喉の奥までマルタンを咥えながら窓に目をくれると、真っ暗な景色にふわりふわりと真っ白な雪が舞っていた。僕は冬が好きだ。なぜなら、ディフィシル様がお生まれになった季節だから。
毎年、ディフィシル様の誕生日の夜に、宮殿で華やかな舞踏会が開催される。ディフィシル様はいつも席に座って貴族たちの舞踏を鑑賞なさるのだけれど、今年は王妃と一緒に舞台へあがってメヌエットを披露なさるそうだ。
宮殿での暮らしが始まってしばらくたったころ、僕は侍女の仕事を覚えるかたわら舞踏を教わった。誕生日の舞踏会をひかえたディフィシル様が、練習相手に僕を指名して直々に仕込んでくださったのだ。
もしも僕が王妃のように高貴な身分の女性だったら、ディフィシル様にエスコートされて煌々とした舞台でベル・ダンスを踊れたのかな。
「はぁ……、サンク。気持ちよすぎてイっちまいそうだぜ」
マルタンが、僕の尻にバシッと平手を見舞って体を起こす。ぐるんと視界が反転して、仰向けになった僕の体をマルタンの大きな黒い影がおおった。
「っ、あぁ……ッ!」
張りつめたマルタンの剛直が、ぐちょぐちょにふやけた尻穴をつらぬく。塗りたくられた潤滑液と前戯のおかげで、僕の肛穴は抵抗なくマルタンを受け入れた。ハッハッと息を荒らげて、マルタンがとり憑つかれたように腰をふる。
――バカだな、僕は。
もし、なんて想像は無意味。仮想したところで、現実は現実だし、なにも変わらない。最下層に生まれた僕では、ディフィシル様の相手になれるはずもないのにね。
身の程をわきまえずディフィシル様を愛し、王妃に嫉妬し、低俗な男と禁じられた行為に身を染める僕に、神はどんな罰を与えるのだろう。
ぎしぎしと、今にも壊れそうな音をたててきしむベッドの上で、僕はマルタンに揺さぶられながらディフィシル様の顔を思い浮かべる。
――美しい、僕の太陽。
使用人のままでいい。クロディアとしてずっとそばにいたい。今までと変わらず宝石のような青い瞳で僕を見つめて、そよ風のような優しい声で僕を呼んでほしい。
――あぁ。やっぱり僕は、ディフィシル様が大好きだ。
「く、あ……ッ!」
マルタンが身震いしながら素早く肉棒を引き抜き、僕の胸や腹に汚濁をまき散らす。
「あぁ……。お前は女じゃねぇから、中でイッてもよかったな」
舌で口角を舐めながら僕を見下ろすマルタンは、本に描かれていた悪魔そのものだった。
僕はその日、マルタンの家で夜を明かした。侍女長に申しでていた帰りの時間はとっくの昔に過ぎていたから、マルタンの好意にあまえてパンとベーコン、コンソメのスープをごちそうになって店を出る。
身売りして手に入れた薬を手に宮殿に戻ると、案の定、侍女長の叱責が待っていた。僕が男だと知っているのは、ディフィシル様の側仕えのお姉様方だけ。侍女長は、クロディア相手に宮殿の規律についてあるいは年頃の子女のたしなみについてつらつらと説教をたれたのだった。
◇◆◇
王妃の体調不良は、数週間続いた。部屋にこもりきりの王妃のもとに、高位の司祭や宮廷医が入れ代わり立ち代わり訪れる。ディフィシル様も王妃についてなにもおっしゃらないし、王妃の侍女ではない僕には王妃の身になにが起こっているのかまったく分からない。
――皮膚がただれたにしては、大袈裟だし長くないか?
疑問に思いながらも、ディフィシル様と王妃の仲睦まじい姿を見なくてすむ日常は、僕に一時の安寧をもたらした。
一つ残念だったのは、王妃に配慮してディフィシル様の誕生日を祝う舞踏会が中止になったことだろうか。王妃とメヌエットを踊るのは許せないけれど、ディフィシル様の誕生日をお祝いできないのは寂しい。
そして、ディフィシル様の誕生日。
僕は、いつもと同じように朝鳥の鳴き声で目を覚まして顔を洗った。リンネルの布で顔をふきながら鏡を見る。すると、下唇に白いできものが二つ並んでいた。
痛くもかゆくもないから、まったく気がつかなかった。ただれたような痛々しい見た目が、グロテスクで気味が悪い。
――なんだ、これ。
鏡に顔を近づけて、唇をまじまじと観察する。こんな変なもの、昨日まではなかったし、今までもできたことはないんだけどな。
指先でつんつん突いて押してみる。やっぱり痛くもかゆくもない。ただれているように見えるのに、表面は乾いていて、硬くて、できものというよりはしこりみたいだ。
ヴェールで隠せるから今日はいいとしても、長引くと厄介だ。誰かに知られて、病人扱いされる前にどうにかしないと。
――そうだ、マルタンに相談すればいい薬をもらえるかも。
すっかりマルタンを頼りにしている自分が情けないけれど、誰かに知られる前に治す方法をほかに思いつかない。
さっさと身支度を済ませて、外出の許可をもらおうと侍女長のもとへ急ぐ。昼間なら、マルタンも店があるから無体な要求はしないはずだし、金貨で薬を買ってすぐに戻れば、ディフィシル様が公務を終える時間に十分間に合う。僕はそう簡単に考えていた。しかし――。
「あなたの外出を許可するわけにはいかないのよ、クロディア」
侍女長が、僕をじっと見つめて淡々とした口調で言う。やはり、先日の朝帰りが尾を引いているのだろう。
「今日は、ちゃんと時間を守ります。ですから、どうかお願いします」
「あら、反省はしているようね。でも、理由はそれじゃないの。あなたを宮殿から出さないよう、陛下に命じられているのよ」
「ディフィシル様にですか? どうしてです?」
「街で奇妙な死病が流行っているらしくてね。陛下がいたく心配なさっているの。最近よく外出しているから、あなたが街で悪魔に魅入られてしまうんじゃないかって」
「あ……、そうでしたか。あの侍女長、その奇病というのは?」
「私も詳しくは分からないのだけれど……。変なできものが体中にできて、やがて死んでしまうそうよ。あなたは陛下の側近だから、特に気をつけないとね。急ぐのなら、下働きの子たちに使いを頼みなさいな」
「あ……、いえ。急ぐ用事ではありませんので」
「そう」
「お忙しいのに手間を取らせてしまってすみません。失礼します」
「待って、クロディア。陛下が、昼前に戻るから部屋で待つようにとおっしゃっていたわ。今日は陛下のお誕生日ですもの。舞踏会も中止になってしまったし、気分が晴れるようにお部屋にお花でも飾ってさしあげたらどうかしら」
「かしこまりました」
侍女長の部屋を出た僕の心臓が、ばくばくと汗ばむような鼓動を響かせる。
変なできものだって?
いや、唇のこれは関係ない。だってここ数週間、街には行ってないのだから。もしこれが街で流行っている病気と関係があるのなら、もっと早く症状が出るはずだろ?
体が浮遊して、地をふみしめる感覚がなくなっていく。背後で、カチャリと音を立ててドアが開いた。
「どうしたの? クロディア」
ドアから顔を覗かせたのは、侍女長だった。僕は、侍女長に一礼してその場を立ちさると、庭園にあるハウスに直行した。庭師のおじさんが大事に育てた花を切ってもらって、おしゃれな花瓶にさしたそれをディフィシル様の部屋に飾る。
部屋の片づけや掃除などは、お姉様方が済ませたのだろう。僕は、部屋の壁際に置かれたゴブラン織りのフットスツールに腰かけて体を壁にあずけた。
――なんだか、疲れちゃったな。
暖炉の中で、炎がぱちぱちとはじけてゆるやかに揺れる。室温が適度で、あまりの心地よさに僕はうっかり寝入ってしまった。意識がすっと遠のいて、夢の世界に迷いこんでいく。まるで、過去の時間に引きこまれるような不思議な感覚だった。
僕には、明確な誕生日がない。
修道士が僕を保護した日からの年月が、僕の年齢だった。それを不憫に思ったディフィシル様が出会った日を誕生日にしようと言って、僕に誕生日ができた。
嬉しかったなぁ。
両親の顔や愛情を知らず、家畜のように生きていた僕には、ディフィシル様の厚意や優しさがあたたかすぎて、憧れや尊敬のほかに好意まで抱いてしまったんだ。
僕に芽生えた恋は、親鳥についていく雛鳥そのもの。
だけど、これはディフィシル様を困らせてしまう感情だから、僕は一生胸に秘めておく覚悟でクロディアを演じていた。
しかし、ある夏の日。
その日は、奇しくも僕の十二歳の誕生日だった。図書室で本を読むディフィシル様のかたわらで、紅茶を淹れる僕にディフィシル様がぼそりとおっしゃった。
『私は、女性を好きになれないんだ』
当時、二十歳を目前にしたディフィシル様は、結婚の催促と毎日のように持ちこまれる縁談に頭を抱えておられた。いずれクロストリージオの国王になられる身。そうでなくても、真面目で浮いた噂もなく、神に愛された美貌の持ち主だ。そのころの社交界は、ディフィシル様の妃になりたい令嬢たちの美を競い合う品評会になっていた。
『自分でも、どうしてそうなのか分からない。神の教えに従順でない私は、クロストリージオの太陽となるに不相応だ』
いつも凛とした御方が、僕にだけ吐露した苦しみ。自己を否定する言葉と姿に、驚きよりもまず心が痛んだ。ディフィシル様のほかに、クロストリージオの太陽となるにふさわしい人がいるはずがない。だって、ディフィシル様は聡明で優しくて穏やかで、窓からさしこむ日差しこむ春の太陽みたいな人だもの。
どれくらい眠っていたのか。
ふわりと覚えのある香りに鼻をくすぐられて、僕はぼんやりと目を開けた。僕の体には上等のジュストコールがかけられていて、すぐ隣でぱらりと紙をめくる音がする。はっとして体を起こすと、隣でディフィシル様が本を読んでいた。どうやら僕は、不遜にもディフィシル様にもたれかかって眠りこけていたらしい。
「もっ、申し訳ございません!」
「疲れているようだな。ベッドに運んでやろうと思ったが、起こしてはかわいそうだからそのままにしておいた。体は痛くないか?」
「……はい」
「まだ
ふっと軽やかに笑んで、ディフィシル様の視線が僕から本に移っていく。見ると、ディフィシル様が座っておられるのは、いつも隣の部屋に置いてあるフットスツールだった。
国王たる御方が、足乗せに座って使用人の僕をあなたと言う。ディフィシル様は、いつだって身分の垣根を感じさせないよう僕に合わせてくださる。
――ディフィシル様の愛は、まだ僕のものだと信じてもいいの?
本なんて見ないで。僕の渇きを満たせるのは、この世にディフィシル様しかいないんだ。本能が渇望するままに、本を持つディフィシル様の手元に手を伸ばす。同時に、本が宙をまって絨毯の上にバサリと落下した。
僕の手首が、角ばった手につかまれて、細腰を力強い腕にさらわれる。次の瞬間、、僕の小さな体はお尻を軸にしてディフィシル様の太腿に乗っかっていた。
「今日も外出しようとしていたらしいな」
「……あ、あの、それは」
「行き先は、大通りの薬屋だったのか?」
鼓膜を叩かれたような強い衝撃に、僕はディフィシル様を凝視して表情をこおらせる。
――なぜ、マルタンの店をご存じなの?
瞠目する僕の顔に、ディフィシル様が鼻先を近づけた。
「あなたが私に隠し事をするから、調べさせてもらった」
「ディフィシル様、誤解なさらないでください。それには理由が……!」
「王妃が身ごもったそうだ」
「はい。……えっ?」
「七日後、バティヌス離宮へ行く。あなたも同行するように」
「分かるようにご説明ください、ディ……ふぁ、ッ」
ヴェール越しに、ディフィシル様の唇が僕のそれに触れる。ディフィシル様は直にキスするようにヴェールの上から僕の唇をついばんで、舌先を僕の口の中に滑りこませた。