「それよりも、こちらがよろしいですわ」
「あら、そうかしら。貴妃様には派手すぎるのでは?」
『これ』
「さすが宰相様の姫君ですわ、カリン様。やはり貴妃様は、薄桃色がお似合いになられますものね」
湯殿で身を清めてアユルが奥室に行くと、部屋一面に衣装が広げられて、女官たちがああでもないこうでもないと言いながらラシュリルを取り囲んでいた。あまりにも楽しそうな雰囲気に、アユルは声をかけそびれて部屋の入口にたたずむ。
「もしかして、私は邪魔か?」
「いいえ、そのようなことはございません。アユル様も一緒にお選びになられたらよろしいのです」
「あの輪に加われと?」
「ささ、アユル様。早く貴妃様のお近くへ」
立ちつくすアユルの横で、コルダが「ごほほん」とわざとらしい咳をする。すると、驚いた女官たちが蜘蛛の子を散らすように壁際に退いた。
「おかえりなさい、アユル様」
王宮にはまだ、外での出来事は伝わっていないのだろう。血なまぐさい外廷とは違って、こちらは常春の浄土だ。心からそう思えるのは、愛情と信頼で結ばれた生涯の伴侶を得たからに他ならない。アユルは、花のほころぶ笑みに誘われるようにラシュリルの傍に立った。
「衣装選びの続きを。私が選んでやる」
カデュラスの夏は、灼けるように暑い。暑さに耐性のないラシュリルには、とても酷だった。普段は、単衣と赤い袴の上に透けるほど薄い紗の袿を羽織るだけの軽い装いで暑さをしのぐのだが、正式な場に出るとなるとそうはいかない。幾重にも重ねた絹織りの色目の美しさや華やかさを魅せて楽しむのが、この国の美意識なのだ。
「そこの袿を取れ」
アユルが指さすと、カリンが床に広げられた白い袿を急いでかき集めるように抱えて手渡した。
「後ろを向け」
ラシュリルは、言われたとおりに後ろを向いて姿見の前に立った。壁際に並んだ女官たちが、絵巻物でも眺めるかのようにうっとりとしたまなざしを二人にそそぐ。陛下と貴妃様の仲のよさは、女官の口から口へと伝わって、今では王宮に勤める誰もが知る事実となっていた。
肩に純白の衣が掛けられる。ラシュリルがそれに袖を通すと、アユルが姿見を見ながら衿を整えた。それすらも、女官たちの目には想い合う者同士の阿吽の呼吸に見えてしまう。
「次は、あちらの青いものを」
ラシュリルの黒髪を袿の外に流して、アユルがカリンに言う。同じようにそれを三回繰り返して、最後に桐箱に仕舞われていた葡萄色の衣が肩に掛けられた。それは、山葡萄の実のような深い赤紫色に白い丸牡丹の文様が入っていて、絹のなめらかな光沢が輝く美しい逸品だった。
「とても綺麗な服……」
ラシュリルの表情が驚きと感嘆に満ちて、よく似合うとアユルが耳元で囁く。すると、二人の睦まじい雰囲気に水をさすように、女官のひとりが「陛下」と顔を引きつらせた。心なしか、その声は震えているようだった。
「葡萄色のお召し物は、王妃様にのみに許される高貴な身分の象徴でございます。なにかの手違いで紛れ込んでしまったようでして」
「手違いではない。私が工房の者に命じておいたものだ」
「さ、さようでございましたか。ですが、掟に反することですので何卒……」
女官が、身を低くして訴える。しかし、アユルはそれを無視して「袖を通せ」とラシュリルに言った。
「でも、王妃様しか着てはいけないものだって」
「時代が移るうちに正妃へ下賜するのが通例となっただけのこと。皆、その通例を掟と思い込んでいるようだが、元々は意味合いが違う。本来は、王が選んだ者に下賜されるべきものであり、誰にこの色を与えるのかを決めるのは私だ。ほら、袖を通してみろ」
ラシュリルは、困惑しながらも素直に従う。女官もそれ以上食い下がるようなことはしなかった。背後で、アユルが後ろ髪をすくうように手に取る。それに合わせるように、コルダがかんざしの並んだ盆を持った。
「髪を結って……。そうだな、髪飾りは控え目のものがよい。派手な装飾は、かえってそなたの美しさを妨げてしまうからな」
姿見に映るアユルの表情に、ラシュリルはどきっとする。盆からかんざしを選んですくった髪に当てて、これではないとまた別のかんざしに手を伸ばす。真剣で、どこか楽しそうで、見ているだけで幸せな気持ちが胸にあふれる。
「この宴が、私たちにとって重要なものだと言ったのを覚えているか?」
「はい。妃としての威厳が必要な時もあるっておっしゃっていましたね」
「私が主催するとなれば、高家の者がこぞって顔をそろえる。そして皆、必ず娘を同伴するはずだ」
「それは、その……、アユル様とお引き合わせするためにですか?」
「そうだ」
アユルがうなずいて、姿見の中で二人の視線がきつく交わる。アユルは髪飾りを置いて、不安げに瞳を揺らすラシュリルを後ろから抱き締めた。人目を憚らぬ行動に、女官たちが一瞬ぽかんと開口して赤くなった顔を慌てて伏せる。
「正念場だぞ、ラシュリル。私はそなた以外に触れたくはないし、そなたも同じ思いでいると信じている。私がどこにも行かずに済むように、そなたがしっかりしなくては」
「しっかりって……、どうやってですか?」
「私たちの間に他の者が入り込む隙などない。そなたこそが私の妻であると、皆に知らしめてやろう」
「まさか、そのために宴を?」
「察しがいいな。私は、意味のないことはしない。仮病で日を稼いだところで、そう遠くないうちに王妃を迎えろと迫られるからな。臣下たちが正妃の話を持ち出す前に、先手を打ったというわけだ。煩わしいことが続いたあとに邪気を払う儀式などと言えば、もっともらしいではないか」
鏡越しに向けられる不敵な笑みと、左肩の辺りにとくんとくんと伝わってくる静かな心音。ラシュリルは、鏡の中のアユルを見つめる。
アユル様はいつも堂々としていて、この世に恐れるものなんてないみたい。それに引き換え、わたしはどうなのかしら。いつもアユル様に守られてばかり。自分は役に立たないって諦めて……。大好きなのに、大切なのに、いつまで卑屈でいるのだろう。
――二度と悲しい雨の夜が来ないように、アユル様を守りたい。
ラシュリルは、アユルの腕の中でくるりと身をひるがえすと、顔を上げてほほえんだ。
「アユル様。以前お断りした禄を少しいただけませんか?」
がやがやと、華やかな賑わいが奥室まで聞こえてくる。
支度を終えたラシュリルは、姿見の前でどきんどきんと激しく高鳴る胸をおさえた。守りたいと意気込んで覚悟を決めたのはいいけれど、カデュラスの高官たちの前に出るのは、やはり尋常ではない緊張を伴う。
「とてもお綺麗ですわ、貴妃様」
ラシュリルを取り囲む五、六人の女官が満足そうにうなずく。その横で、カリンもにこやかに笑っている。少し顔の向きを変えると、結われた黒髪に挿された銀細工のかんざしから垂れる飾りが、ちりちりと小さな音を立てた。日が高くなって、強烈な日差しが庭にそそいで風が熱気を運んでくる。じっとしていても、汗ばむような暑さだ。
「陛下がお越しです」
コルダの声に、心臓が口から飛び出しそうなくらい跳ねて緊張が頂点に達する。ラシュリルはその場に座して、女官と同じように床に両手の指をついた。
「支度は済んだか?」
アユルがつかつかと部屋に入ってきて、半分ほど下ろされた御簾をかいくぐる。足音がものすごい速さで近づいて、ラシュリルの前でぴたりと止まった。
「堅苦しい礼はよい。立て、ラシュリル」
ほら、とさし伸べられた手を取って、ラシュリルは立ち上がる。アユルの思惑により行われることになった儀式ではあるが、れっきとした国事。アユルは純白の礼服に身を包んでいて、いつにも増して気品と威厳に満ちていた。
「思ったより時間がかかりましたね」
「ああ、祈祷師が念を入れて邪気を払ってくれたからな。あとで盛大に賞賛して、褒美をやるとしよう」
アユルが、うんざりした顔をする。アユル様のために心を込めたのでしょうにと、ラシュリルは内心で祈祷師に同情した。
「それはそうと、指先が冷えているな」
「身分の高い方ばかりがお越しになっているのかと思うと、やっぱり落ち着かなくて」
「たぬきが並んで、行儀よく座っていると思い込め」
「たぬきですか?」
私はいつもそうしている、とアユルが真顔で言うものだから、ラシュリルはおかしくなって吹き出してしまった。
コルダが、御簾を上げて「そろそろお時間になります」と言った。アユルは、ラシュリルの手を握ったまま広間へ向かった。二人の後ろを、コルダとカリンがついてくる。その五歩ほど後ろに、茶器や器を持った女官が続く。
広間では、かしこまった服装の貴人たちが席について王のお出ましを待っていた。王の到着を告げる太鼓が鳴ると共に、奥室まで聞こえていたにぎわいがぴたりと止む。
襖が開いて、ラシュリルの喉がごくっと小さく上下する。その音すら大きく聞こえてしまうほどの静寂の中、アユルはラシュリルの手を引いたまま広間に入った。
驚くような顔をした者、眉をひそめる者、様々な表情とすべての視線が二人に向けられる。再び高まる緊張と不安。
――わたしは、受け入れてもらえるのかしら。
真夏の酷暑が嘘のように背筋がぞっとして、手の平が汗で冷たく湿る。すると、アユルが握る手にぎゅっと力を入れた。まるで、私が傍にいるから臆するなと勇気づけるように――。
一段高い上座に、二つの膳が並んでいた。アユルとラシュリルがその席に着くと、高官たちが深々と上座に向かって頭を下げた。
アユルが「面を上げろ」と命じて、皆が姿勢を正す。
ラディエを筆頭に左右にずらりと並ぶ高官たちと、その間に色鮮やかな衣装を着た若い女性たち。宴は、なごやかな雰囲気で始まったように見受けられた。しかしそう時間が経たないうちに、ラシュリルの耳に貴人たちの密やかな声が聞こえてきた。
「異国の者が陛下と並んで上座に上がるとは」
「ご寵愛が過ぎて、清殿に住まわせておられるのだとか」
「なんと、それが事実ならば許しがたきこと。それにあの衣の色……。代々王妃様が身につけてこられたものであるぞ。陛下はなにを血迷っておられるのか」
「大事に至る前に、なんとしてでも陛下に正妃を娶っていただかなくては」
怖い。胸にじんわりと広がる恐怖心を打ち消すように、ラシュリルはタナシアの仕草を思い出しながら優雅に檜扇を広げた。そして、声をひそめる貴人たちと同じように檜扇で口元を隠して、アユルの耳に顔を近づける。
「アユル様。高家の姫様たちに焼き菓子をご用意したのです。お召し上がりいただいてもよろしいですか?」
「構わないが……。ああ、なるほど。それで禄をもらいたいと言ったのだな?」
「はい。カデュラスでは材料が高いので、これだけの人数の分を作るとなると手持ちが足りなくて」
「当たり前に禄を受け取ればいいだろう」
「いいえ。普段は困ることはありませんから、あんなにたくさんの額は必要ありません」
ラシュリルと会話をしながら、アユルの目がちらりと貴人たちに向く。すると貴人たちは、慌てて口をつぐんだ。無礼なことを言っている者がいると、ラシュリルがアユルに告げ口をしているとでも思ったのだろう。
「まったく、我が妻は稀代の貧乏性だな」
「真顔でそう言われると、結構、心が傷つくというか恥ずかしいというか」
「真顔で言わねば、あの者たちに気取られてしまうだろう。そなた、いつの間にそのような技を身に着けた?」
「アユル様にも聞こえていたのですか?」
「当たり前だ。まだ続けるようなら、宰相を呼んでつまみ出してやろうかと思っていた」
「そんなことをしたら宴が台無しです。せっかく、姫様たちと仲良くなろうと思っているのに」
「仲良くとは、どういう意味だ」
「焼き菓子の甘さは、毒のように怖いのですよ」
ラシュリルは、神妙な面持ちでアユルから離れて扇を閉じる。高家の姫君たちを見ると、それぞれがかわいくて美しくて、顔見知り同士で言葉を交わす仕草などが故郷の幼馴染を思い出させる。
管楽の調べが響いて、庭の白砂の上で若い貴公子たちの舞が始まった。
ラシュリルはカリンを傍に呼んで、この場にいる女性たちに焼き菓子と苺の果実茶をふる舞うように言った。清殿の女官が、手分けして手の平に乗るくらいの千代紙の包みを姫たちに「貴妃様からです」と手渡していく。
暑さを忘れてしまうような爽やかな薄青色の包みを開くと、中には指先でつまめる大きさの菓子が入っていた。丸い形、星の形、花の形。不揃いでいびつなそれらは、一つ一つ丹精込めて作られているとひと目でわかる。そのうちの一つを頬張ると、カデュラスの菓子とは違った香ばしい甘味が口いっぱいに広がった。
「美味しい」
あちらこちらから感嘆の声が上がって、幸せそうな笑顔が咲く。さらに、冷たい苺の果実茶が彼女たちの心を鷲づかみにした。舞が終わるとすぐに、姫たちがわらわらと上座に集まってきた。彼女たちはアユルに挨拶をしたあと、焼き菓子と果実茶の礼もそこそこにラシュリルに詰め寄った。
「あれはなんと言う菓子なのですか?」
「貴妃様がお作りになったのですか?」
「キリスヤーナには、他にどのような菓子があるのですか?」
「あのお飲み物は一体……!」
彼女たちの勢いに気圧されるラシュリルの横で、アユルが声を立てて笑う。あわよくば我が娘を王妃に、などと目論んでいたであろう官吏たちは、示し合わせたように目を点にして魂が抜けたような顔をしていた。いつの間にかカリンや女官たちまで加わって、ラシュリルたちは長いこと会話を弾ませた。
その夜、ラシュリルはカリンに髪を乾かしてもらいながら、宴で言葉を交わした姫の名前と笑顔を思い返していた。結局、話がつきることはなく、日を改めて茶話会に彼女たちを招待することになった。
「よかった、優しい人ばかりで」
我が妻と言われた時、嬉しくてたまらなかった。
アユル様を守るとはいっても、誰かといがみ合って争うようなことはしたくない。できることなら、皆が笑顔になれる方がいい。真っ先に頭に浮かんだのは、故郷でのティータイムの光景だった。あの時間だけは、厳格な伯爵夫人も別人のように優しい顔つきになった。もっとも、故郷の習慣がここで通用するのか自信はなかったのだけれど。
「ありがとう。あなたたちのお陰で、とても楽しい一日になったわ」
ラシュリルが、昨日一日、暑い中焼き菓子作りを手伝ってくれたカリンと女官に礼を言うと、わたしたちも楽しかったと満面の笑みが返ってきた。
些細で意味のない努力かも知れないけれど、まずは一歩を自分の足で踏み出さなければ。この国で、この王宮で、一生を過ごすと決めたのは自分なのだから。
コルダが、そろそろと様子をうかがうように部屋に入ってきた。
「貴妃様、陛下がお待ちでございます」
アユルは、寝具の上に寝そべって書簡を読んでいた。
カリナフが王都を離れる前日にラディエに預けた手紙だ。それには、願いを聞き届けてもらったことへの感謝と忠誠を誓う言葉が並んでいた。それから、タナシアの罪を共に背負って戒めるために、彼の地まで二人で歩いて行くとも書かれていた。タナンの国境までの道のりは、キリスヤーナへ向かうそれよりも険しく遠い。高家の雅な暮らししか知らない二人だ。その旅路は、大変な苦難であろうと察する。
『遠い地で、慶事の知らせをお待ち申し上げております。一日も早くその日がまいりますよう、心より祈願致します。陛下と貴妃様に数多の幸あらんことを』
手紙は、そう結ばれていた。
「貴妃様がお越しになられました」
アユルは、身を起こして書簡を枕元の台に置いた。戸が静かに開いて、ラシュリルが部屋の中を覗くように顔を出す。
「早くこちらへ来い」
手招きをすると、ラシュリルは嬉しそうに近づいてきて、寝具の上で向かい合うように正座した。
「今日は疲れただろう」
「いいえ。とても楽しくて、あっという間でした。茶話会の日が待ち遠しいです」
「それはなによりだな。そなたは、私が思う以上に頼もしくて勇敢だ」
「そんなことはありません。姫様たちがいい人ばかりだったから」
「褒め言葉を素直に受け取るのも大事なことだぞ」
「はい。ありがとうございます、アユル様」
「それでよい」
「そういえば、カリナフ様はお越しにならなかったのですね」
「なんだ、カリナフのことが気になるのか?」
「気になるというか、カリナフ様の荘厳な舞を楽しみにしていた方もいらっしゃったのではと思って。ほら、春の宴でカリナフ様がお面をはずした時、歓声が凄かったでしょう?」
「カリナフは……」
タナンとの国境に行った。今生ではもう会えないだろう。アユルは淡々とした口調でそう言って、ラシュリルの夜着に手を掛ける。そして、慣れた手つきでするりと腰紐を解いた。
「なにかあったのですか?」
「あったが、それはまた日を改めて話す。私たちは、長い時を共に過ごすのだから時間はたっぷりある。今はそのような話しをするよりも、早くそなたに触れたい」
明々とともった照明に、ラシュリルは少し戸惑う。いつもなら消してくれるのに、今夜はどうしたのだろう。
「アユル様。あの、明かりを消してもいいですか?」
「いや、今宵はこのまま」
「へ?」
ラシュリルは、思わず口をぽかんと開けた。
だめ、無理です。最近、食事とおやつがとても美味しくて、あちこちがふくよかになってきた気が……。ラシュリルは、ゆるんだ夜着の衿をおさえながら口ごもる。ちらりと目だけを上に動かすと、アユルが優雅な笑みを唇に乗せて熱を孕んだ視線を向けてきた。
角ばった人差し指の先が、頬をかすめるように髪をすくう。漆黒の瞳は魂まで引き寄せられてしまいそうなほど妖艶で、ゆったりとした指先の動きは全身が疼くような夜毎の愛撫を連想させる。
――恥ずかしい。
アユルの笑みがそれを見透かしているように思えて、勝手に羞恥心をあおられてしまう。鼓動が早まって顔が熱い。ラシュリルが恥ずかしさに耐えていると、前髪を耳に掛けた指先が唇をなぞった。
「愛していると言葉にすればたった一言だが、想いは計り知れないほど深くて強い。どのようにすれば、私の気持ちを余すことなく、そなたに伝えられるだろうか」
もう充分に伝わっています。そう答える前に、肩を押されて体が仰向けに倒れた。軽くくちづけを落とされて、衿から忍び込んだ手が鎖骨に沿って肩に触れる。するりと夜着が肌を滑って、ラシュリルは小さな声を上げた。首から胸、みぞおち。赤い印をつけながら、アユルの唇が下に向かっていく。
「……まっ、待って」
脚を大きく広げられて、恥丘にアユルが顔を埋める。明るい部屋。されていることが丸見えだ。アユルが、形のいい唇から舌を覗かせる。そして、ラシュリルに見せつけるように、両脚を持ち上げて淡い茂みから秘帯に舌を這わせた。蜜口を舐め回して、肉溝に唾液を塗り込めて陰核を舌先で突いて強く吸う。親指と人差し指で皮をむいて先端をちろちろと舌戯してやると、ラシュリルの白い両脚が大きく震えた。花孔から出てくるとろりとした甘い汁をすすり立てて、たっぷりと舌につけて舌先を蜜口にさし込む。
「あ、っ、ん……っ」
ラシュリルは、天をあおぐように喉をのけ反らせた。ぞわりとした快感が、恥部から臓腑を走り抜けていく。ぴちゃぴちゃといやらしい音を響かせながら、アユルの温かい舌が狭穴を出入りする。
「あっ、んんっ、あぁっ……」
一瞬、体が強張る。もう少しでのぼり詰めるというところで体が回転して、腰を高く持ち上げられた。両手両足をついて、お尻を突き出した格好になっている。ラシュリルは息を乱したまま顔だけを背後のアユルに向けた。アユルが、ラシュリルの柔尻に指先を食い込ませてなまめかしい息を吐く。
「挿れてほしいとねだっているような格好だな」
先走りを垂らす硬茎の先に、勃起して膨れた赤い肉粒を押しつぶされる。
「そんなこと……っ、あぁ……っ!」
入口に硬いものがあてがわれて、先端が押し入ってきた。粘膜を擦られる感覚に、体を支える細腕が震える。それは、襞を押し広げるようにゆっくり奥まで進んで、二、三度奥を突いたあと、中をえぐるように動き始めた。徐々に動きが早くなって、背筋にぞくぞくとした小さな波が立つ。
「もう……っ、おねが、い……っ」
果てたい。ラシュリルの懇願するような声に、抽挿が激しくなる。敷布に突っ伏して、されるがまま揺さぶたれる。ぎゅっと閉じたまぶたの裏で光が弾けて、大きい波が体を走り抜けた。もう、だめ。遠くに行ってしまいそうな意識とは裏腹に、花孔の中は吸いつくように熱い猛りを咥えている。それを悦ぶかのように、アユルが腰をぐっと押しつけて先端で最奥を突く。
「あっ、あっ……、んんっ、あぁ……っ、んっ」
体が震えて全身から力が抜ける。同時に、剛直が引き抜かれた。
「あっ……」
今度は、体を仰向けにされて唇で口をふさがれた。
「……っふ、あ、ん、んんっ……!」
二人の唾液が口の中で混ざり合って、舌が絡まる。互いの吐息に溶けていく、互いの声にならない声。熱くて甘くて、頭がくらくらと痺れてしまう。
――幸せ。
愛して、愛されて、愛しい人が体の隅々にまで染みこんでいくみたい。
はぁ、と深い吐息と共に唇が名残惜しそうに離れた。汗ばむ白桃のような乳房の肌を食んで、アユルがその中心で固く熟れた紅い頂を口に含む。舌先でちょっとそれを転がされただけで、下腹部がきゅんとなってまた体が熱くなった。
アユルは、ラシュリルの脚を持ち上げて両肩に乗せると、痛いくらいに昂ぶった自身の先を秘裂に食い込ませた。焦らすように先端を上下させて、ラシュリルを見下ろしながら、時折、ぷっくりと充血した蕾を弄ぶ。先程までアユルを受け入れていた蜜孔は、ひくひくと蠢いて愛汁を滴らせている。
手の甲で口をふさいで羞恥に悶える顔。華奢な肩に瑞々しく弾む乳房。淫らな火陰。なにもかもが愛おしくて、骨の髄まで自分だけのものにしたくなる。愛している。一言では、気持ちが収まりきらない。
「アユル様……んっ、気持ち、いい……」
目を潤ませたラシュリルが、浅い呼吸をしながら言う。アユルは、ラシュリルがこぼす蜜液を絡めて一気に奥まで貫いた。少し動くだけで、ざらざらとした襞がうねってきつく締めつけてくる。全身を突き抜ける甘美な喜悦。アユルは陶酔するように、ラシュリルの名を呼んで、胸を揉みしだきながら腰を打ちつけた。
「あ……っ、あ、んっ……、も……っ、だ、め……っ」
眉根を寄せて、ラシュリルが苦悶の喘ぎ声を漏らしながら体を弓のようにしならせる。同時に、膣壁が強くアユルを締め上げた。狂おしいほどの愛情が、二人の魂までも結びつける。共に上り詰めていく瞬間、世界は二人だけのものになった。
「はぁ……っ、ぁん、あぁんんっ……!」
がくがくと震えるラシュリルを激しく穿ち、アユルは低い声が混ざった息を吐いて最奥に白液を放った。どくどくと脈打つ自身を挿れたまま、アユルがラシュリルに覆いかぶさって、汗で湿った体を抱きしめる。二人の息と鼓動は、言葉を発することもできなほど激しく乱れていた。
油が切れた燭台の炎が、白煙をくゆらせて消えた。しばらくすると、他の明かりも同じように消えて、寝所は真っ暗になった。アユルは、ラシュリルの頭を腕に乗せて寝具の上に横たわった。
季節が一巡りした。
この一年で、王宮の雰囲気はすっかり変わってしまった。時々、妃ではない若い乙女たちが、御殿の一つに集まって楽しそうな笑い声を響かせる。貴妃主催の茶話会は、回数を重ねるうちに高家の娘だけでなくその友人たちや女官も加わるようになって、大変にぎわう一大行事となっていた。
そして、甘くむせ返るような花の匂いが漂う夏の日。王家に新たな命が誕生した。黒い髪に透き通る青いガラスのような青い瞳。カデュラス人とキリスヤーナ人の特徴を併せ持つ王女だった。生後一ヶ月がたち、王女はセシルと名づけられた。セシルとは、カデュラスの古語で光という意味だ。
王位を継げるのは、直系の男子のみと定められている。男子でなかったことが皆を落胆させるのではないかとアユルは思ったが、それはまったくの杞憂だった。
かたくなに独り身を貫いた挙句、女官たちを追い出してしまうような陛下に御子が……。ラディエが、歓喜の涙を流して皇極殿に鼻をすする音を響かせた。ラディエにつられるように、次々と感動に胸を震わせた中年たちがむせび泣いて、アユルは全身をぞわぞわと粟立たせながら祝いの言葉を受け取ったのだった。
臨月に入ってから、ラシュリルは清殿を出て華栄殿に移っていた。本来なら、歴代の王を祀ってある神陽殿の近くに産殿が建てられるのだが、アユルは清殿に近い華栄殿を産殿とした。毎日通うには、神陽殿はあまりにも遠いからだ。
夜遅く、アユルは必ず華栄殿に行く。愛妻と愛娘の顔を見ないと、一日が終わらないのである。華栄殿の一番広い部屋で、薄明かりの中、ラシュリルは布団に横たわって安らかな寝息を立てていた。そのすぐ隣に、小さな赤子がころんと転がっている。
アユルは、傍らに座って二人の顔を交互にながめた。どれほど見ていても飽きない。朝までずっと見ていられたらどんなに幸せだろうか。
「はふぅ」
小さな声がした。寝ていたはずのセシルの顔が、あっという間にくしゃっとなる。そして、ふぎゃあと弱々しく泣き始めた。
「これ」
アユルは、セシルを腕に抱いて立ち上がると、衣桁から掛け布を取って急ぎ足で広間を出た。
「まったく。昼間も散々泣いたのだろう? 少しは母上を休ませてやれ」
人差し指でつんつんと口をつつくと、セシルは口をもごもごさせて呑気にあくびをした。どうやら、泣く気は失せたようだ。
「今宵は月が綺麗だぞ」
セシルの体が冷えないように、掛け布でくるんで胸にしっかりと抱く。アユルは、外廊下に出て庭におりた。しんと静まり返った庭に、ざくと玉砂利の音が立つ。
「アユル様」
ふり返ると、ラシュリルが「ごめんなさい」と慌てて階をおりてきた。深く眠っていたように見受けられたが、母親とはすごいものだなとアユルは内心で驚く。
「セシルと庭を歩いてくるから、そなたは休んでいろ」
「わたしもご一緒します」
「それでは意味がないだろう」
いいえ、とラシュリルが少し痩せた顔に嬉しそうな笑みを浮かべる。
さわさわとゆるやかな秋の風が吹いて、どこからかふわりと桂花が香る。アユルは、セシルの掛け布を整えてラシュリルの手を握った。
「寒くないか?」
「はい。ちゃんと着込んできましたから」
ざくざくと心地よい音を奏でながら、アユルとラシュリルは庭を歩いた。黒く光る玉砂利の上に、夜半の月明かりを浴びる二人の影が伸びる。影はぴたりと寄り添って、いつまでも離れることはなかった。
―完―