第四話 太陽のかげり


 ◇◆◇

 絶望の一日は、朝鳥のさわやかな鳴き声から始まる。
 冬の朝日がようやく顔を出し始めた時刻。僕は小宮殿の一階におりて、肌を刺すような冷水で顔を洗う。そして、清潔なリンネルの布で顔を拭いたら、ディフィシル様にいただいた剃り刃を棚から取る。

 あごと鼻の下の固い毛を剃ろうと正面の鏡を見ると、目の下にうっすらと黒い影ができていた。ここのところ、いろいろと考え事をして眠れていないせいだ。

 ヒゲと産毛を剃って眉まで整えたら、もう一度、顔に水を浴びる。  ディフィシル様と王妃の朝食デジュネは、朝の礼拝のあと。

 ――さて、どこで王妃にアネモネをプレゼントしてやろうか。

 リンネルの布を顔に押し当てながら、いつもディフィシル様のそばで見ている王妃の行動を頭の中で繰り返し再生する。そして僕は、食卓に必ず置かれるフィンガーボウルを標的にさだめた。

 アネモネの毒に致死性はない。肌が炎症をおこして、皮膚病のように赤くただれるだけ。しかし、それで十分だ。病気になれば、王妃は治癒するまでディフィシル様と会えなくなる。

 病気というのはその者の業が引きよせる悪魔デモンの仕業であり、周辺の者にまで不幸をもたらす脅威だと神はおおせになった。だから、クロストリージオの太陽に悪魔が近づいてとり憑つかないように、宮殿内では病人への扱いが慎重になる。同じ空気を吸うことすら禁じられるのだから、共寝なんてとんでもない話だろう。

 ――まずは、王妃からディフィシル様と過ごす時間を奪ってやる。

 これを思いついた時、いつもは憎しみの対象でしかない神に心から感謝した。神がいてこそ、悪魔は存在できるのだから。

 屋根裏部屋にもどって寝間着からお仕着せに着替え、赤髪にブラシをとおして結いあげる。柔らかな花の香りを染みこませたヴェールで、目の下から喉元までを隠せば、クロディアのできあがりだ。

 エプロンのポケットにマルタンの小瓶を忍ばせて小宮殿を出る。そして、うっすらと雪の積もった庭を抜けて宮殿本館の勝手口を開けた。

 クロディアという侍女は、言葉数少なくつつましやかな女性でまかりとおっている。僕は、廊下ですれ違う侍女や下働きたちに上品な会釈をして、足早に国王の居室へ向かう。

 ディフィシル様の部屋に入ると、お姉様方が朝の支度に勤しんでいた。みんなに朝の挨拶を済ませて、クローゼットからディフィシル様の服を出す。クローゼット内に充満した香水の芳香に、脳がくらくらと揺さぶられるように震盪した。

 なんていい香りなんだろう。

 ――あぁ、ディフィシル様をどこかに閉じ込めてしまいたい。

 二人しかいない世界で、互いの身が枯れるまで愛し合えたらどんなに幸せだろう。

「クロディア。お召し物のほうは私がするから、あなたは朝食の準備に行ってちょうだい」

 僕に指示したのは、お姉様方の中で一番年若いフィーネという侍女だった。年若いといっても、僕よりはうんと年上だ。僕は、フィーネに笑顔で返事をしてディフィシル様の衣装をあずけると、部屋を出て会食の間へ急いだ。

 人手がそろう前にカトラリーを並べて、フィンガーボウルに司祭が清めた水をそそぐ。辺りを警戒しながら王妃のフィンガーボウルにマルタンからもらった液体を溶かす瞬間は、恐怖や罪悪感、そして愉快さも快感もない、まるでハルシオンのような気持ちだった。

 無味無臭、無色透明で、見た目には貴婦人の指先を清めるただの水。王妃は、パンのあと必ずフィンガーボウルに親指と人さし指、中指をひたして果物を食べるから、口の周りが見事にただれるだろう。

 僕がテーブルのセッティングを終えたころ、食膳係が食事を運んできた。みんなで手分けして配膳し、国王夫妻の一日の幸福を祈る花でテーブルをいろどる。朝の礼拝を済ませて、王妃はいつものようにディフィシル様と朝食を召しあがった。国王夫妻の密やかな会話を聞くのは嫌でしかたがないけれど、今日は王妃の笑顔が愉快でたまらない。

 王妃が体調を崩したとの一報が宮殿を騒がせたのは、その日の夕刻だった。

「王妃様は大事ございませんでしょうか」

 僕が、夕食を給仕しながらさも心配したふうに言うと、ディフィシル様は小さなため息を一つついた。ディフィシル様が、自室で夕食を食べるのは久しぶりだ。

 ほらね、王妃さえいなければ、ディフィシル様は僕と二人きりの時間を過ごせる。でも、ディフィシル様の表情がさえないのはなぜだろう。

「おかわいそうに……。すぐに快気なさるとよいのですが」

「フォン」

「はい、ディフィシル様」

「それは本心か?」

 フォークに刺した肉片を頬張って、ディフィシル様が僕に青い目を向ける。ディフィシル様は聡明な御方だ。もしかして、僕の悪行を見破っているのではないかと、今になって怖くなる。

 初夜の証人を務め、距離を縮める二人を目の当たりにしてもじっと耐えてきた。ディフィシル様のお立場も背負っておられる責務も、僕はちゃんと理解している。だから、苦しい。

「もちろんです。ですが、僕は」

「どうした?」

「ディフィシル様が恋しい……、です」

 お仕着せのエプロンをぎゅっと握り、ヴェールの下できゅっと唇を嚙みしめる。僕は、期待したのかもしれない。ディフィシル様が、以前のようにしびれるような甘い時間を与えてくださることを。

 しかし、席を立ったディフィシル様は、僕の赤髪をくしゃりとなでて、「疲れているようだな。もうさがっていいから、今夜は早く休め」とおっしゃっただけ。優しい声が鼓膜をゆすった瞬間、僕の中で張り詰めていたなにかがプツンと切れる音がした。

「申し訳ございません、ディフィシル様。ご無礼を申しあげました」

 ディフィシル様の手をそっと払いのけ、深く一礼して部屋を飛びだす。僕はその足で侍女長のもとへ行き、外出の許可をもらった。侍女長は少し訝しんだ様子だったけれど、申し出た外出時間がそう長くなかったので、時間厳守を条件に許可証を発行してくれた。

 小宮殿に戻りローブを羽織って、通用門に向かって庭を全速力で駆け抜ける。冬の空気が冷たくて、呼吸するたびに肺が凍てつくように痛んだ。心が、王妃への嫉妬よりもディフィシル様に拒絶された悲しみに押しつぶされて、今にも砕けてしまいそうだ。

 ――この悲しみを、うまく処理する方法が分からない。

 門を通過した僕は、夜に沈みつつある街を無心で歩く。目指すのはマルタンの店。ほかに行く当てはない。

 クロストリージオの識字率は低くて、街に暮らす平民の中には文字を読み書きできる者が多くないから、店の看板はほとんどが文字ではなく絵図で表記されている。靴屋ならブーツ、酒屋なら酒樽の絵図といった感じだ。

 マルタンの店の軒下には、杯に蛇が巻きついた鉄製の看板がつるされていた。店の明かりが街路にもれている。まだ営業中なのだろうか。僕は、ガラス窓から中を覗いて、恐々としながら店のドアを開けた。

「こ、こんばんは」

「あれぇ? 誰かと思えば、サンクじゃねぇか」

 店の奥のイスに腰かけて煙草をくゆらせていたマルタンが、ローブをかぶったままの僕をにやりと笑って歓迎する。昨夜と違って暖炉では火が勢いよく踊り、店内は陽だまりのようにあたたかい。

 僕はローブとヴェールを脱いで、その辺のイスの背もたれに掛ける。すると、マルタンが口から煙を吐きながら立ち上がった。マルタンは僕の横を素通りすると、ドアのカギを閉めて通りから中が見えないように勢いよくカーテンを引いた。

「いいの? まだ営業してるんでしょう?」

「そろそろ閉めようと思ってたんだ。今日は日暮れに厄介な客が来て、いつもよりちょっと遅くなっちまっただけだ」

「そうなんだ」

「それで? アネモネの毒は使ったのか?」

「使ったよ。すぐに効果が出た」

「へぇ、よかったな。お前の役に立てて、俺も嬉しいよ」

「ねぇ、マルタン。ほかにはどんな毒薬を扱っているの?」

「気持ちがよくなるヤツから天に召されるヤツまで、なんでもそろってるぜ」

「じゃあさ、アネモネの毒を多めに。それから、その天に召されるのをちょうだいよ」

「はっ! 恐ろしいガキだな。天に召されるの意味、ちゃんと分かってんのか? どんな事情を抱えてやがるんだ、まったく」

「あなたはただ、毒薬を売ってくれたらいい。僕の事情なんて、あなたには関係ないよ」

「まぁ、そうだが……。いいのか? お代は金じゃねぇぞ」

「……いいよ」

 どうせ、この体がディフィシル様に愛されることはないのだから、貞操を守る必要なんてない。

「来いよ」

 マルタンが、煙草をふかしなから手をさしだす。僕は、少しだけ躊躇してその手をとった。どうやら、店の二階がマルタンの住居になっているらしい。

 勾配の急な階段をのぼって連れていかれたのは、木製のベッドが窮屈におさめられた狭い部屋だった。照明が乏しく、アルコールの独特な臭いが充満している。

「外は寒かっただろ。ブランデーでも飲むか?」

「もらおうかな」

「熱いから、気をつけな」

 マルタンからホット・ブランデーの入ったカップを受けとって、そろそろと口をつける。僕がブランデーの味を知ったのは去年の冬。今日みたいに冷えた夜に、ディフィシル様が「体が温まる」と言って僕に飲みかけのホット・ブランデーを分けてくださった。

「まずいな。これ、安物でしょ」

「失礼なガキめ。いいか、サンク。施しを受けたら、文句より先に礼を言いな」

「あなたみたいな人の説教には、説得力もなにもない」

「けっ。本当にクソガキだな、お前」

 僕がブランデーを飲み干すと、マルタンがシャツとトラウザーズを豪快に脱ぎ捨ててベッドの上で仰向けになった。

「お前も脱いで、俺のモノを咥えろ」

「……は?」

「は、じゃねぇよ。ほら、ささっとしろ。俺は気が長くねぇから、ぐずぐずしてると昨日みたいに犯すぞ」

 犯すという言葉に、僕はブランデーの味がする生唾をごくりとのんで、お仕着せと下着を脱ぐ。そして、ベッド脇の床に両膝をついてマルタンのソレに手を伸ばした。

「そうじゃねぇ。俺に尻を向けてまたがれよ、犬みたいに」

 戸惑いながら、マルタンの顔に尻を向けて四つん這いの体勢でまたがる。

「舐めな」

 マルタンが命令するような口調で言った。

 僕は、目の前でむくりと起き上がる肉竿に手をそえて先端を舌先でつつく。ブランデーのせいで味覚が麻痺しているのか、なんの味もしない。

 マルタンが「早くしろ」と僕の尻を叩いたから、仕方なく唾液を垂らして亀頭を口に含む。添えた手で幹をしごくと、臀裂のあたりにマルタンの息がかかった。

「いいぜ、サンク。はっ……。お前、うまいな」

 僕の口の中で、マルタンが一気に猛る。同時に、尻穴をねっとりと舐められて僕は思わずぴくりと体を震わせた。

「……っああっ!」

「こら、手を止めるんじゃねぇ。お前のここもよくしてやるからよ」

 ヌルヌルした液体が、たらりと尻の割れ目を流れる。後孔の周りを指でくちゅくちゅとこねられて、プツッと指先を突っ込まれた。

 マルタンが、陰嚢を舌で転がしながら指を増やす。僕は、腸壁を刺激するぞくぞくとした感覚に耐えながら、マルタンの牡茎を舐めて、しごいて、吸った。


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