げながら店先に逃げ込んだ。

 縦横無尽に空を切り裂いて閃光を放つ雷と、矢のように猛々しく湖面に突き刺さる攻撃的で冷たい雨。できることなら、優しく温かな雨を降らせたい。アユルは、自分の本性を表したかのような雨に打たれながら苦笑した。


「なんてひどい雨なの。あんなにいいお天気だったのに」


 ラシュリルは、顔を手で拭って必死に辺りを見回す。すっかり道に迷ってしまった。雨が外套にしみて、ワンピースまでぐっしょりと濡れている。太陽もかげってしまったから、余計に肌寒く感じる。途方に暮れて顔を上げると、視線の先に湖が見えた。


「あれ……。もしかして、あれが例の湖?」


 小走りに湖へ向かう。湖に近づくと人の姿があった。背の高さや風貌から、男性だと分かる。見ず知らずの人に声をかけるのは気が引けるけれど、他に人はいなさそう……。

 ためらっている場合ではない。
 ナヤタが心配して探しているはずだから、早く戻らないと。大丈夫、道を尋ねるだけだもの。ラシュリルは、意を決しておそるおそる、しかし雨音に負けないように湖畔から大きな声を出す。


「あの、すみません!」


 ここは森の奥で、滅多に人が近づかない場所だ。ラシュリルの声に驚いたアユルは、ゆっくりと体の向きを変えた。アユルの目が、湖畔に立つラシュリルをとらえる。

 ラシュリルは、鮮血のように赤く光るアユルの目を見て、ひゅっと息を喉の奥に詰めた。店で聞いた話を思い出して、背筋がぞっと凍りつく。この森には、本当に魔物が棲んでいるというの?


 ――こ、怖い。


 ラシュリルは、腰が抜けてしまいそうな恐怖に必死に耐えた。アユルが、湖を出て警戒しながらゆっくりとラシュリルに近づく。腕を伸ばせば届く距離までアユルが迫っても、ラシュリルは目を見開いたままぴくりとも動かない。驚きと恐怖が一気に押し寄せて、すっかり混乱状態に陥ってしまったのだ。アユルが、不審な者をあらためるような目つきでラシュリルを観察する。


「何者だ」
「わ、わたしは、あの、わた……」
「いつからそこにいた」


 矢継ぎ早に問う低い声には、明らかな威圧がこめられていた。冷たい雨と恐怖のせいで、唇が震えて声が出ない。ラシュリルは、なんとか声をしぼり出そうと喉元を手でおさえる。


「あ、あ、あの……」
「もうよい。ここで私に会ったことを、絶対に他言しないと約束しろ」


 出ない声の代わりに必死に首を縦にふって、ラシュリルは一目散に森へ逃げ込んだ。男が追いかけてくる様子はない。しかし、脇目もふらずに走った。小枝に頬を引っかかれて血がにじみ、雨でぬかるんだ地面に足を取られる。どこをどう走っているのかよく分からない。頭の中がぐちゃぐちゃで、とにかく無我夢中だった。そして、ナヤタを見つけたラシュリルは、助けを求めるようにナヤタにしがみついた。


「ナヤタ!」
「ああ、ラシュリル様っ! 心配したのですよ。どこへ行っておられたのです。……こんなに震えて!」
「ごめんなさい、ナヤタ。なんでもないの。雨が……、雨に濡れて体が冷えてしまっただけよ」


 目から涙があふれる。とても怖かった。あの人の射抜くような赤い目が、威圧的な低い声が、とても恐ろしかった。


「このままでは風邪を引いてしまいます。急いで戻りましょう」
「ええ、そうしましょう」


 雨が、徐々に勢いを失っていく。次第に雨雲が割れて、太陽が顔を出した。
 ふと地面を見ると、さっきまで女人が立っていた場所になにか落ちている。アユルは、かがんで小石が散らばった地面に手を伸ばした。

 それは、深い緑色の鉱石に数輪の小さな花が刻まれた玉佩ぎょくはいだった。手に取って顔に近づければ、赤い飾り紐からほのかに甘い香りがする。ああ、これは秋にどこからともなく香ってくる桂花の匂いか。そう思いながら、玉佩に彫られた花を指先でなぞる。

 ダガラ城への入城を許されるカデュラスの貴人たちは、身分の証しとして玉佩を身に着けている。つまり、今の女人は城へ出入りできる身分を持っているということだ。

 アユルは、コルダとばば様が待つ屋代に戻って身なりを整えると、すぐに王宮へ戻った。その道すがら、アユルは湖で会った女人のことばかり考えていた。黒い髪と瞳。容姿はカデュラス人そのものだったが、ひらひらとした見慣れない奇妙な服を着ていた。


「コルダ。お前は城下の事情に詳しいか?」
「詳しくはありませんが、一応の見聞はありますよ」
「では聞くが、良家の子女の間では、異国の服をまとうのが流行っているのか?」
「さぁ、そのような話は聞いたことがございません」
「……そうか」


   

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